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第十一話 余熱

前話では、湊による手当ての場面がありました。


大きな出来事ではありませんが、

咲也の中には静かに残るものがあったようです。


今回はその「余熱」が残るまま迎える、

ホテルでの出来事になります。

そして新たに現れる人物――黒崎。


ほんの短いやり取りですが、

少しだけ空気の変わる回になっています。

昨夜のことを思い出す。


冷たいタオル。

手首に触れた、静かな手。


——お願いですから、自分を大切にしてください。


責めるでもなく、

ただ真っ直ぐな声だった。


その言葉だけが、妙に残っていた。



ロビーは昼の光で満ちていた。


チェックインにはまだ少し早い時間。

客の姿はまばらだ。


朔也はフロント横で待機していた。


自動ドアが開く。


男がひとり、ロビーに入ってくる。


ラフなシャツ。

肩の力の抜けた歩き方。


だが、不思議と視線を引く。


男はそのままフロントへ向かった。


「チェックイン」


低い声だった。


その声に、朔也の意識がふと向く。


——どこかで聞いた声だ。


フロントスタッフが微笑む。


「ご予約のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」


「黒崎」


男は短く答えた。


朔也は名前よりも、その声の方に引っかかっていた。


どこかで聞いた。


そう思った瞬間。


男がこちらを見る。


視線が合う。


一瞬。


地下の湿った空気が、頭をよぎった。


暗い照明。

低い音楽。

強く掴まれた手首。


——あの男だ。


「ベルをお願いします」


フロントが言う。


朔也は一歩前に出た。


「お荷物お持ちします」


男は軽く眉を上げた。


それから、口元がわずかに歪む。


「……へえ」


小さく呟く。


「よろしく」


荷物はボストンバッグひとつだった。


朔也はそれを受け取り、歩き出す。


「こちらへどうぞ」


エレベーターの扉が開く。


二人で中に入る。


静かな箱の中。


扉が閉まる。


鏡に、二人の姿が映る。


沈黙。


そのとき。


背後から低い声が落ちた。


「昨日は悪かったな」


朔也の肩が、わずかに止まる。


黒崎の視線は下がっていた。


朔也の右手首。


「ちょっと強く握っちまった」


朔也は何も言わない。


黒崎は肩をすくめた。


「……ついな」


「似てたもんで」



軽く笑う。


エレベーターが静かに止まった。


扉が開く。


廊下へ出る。


部屋の前で立ち止まり、朔也はカードキーを差し込んだ。


電子音。


扉が開く。


荷物を中に運び、テーブルに置く。


「こちらでございます」


黒崎は部屋の中を一度見渡した。


それから朔也を見る。


ほんの一瞬、沈黙が落ちる。


黒崎はわずかに笑った。


「世話になる」


低い声。


そして続ける。


「よろしくな」


わずかに間を置いて。


「——『高宮』さん」


その呼び方には、どこか含みがあった。


朔也は表情を変えない。


ただ一礼する。


「ごゆっくりお過ごしください」


扉を閉める。


廊下に出た。


数歩歩いたところで、朔也は自分の右手首を見た。


赤みは、もうほとんど消えている。


それでも。


昨夜の感触だけが、まだ残っていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


今回はタイトル通り、

昨夜の出来事の「余熱」が残る回でした。


湊の言葉が心に残る一方で、

咲也の前に現れた黒崎。


そして最後の一言。


「よろしくな ——『高宮』さん」


偶然なのか、

それとも……。


次回はまた夜のBar Havenへ戻ります。

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