第六十三話 固さの向こう側
固さは、悪いことじゃない。
乾いた音が、グラウンドに響いている。
咲也は、フェンスのすぐ内側に立っている。
「構えろ」
少年が応じる。
構える。
投げる。
ミットが、わずかに動く。
咲也は小さくうなずく。
「……悪くない」
「でも、まだ固い」
少年の指が、わずかに止まる。
「……分かってます」
小さく。
視線は逸らさない。
「でも」
言葉が続かない。
顔を上げる。
構える。
投げる。
同じだ。
咲也は小さく息を吐く。
――変わらない。
どうすればいい。
分からない。
そのとき。
「さくちゃん!」
聞き慣れた声が、すぐ近くから飛ぶ。
振り向く。
フェンス越しに海斗が手を振っている。
「……先生」
その隣に陸斗。
後ろに夏希と湊。
眉をひそめる。
それから、小さく息を吐く。
「……勝手に来るな」
夏希が肩をすくめる。
「いいでしょ、見学くらい」
その後ろから、声。
「ああ、大丈夫」
「俺が許可出したんで」
ひょこっと顔を出した黒崎が言う。
「問題ない」
睨みつけると、
「おー怖い怖い」
おどけたように首をすくめる。
ため息をつき、視線を逸らす。
その流れで。
フェンス越しに、湊と目が合う。
湊は、困ったように微笑む。
「……すみません」
静かな声。
「最近、お会いできなかったので」
わずかに間。
「来てしまいました」
「……顔を見たくて」
空気が、少しだけ止まる。
咲也は何も言わない。
視線を逸らす。
――ふっと、力が抜ける。
目を細める。
視線を戻す。
少年。
まだ、固い。
周囲を見回す。
彼だけではない。
全体が、固い。
小さく息を吐く。
「……おい」
声を上げる。
全員が見る。
「一回、やめる」
ざわめき。
「え?」
「……なんでですか」
咲也はボールを拾う。
「いいから来い」
近くの一人に、ボールを軽く投げる。
「回せ」
短く言う。
受ける。
すぐに投げ返す。
音が弾む。
一人、また一人と加わる。
輪ができる。
ボールが転がる。
「下手くそ」
「うるさい」
笑いが混ざる。
咲也も、つられて笑う。
一球、受ける。
返す。
身体が覚えている。
リズム。
感覚。
少年が、ボールを受ける。
一瞬、迷う。
それでも、投げる。
音が、少し変わる。
「……そうだ」
小さく。
口元が、ゆるむ。
その瞬間。
⸻
「出た!」
「……出たね」
双子の声。
夏希が目を細める。
「……ああ、その顔」
少しだけ口元が緩む。
「昔もしてたわね」
湊は少しだけ目を細めた。
「……高宮スマイルです」
一瞬。
夏希が間を置いて――
吹き出した。
「なにそれ」
肩を揺らして笑う。
「そんな名前ついてたの?」
⸻
笑い声。
ボールの音。
風。
全部が混ざる。
その中で。
咲也は、ただ投げる。
ただ受ける。
ただ、楽しむ。
――ああ。
野球が、好きだ。
感覚が、戻ってくる。
ふと、視線が外へ向く。
目が合った場所。
すぐに、戻す。
それだけで、十分だった。
うまくいかない理由が、
技術じゃないこともある。
だからこそ、
言葉では届かない瞬間があるのだと思います。




