8話:サクラチル-2
楓は、生垣の端に張り付いた。
役員棟の入口が見える。だが、そこはすでに黒い軍服の集団によって完全に制圧されていた。入口付近には、ピクリとも動かない警備隊たちが幾重にも重なり、コンクリートの床を赤黒く染めている。
役員棟の奥から、短い銃声が聞こえた。
それから、ひんやりとした静寂が落ちる。
撫子会長。葵副会長。楓の目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
しばらくして、黒い軍服の子たちが役員棟から出てきた。笑いながら、今日の夕飯の話でもするように談笑している。
楓は、その中の一人の顔を見て息を呑んだ。
見覚えがある。武蔵野へ来ていた、留学生の三人組だ。今は武蔵野の制服ではなく黒い軍服を着て、返り血に濡れた短機関銃を肩にかけている。
——あの子たちは。
学園間の交流すら、すべてはこの日のための布石だった。
「……あ」
楓が絶望に打ちひしがれていると、煙が漂う入口の奥から、数人の武蔵野の生徒が引きずり出されてきた。
彼女たちは武器を持っていなかった。全員が涙と煤で顔をぐしゃぐしゃにしながら、震える両手を高く頭の上に挙げている。完全な降伏の意思表示だった。
留学生だった少女の一人が、心底つまらなさそうに、手に持った端末と、彼女たちの顔を見比べた。
「……捕獲目標じゃねぇな。ボーナス対象外じゃん」
小さな体から発せられる声は、ひどく冷たかった。
「突撃隊はこれから転移装置の破壊に行くんだよ。お前らみたいなノロマな捕虜連れて歩けるかよ」
「待っ、お願い、助け——」
武蔵野の子が何かを言いかけた、その瞬間。
ダダダダンッ!
至近距離から放たれた短機関銃の轟音が、懇願の声をかき消した。
手を挙げたままの姿勢で、彼女たちの身体が操り人形のように激しく痙攣する。
体から大量の血を噴き出しながら、彼女たちは崩れ落ち、さっきまで生きていた警備隊の死体の山の上に、新たな死体として積み上げられた。
撃った少女は、煙を吹く銃口を気にも留めず、死体を見下ろして鼻を鳴らした。
「ほんと時間の無駄。カスだね」
そう吐き捨てて踵を返そうとした彼女の視線が、ふと、血だまりに沈む死体の腕に止まった。
「あ、この腕時計かわいい。あたしの趣味にぴったり」
彼女はしゃがみ込むと、数秒前に自分が蜂の巣にしたばかりの死体の腕から、無造作に腕時計をひっぺがした。
血で汚れたそれを自分の腕に巻き直して、嬉しそうに笑う。
「ラッキー! じゃあ、このまま第七転移門やりに行こっかー」
「えーっと、待ってね」
仲間の少女が、軍服のポケットからくしゃくしゃになった学園内マップを取り出した。
「今ここだからー……あっ、こっちの道だね」
「おっと、その前に報告報告」
腕時計を奪った少女が、胸元から無骨な黒い軍用端末を取り出した。慣れた手つきでロックを解除し、耳に当てる。
「あ、本部ー? こちら突撃隊。役員棟の掃討、完了しましたー」
——転移装置は?
分厚い端末から、ノイズ混じりの冷たい声が漏れ聞こえた。
「あ、これからですー。今マップ見てて」
——他はすでに破壊に成功している。お前たちが最後だ。早くしろ。
「えっ」
通信が切れた。
少女たちの動きが、ピタリと止まる。
「……やっべぇ! マジ!?」
「嘘でしょ!? 私たちがビリ?」
さっきまでの冷酷な殺人鬼の顔が一変し、彼女たちは普通の学生のように大慌てで頭を抱えた。
「まずいまずいまずい!お姉様たちがご立腹だ!」
「やだぁ!頭撫でてもらえなくなるじゃん!走れーっ!」
「待ってよぉ!」
彼女たちは血だまりを乱暴に蹴立て、大焦りで奥の道へと駆け出していった。その慌てふためく背中は、まるで遅刻しそうで焦る学生のように見えた。
楓は、物陰でガチガチと歯を鳴らした。
降伏しても殺される。
ここには、人間の言葉が通じる相手は一人もいない。
彼女たちが駆け足で遠ざかっていくのを見送り、楓は震える足でゆっくりと立ち上がった。
逃げなければ。
『突撃隊はこれから転移装置の破壊に行くんだよ』
さっきの少女の言葉が、脳裏に蘇る。
奴らが向かった地上の外周ルートを通れば、第七転移門までは十分近くかかるはずだ。
なら、もし第六学生寮の地下道を使えば——四分で抜けられる。
寮にはまだ、右も左も分からない新入生たちが取り残されているはずだ。彼女たちを回収して、地下から一気に転移門へ抜ける。他の同盟学園へ逃げ延びて、必ず反撃の準備を整える。
奴らより先にたどり着いて、装置を起動させる。それしか生き残る道はない。
ここは、もうだめだ。
楓は血の滲むような思いで唇を噛み切り、第六学生寮の裏口へと向かって駆け出した。
次回、9話:逃避行と交錯 です
次回また会いましょー!
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