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第三十話 距離の名前


神代は小さく笑った。


「やっと顔上げたな」


黒崎が横で、面白そうに二人を見ている。


神代はグラスを持ち上げた。


「七年ぶりか」


咲也は視線を逸らす。


「……なんでここにいる」


神代は肩をすくめた。


「なんでって」


グラスの中で、氷がゆっくり揺れる。


「日本に戻ってきただけだ」


黒崎が口を挟む。


「いい店でしょう?」


神代は軽く笑う。


「確かに」


グラスを口に運ぶ。


「いい店だ」


そのまま、視線が店内をなぞる。


カウンター。

棚の酒瓶。


そして——


グラスを磨いている青年で、止まった。


神代の目が、わずかに細くなる。


湊は視線に気づいたのか、静かに顔を上げた。


「何かお作りしましょうか」


グラスに残る氷へ一瞬だけ目を落とす。


「タイミングの良いときに」


神代は首を軽く振る。


「いや」


それから、もう一度咲也を見る。


わずかな間。


「……で」


指先で、グラスの縁をなぞる。


氷が、小さく鳴る。


神代の視線が、湊へ移る。


「その子——」


咲也の肩が、わずかに動く。


神代は続けた。


「……お前の恋人か?」


カウンターの空気が、ほんの少し止まる。


咲也は眉を寄せた。


ほんの一瞬だけ、言葉を失う。


「……何言ってんだ」


神代は肩をすくめる。


「いや」


視線は逸らさないまま、


「そう見えた」


咲也は何も言わない。


湊は磨いていたグラスを棚へ戻した。


静かな仕草。


神代はその手元を見て、

それから、ゆっくりと顔へ視線を上げる。


一瞬だけ、目を細めた。


湊は何も言わず、軽く頭を下げる。


Bar Havenには、静かなジャズが流れていた。




名前をつけるには、まだ早い距離

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