第六十話 話すこと
うまく伝えたいのに、
うまくいかないときの話。
地下の社員食堂。
少し遅い時間。
人はまばらだ。
咲也はトレーを置く。
今日は日替わり定食にした。白身魚のフライがサクサクしている。
向かいに、後輩が座る。
「……すみません。一緒にいいですか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
同じ定食だった。
だが、心ここにあらずといった様子で、フォークでフライをつついている。
「司くん、どうした」
後輩――司は、少し迷ってから口を開く。
「難しくて」
視線が、宙に迷う。
咲也は何も言わない。
続きを待つ。
「三年目になって、教育、任されてるんですけど」
フォークを持つ手が止まる。
「うまくいかなくて」
「ちゃんと伝えたくて、つい、きつく言っちゃうんですよね」
指先に力が入る。
「相手、萎縮させちゃってるみたいで」
声が少しだけ弱くなる。
「分かってるんですけど」
司は視線をテーブルに落とす。
「……先輩は、すごいですね」
顔を上げる。
「落ち着いて全体見て、指示出してくれるじゃないですか」
司は苦く笑う。
「自分、余裕なくて」
咲也はわずかに視線を落とす。
「……そんなことないぞ」
それから、ぽつりと続ける。
「ただ、話すようにはしてた、か」
少しだけ思い出すように。
「意識して声をかけてたな。挨拶とか、たわいもないこととか」
「相手が、話しやすいように」
司が顔を上げる。
「話す、ですか」
「ああ」
短くうなずく。
「飲みに行ったりもしたよな」
軽く言う。
司が少しだけ笑う。
「そうですね。先輩の意外な一面も見れて、面白かったなあ」
「それ以上は言わなくていいぞ」
くすくす笑う司に釘を刺す。
咲也も、初めての指導で緊張して飲みすぎたのは、苦い思い出だ。
「でも、懐かしいですね。あれで俺、先輩に対する見方が変わりましたよ。クールに見えて、熱い人だったんだって」
「だから、言うな」
「ホテルに対する熱い思いを語ってくれましたね。どんだけ話すんだこの人って。あれはすごかった」
「頼む。やめてくれ……」
司は笑って、
「でも、あれで、俺の選んだ仕事って楽しいんだって思うきっかけになりましたよ」
腕を組み、うーんとうなる。
「でも飲みかぁ〜、今はハラスメント認定されることもあるみたいですし。俺は好きなんですけどね」
「……今はやりづらいか」
「ですね」
咲也は肩をすくめる。
「じゃあ、昼飯」
「今度、奢ってやれよ」
司は少し驚いた顔をしてから、うなずく。
「……なるほど」
少し肩の力が抜ける。
そのまま、伸びをする。
ふっと笑う。
「先輩、自分、この仕事、楽しいって思うんです」
「だから、伝わればいいなって」
咲也はうなずく。
「そうだな」
それだけ。
司は頭を下げる。
「ありがとうございます」
「今度飲みに連れてってくださいね。もちろん先輩の奢りで」
軽くウィンクする。
「ちゃっかりしてるな」
咲也は苦笑する。
ふと、箸を持つ手が止まる。
脳裏に蘇る。
土の感触。
ボールの重さ。
音。
――ああ。
何も考えずに、投げていた。
ただ、楽しかった。
それ以上は、考えない。
少し話して、
少しだけ楽になる。
それだけで、十分なこともある。




