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第三話 二階の灯り

七年目の夜。

朔也が立ち寄る二階のバーにて。

エレベーターの扉が静かに閉まる。


鏡に映る自分を一瞬だけ見る。

ネクタイは緩めない。ここではまだ、ホテルの人間だ。


二階で扉が開く。


廊下の奥、小さなプレート。


Bar Haven。


扉を押すと、低い照明が迎える。

磨かれたカウンター。グラスに落ちる氷の音。


「お疲れさまです」


柔らかな声。


「ああ、お疲れ様。蒼井くん。マスターは?」


蒼井湊。見習いバーテンダー。

だが、その佇まいはとても見習いとは思えない。


白いシャツに黒のベスト。色白の横顔が、間接照明に淡く浮かぶ。


「今日も倉庫で格闘中ですよ。どうしても在庫が合わないって」


「ああ。大変だね。棚卸しも」


最近、自分たちも同じ騒ぎを経験した。苦労はよく分かる。


カウンターの端に腰を下ろす。


「いつもの、でいいですか」


「ああ」


氷を回す音。

琥珀色が静かに満ちていく。


一口、喉に落とす。

ひりりとした刺激が、仕事の余韻を洗い流す。


「今日は少し遅かったですね」


「チェックインが重なった」


「そうですか」


少し間を置いて、湊が続ける。


「高宮さんがいると、ロビーが落ち着くんですよ」


「またそれか」


「本当です。若手、みんな言ってますよ」


朔也は小さく息を吐く。


「大げさだ」


「事実です」


視線が合う。


柔らかな顔立ちなのに、目だけが真っ直ぐで、逃げ場がない。


朔也は先に逸らした。


なぜか、負けたような気分になる。


「なんだか、君は俺よりよっぽど大人だよな」


「ふふ。そんな高宮さんは、可愛らしいですよね」


軽いウィンク。


年甲斐もなく、胸の奥がわずかに揺れる。


「若いくせに、年上をからうとは生意気だな」


「からかってませんよ」


穏やかな微笑。

それが無自覚なのか、計算なのか、分からない。


「まったく。君ってやつは年上の扱いが上手いな。君目当てのお客さんも多いそうじゃないか」


「ありがとうございます。でも、こんなこと言うのは高宮さんにだけですよ」


一瞬、鼓動が跳ねる。


冗談めいているのに、妙に真っ直ぐだ。


「はいはい。ありがとうな」


軽く受け流すように言い、グラスを傾ける。


カラン。


氷が溶ける音だけが、二人の間に落ちる。


この絶妙な距離が、ちょうどいい。


仕事終わりの、ささやかな癒し。


――そう思っているのは、きっと自分だけだ。


そのときは、まだ。

まだ、何も始まっていません。

けれど確かに、何かが動き始めています。

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