第四十二話 選ぶ側
屋上での出来事のあと。
別の場所で交わされる会話です。
ホテルの廊下は、静かだった。
足音だけが、わずかに響く。
神代はゆっくり歩いていた。
その後ろを、黒崎がついてくる。
しばらく無言。
やがて、黒崎が口を開いた。
「どう見ました?」
神代は答えない。
歩きながら、少しだけ視線を落とす。
「……変わってなかった」
黒崎は小さくうなずく。
「むしろ、いい状態だと思いますよ」
神代は小さく息を吐く。
「状態、か」
黒崎は続ける。
「身体のキレも落ちてませんし」
「視野も広い」
「それに」
わずかに間を置く。
「ああいうタイプ、教える側に向いてると思います」
神代の足が、わずかに止まる。
黒崎は構わず続ける。
「現場見てきた人ですし」
「言葉に重みありますよ」
神代は何も言わない。
再び歩き出す。
「……コーチ、か」
黒崎はうなずく。
「ええ」
「本人にその気があれば、ですけど」
神代は小さく笑う。
「ないだろ」
即答だった。
黒崎は少しだけ眉を上げる。
「そうですか?」
神代は前を見たまま言う。
「自分で終わらせたやつだ」
「簡単に戻るとは思えない」
廊下の空気が静かに流れる。
それでも黒崎は言う。
「それでも」
「可能性あると思いますよ」
神代は足を止めた。
振り返る。
「……なんでそう思う」
黒崎は一瞬だけ考える。
それから静かに答える。
「楽しそうだったんで」
神代の目が、わずかに細くなる。
「それに、自然体でした」
神代は何も言わない。
ただ、少しだけ目を伏せる。
「……あいつ」
ぽつりと呟く。
「昔からそうだ」
「どこにいても、ああだ」
黒崎は黙って聞いている。
神代は小さく息を吐く。
それから、低く言った。
「だから」
「わからない」
黒崎は何も言わない。
神代は視線を逸らす。
「今がいいのか」
「戻った方がいいのか」
廊下は静かだった。
遠くで、エレベーターの音が鳴る。
黒崎が言う。
「決めるのは、本人です」
神代は小さく笑う。
「だろうな」
わずかな間。
それから、ぽつりと続けた。
「……だが」
黒崎が視線を向ける。
神代は前を見たまま言う。
「一回くらいは」
「聞いてみるか」
黒崎は小さくうなずいた。
「ええ」
それ以上は何も言わない。
二人は再び歩き出す。
足音が、静かに廊下へ消えていった。
まだ本人には届かないところで、話は少しだけ動き始めています。




