第七十三話 星は、そこにある
言葉にしないまま、進む夜。
屋上庭園。
風が通る。
視線の先に、街の灯りが揺れている。
神代は、フェンスのそばに立っている。
振り向く。
「来たか」
「……ああ」
歩み寄る。
少し距離を置いて、並ぶ。
同じ方向を見る。
風が抜ける。
「どうする」
神代が言う。
すぐには答えない。
視線は前。
夜の向こう。
「……戻らない」
静かに言う。
「ただ、形は変える」
神代は、わずかに目を細める。
「……そうか」
神代の手元に、視線が落ちる。
指。
何もない。
いつの間にか、あったはずの金色の光が消えている。
その視線に気づいたのか、神代が少しだけ肩をすくめる。
「……離婚した」
短く言う。
「お前がいなくなって、すぐ」
風が通る。
「……なあ」
神代が口を開く。
「何だ」
「さっきの話とは、別だ」
神代は視線を外す。
少しだけ。
らしくなく。
「……今なら分かる」
低く言う。
「……何がだ」
神代は息を吐く。
視線を戻す。
咲也を見る。
「……俺」
「お前のこと、好きだった」
はっきりと言う。
一瞬、音が消えたように感じる。
神代は小さく首を振る。
「……違うな」
「……今もだ」
静かに言い直す。
沈黙が落ちる。
目を細める。
視線は動かさない。
――咲也は、小さく息を吐く。
「……遅い」
それだけ言って、少しだけ笑う。
「……遅いよ、神代」
うまく笑えない。
神代は、ほんのわずかに目を細める。
それから、少しだけ笑う。
「……だよな」
苦く、笑う。
風が通る。
夜は静かだ。
神代は空を見る。
同じ方向を見る。
星は、雲に翳って見えない。
「じゃあな」
神代が言う。
やがて足音が遠ざかる。
止めない。
呼ばない。
ただ、見送る。
その気配が、消えていく。
空を見る。
夜の奥。
星は、そこにある。
見えないけれど、確かにそこに。
小さく息を吐く。
そのまま、動かなかった。
それでも、そこにあるもの。




