第七十話 同じ場所で
同じはずの場所で、少しだけずれる。
ロビー。
光が差し込んでいる。
床に、やわらかく影が落ちる。
立ち位置は中央。
視線は全体へ。
いつもと同じ場所。
同じ姿勢。
同じ動き。
「こちらへどうぞ」
客を案内する。
声は出る。
動きも流れる。
手元。
視線。
途切れない。
問題はない。
――はずだった。
手が止まる。
一瞬。
それだけ。
すぐに動く。
何事もなかったように。
「失礼いたします」
声は変わらない。
だが。
どこか、乗っていない。
自分でも分かる。
わずかに眉を寄せる。
そのとき。
「高宮さん」
声。
振り向く。
司が立っている。
少し言いにくそうに。
「先輩、今日……なんか違いますね」
「いつも通りだ」
短く返す。
司は「あ、はい」と頷く。
視線を戻す。
手を動かす。
正確だ。
無駄はない。
それでも。
何も、残らない。
小さく息を吐く。
気づいてしまう。
今の自分の動き。
同じ仕事。
同じ場所。
それでも。
指先が、わずかに動く。
何も持っていないはずなのに。
一瞬だけ、
あの重さを探す。
すぐに離す。
誰にも見られていない。
それでも。
胸の奥に、わずかなざわつきが残る。
「高宮さん」
別の声。
「こちら、お願いします」
「ああ」
短く返す。
歩き出す。
足取りは変わらない。
いつも通り。
だが。
どこか、軽い。
ロビーを横切る。
光の中。
一瞬だけ、足が止まる。
ほんの一瞬。
それだけ。
外を見る。
空。
青い。
何も言わない。
すぐに歩き出す。
仕事に戻る。
それでいい。
それでいいはずだった。
ふと。
口元が、わずかに緩む。
すぐに消える。
誰も気づかない。
ただ。
ほんの少しだけ。
同じ場所で。
少しだけ、噛み合っていなかった。
気づかないまま、何かが変わっている。




