第四十三話 いつもの夜
咲也は屋上での出来事のあと、いつもの場所へ。
変わらない夜の中で、少しだけ違うものが混ざり始めています。
Bar Havenの灯りは、今夜も静かだった。
低い照明。
ゆるやかな音楽。
グラスの触れ合う音。
奥の席で、控えめな会話が交わされている。
カウンターの奥で、湊がグラスを磨いていた。
扉が開く。
ベルが小さく鳴る。
「……いらっしゃいませ」
顔を上げる。
「高宮さん」
咲也が入ってくる。
ネクタイは、いつものようにきちんと締められている。
「……お疲れ様です」
湊は自然に言う。
咲也はカウンターに腰を下ろした。
「いつもの、でいいですか」
「ああ」
氷を入れる。
カラン、と音が鳴る。
酒を注ぐ。
グラスを差し出す。
咲也はそれを受け取り、一口だけ飲んだ。
音楽と、遠くの会話だけが流れている。
湊はグラスを磨きながら、視線を向ける。
「……何か、ありましたか」
咲也はグラスを見たまま答える。
「別に」
短い言葉。
わずかに間があった。
湊は、それ以上は踏み込まない。
「そうですか」
小さくうなずく。
氷が、静かに鳴る。
しばらくして。
咲也がぽつりと言う。
「……蒼井くん」
湊が顔を上げる。
「はい」
咲也はグラスを見たまま言う。
「神代に会った」
湊の手が、わずかに止まる。
ほんの一瞬だけ、動きが遅れる。
それでもすぐに、元のリズムに戻る。
「……そうですか」
それ以上は、言葉を重ねない。
咲也は小さく息を吐く。
「……なんか」
少し間を置く。
「変わってないみたいでさ」
グラスの中で氷が鳴る。
湊は静かに聞いている。
咲也は、しばらく何も言わなかった。
それから、
「俺だけ、別のところにいるみたいな」
わずかな静けさが落ちる。
音楽がゆっくり流れる。
湊は少しだけ考えてから言う。
「そう感じること、ありますよね」
咲也は答えない。
ただ、グラスを傾ける。
氷が、また小さく鳴る。
Bar Havenの夜は、変わらず静かだった。
何かが、少しずつ動いていた。
大きな変化はないようでいて、確かに何かが動いている夜でした。
このあと、少しずつ流れが変わっていきます。




