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第七十二話 静かな合図

夜のバー。

いつもと同じようで、少しだけ違う時間。


言葉にしないまま、何かが動き始める。



夜。


Bar Haven。


低い照明。


グラスの音。


扉が開く。


ベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」


湊の声が、わずかに遅れる。


「……お疲れさまです」


「ああ」


短く返す。


カウンターに座る。


グラスが置かれる。


氷が鳴る。


酒が注がれる。


一口、飲む。


いつもと同じ。


だが。


どこか、違う。


湊は何も言わない。


ただ、グラスを拭く。


視線だけが、わずかに向く。


クマのキーホルダーを出して、ことんと置く。


「これ、くれた子」


「……屋上、案内してきた」


ぽつりと。


「星、見てよろこんでた」


「そうですか。良かったですね」


無言で頷く。


「……悪くない」


グラスを見つめる。


振動音。


一瞬だけ、動きが止まる。


ポケットから携帯を取り出す。


画面に視線を落とす。


わずかに、息を吐く。


一口、飲む。


立ち上がる。


キーホルダーを手に取る。

ポケットにしまう。


「……ちょっと、行ってくる」


湊は手を止める。


それから、小さくうなずく。


「はい」


ベルが鳴る。


扉が閉まる。


カウンターの上。


グラスには、まだ酒が残っている。


湊はほんの一瞬だけ手を止める。


それから、またグラスを拭く。


Bar Havenの夜は、静かに続いていた。



大きな決断は、いつも静かに始まる。


気づかないくらいの小さな変化が、

気づいたときには、もう戻れないところまで来ている。

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