第六話 星をくれた子
この回は、誤認の夜のあと。
ホテルで働く朔也の日常です。
派手な出来事はありませんが、
彼がどんな人間なのか、少し見える回になっています。
朝のロビーは静かだった。
大理石の床に柔らかな光が落ちている。
チェックアウトの波はすでに過ぎ、客の姿もまばらだ。
「高宮さん」
フロントの後輩が声をかけてきた。
「この荷物、タクシーまでお願いします」
「ああ」
朔也は頷き、トランクを持ち上げる。
重さは問題ない。
身体はまだよく動く。
エントランスの扉が開く。
朝の空気が少しだけ冷たい。
タクシーのトランクに荷物を積み込み、軽く頭を下げる。
「ありがとうございました」
車がゆっくりと走り去った。
ロビーへ戻ろうとしたとき、小さな声が聞こえた。
「……お母さん、どこ?」
振り向くと、ロビーの端に小さな少女が立っていた。
きょろきょろと辺りを見回している。
迷子だ。
朔也はゆっくり歩み寄り、しゃがんで少女と目線を合わせた。
「どうしたの?」
少女は少し驚いた顔をして、それから小さく頷いた。
「お母さん、いない」
「そっか。お母さんを探してるんだね」
こくりと頷く。
「びっくりしたね。もう大丈夫だよ」
そう言うと、朔也は少女の目線に合わせたまま、安心させるようにゆっくり頷いた。
少女は少しだけ肩の力を抜いた。
朔也はフロントに目配せする。
スタッフがすぐに館内放送の手配に向かった。
その間、朔也は少女の隣にしゃがんだまま待つ。
しばらくして、ロビーの奥から慌てた声がした。
「すみません!」
若い母親が駆け寄ってくる。
「この子ったら、勝手に……」
少女はその背中に隠れた。
母親が何度も頭を下げる。
「本当にすみません。ありがとうございます」
「いえ、大丈夫です。見つかってよかったですね」
そう言うと、少女が母親の服の裾を引いた。
そしてポケットから何かを取り出す。
「これ、あげる」
差し出されたのは、小さなテディベアのキーホルダーだった。
胸に星がついている。
熊と星の接着は少し歪んでいる。
商品と言うには、少しだけ不格好だ。
それでも、妙に愛嬌があった。
母親が苦笑する。
「この子、昨日作ったんです。初めてで……」
朔也は少し迷ったが、そっと受け取った。
「ありがとう」
少しだけ声を柔らかくする。
「小さなお嬢さん」
少女は顔を真っ赤にして母親の背中に隠れた。
朔也は少し困ったように笑った。
「あらら、照れちゃって」
チェックアウトを終え、二人はホテルを出ていく。
少女は何度も振り返り、手をぶんぶん振っている。
朔也も軽く手を振り返した。
隣にいた若いベルスタッフが、くすりと笑う。
「先輩って」
「ん?」
「無自覚なのが、たち悪いですよね」
「は?」
「いえ、別に」
すっとぼける後輩に、朔也は首を傾げた。
ロビーの仕事に戻る。
荷物の案内。
エレベーターへの誘導。
館内設備の説明。
すべて、いつも通りだ。
体を動かしていると、余計なことを考えずに済む。
それでいい。
——昨夜のことは。
考えない。
そう決めている。
勤務が終わり、ネームプレートを外す。
ネクタイを整える。
エレベーターに乗り、二階へ向かう。
廊下の奥。
小さなプレート。
Bar Haven。
朔也はほんの一瞬だけ立ち止まった。
あの夜の男が、あそこにいるはずもない。
いるのは、激しさとは無縁の穏やかな青年。
仕事終わりの、ただの話し相手。
それだけだ。
そう自分に言い聞かせて、朔也は扉を押した。
静かな日常回です。
ホテルのロビーでの一場面を書きたくて入れました。
こういう小さな出来事が、朔也という人物を作っている気がします。
次回、バーでの会話に続きます。




