7話:サクラチル-1
「撫子会長」
副会長の田中葵が、分厚いファイルを胸に抱えて近づいてきた。
「今日の午後、第十四小学園との定例連絡があります。同盟離脱の件、引き続き説得を——」
——ズドォォォンッ!!
腹の底を殴りつけるような轟音が響き、激しい縦揺れが床を叩いた。
撫子は弾かれたように窓へ駆け寄る。
美しい庭園の向こう、学園の地下施設がある方角から、真っ黒な煙がねじれるように立ち昇っていた。
「蘇生プラントが……っ」
葵の声が、ひゅうっと引きつる。
ジリッ、とスピーカーから学園放送が流れ始めた。
『全生徒に告知します。本学園蘇生プラントに異常が発生しました。ただちに——』
ブツン。
放送が不自然に途切れ、ざらついた雑音が混じる。直後、スピーカーから弾け飛んできたのは、場違いなほど明るく、甘ったるい声だった。
『——みなさんこんにちはぁ! 東京霞学園・宣伝局長の夢咲ららですっ!』
撫子は息を呑んだ。
『本日、一〇秒前をもって、東京霞学園は武蔵野庭園学園およびその同盟傘下三十校に対し、学園陶冶競争法第十条に基づく正式な宣戦布告を行いました! 手続きはポータルより完了済みです! よろしくお願いしまーす!』
ツー、ツー。
無機質な電子音とともに、静寂が落ちる。
宣戦布告。
「会長っ……広域転移警報が!」
葵の悲鳴をかき消すように、鼓膜を劈く甲高いサイレンが学園中に響き渡った。
撫子は、窓の外の空を見上げた。
空に、無数の染みがあった。
パラシュートだ。空の青を埋め尽くすほどの異常な数が、次々と降下してくる。庭園の方角には巨大な円筒形のポッドが雨のように降り注ぎ、同時に、この本部棟へ向けても、細長い黒いポッドが低空で滑るように飛んできていた。
「逃げて」
撫子は振り返り、絞り出すように叫んだ。
「全員、いますぐ逃げて!」
田村楓は、息を乱しながら第四転移門を走り抜けた。
埼玉第三小学園への使者任務を終え、今朝帰ってきたばかりだった。門をくぐった瞬間に地面が揺れ、黒煙が上がり、サイレンが鳴り響いた。
何が起きているのか、完全には分からない。
でも、一つだけ確かなことがあった。撫子会長が、役員棟にいる。
「こっちへ!」
近くで立ち尽くしていた警備隊の子たちに声を張り上げた。
「役員棟へ急いで! 会長を守らないと!」
警備隊の子たちが弾かれたように頷く。楓は再び走り出した。
頭上の空から、黒い雨のように『奴ら』が降ってきていた。
転移は、一瞬だった。
ビーコンの座標に向けて、大規模転移装置が起動する。
最初に上空へ現れたのは、奴隷兵を限界まで詰め込んだ降下ポッド群だった。数百個のポッドが一斉に武蔵野庭園学園の空を埋め尽くし、パラシュートを開いてゆっくりと、だが確実に落ちてくる。
対空火器がまばらに火を噴き、数個のポッドが空中で爆散した。だが、残りのほとんどが屋上や広場、校舎のあちこちに着陸する。
ハッチが開いた。
白いぼろ布を身につけ、首にチョーカーを赤く点滅させた奴隷兵たちが、無言でなだれ込んでくる。
第六学生寮の西門では、すでに警備隊が展開していた。
激しい銃声が響き、奴隷兵が次々と蜂の巣になって倒れる。
だが、後ろから来る。また来る。どんどん来る。
彼女たちは無表情のまま駆け出し、腰の麻酔ガスグレネードのピンを抜きながら、警備隊に抱き着いた。
紫色のガスが噴き出す。それを吸い込んだ警備隊たちが、白目を剥いて次々と崩れ落ちる。巻き込まれた奴隷兵も一緒に倒れ、やがて動かなくなった。
「ガスだ!! 息を止めて!」
「寮へ下がれ! 中へ逃げろっ!」
紫の煙が迫り狂う中、数人の警備隊が、口元を制服の袖で必死に押さえながら、背後にある第六学生寮の扉へと駆け込んでいく。バタンッ、と重い扉が閉ざされた。
あっという間に、西門周辺の銃声が静まり返る。
そこへ、先ほどより一回り分厚い降下ポッドが空から降ってきた。
ズシンッ! という地響きとともに着地脚がアスファルトを砕き、強烈な逆噴射の暴風が、西門を覆っていた紫色のガスを一瞬にして円状に吹き飛ばす。
プシュゥゥ、と重々しい音を立ててハッチが開く。
一時的にガスの晴れたクリアな空間へ、清潔な黒い軍服を着た少女たちが次々と降りてくる。だが、風に押し戻されて再び迫りくる紫色の煙を見て、彼女たちは一斉に顔をしかめた。
「うわっ、ガスじゃん!」
「おいおい、ガス兵器使うなら先に言えよ! 降下地点にガス撒くとか、上はどうしちまったんだ!?」
「味方ごと眠らせる気ぃ? ほんと何考えてんのよ」
彼女たちは上層部へ容赦ない悪態を吐き捨てながら、大慌てで腰からガスマスクを引き抜き、顔に被せる。
紫色のガスが彼女たちを包み込む。だが、西門に折り重なる警備隊と奴隷兵の山を見下ろすと、マスク越しのくぐもった声がニヤリと笑った。
「——だが、こりゃいいな。船から展開する一番危ない瞬間を、まるまる奴隷にやらせるとは」
ひときわ背の高いリーダー格の少女が、担いだ大きな銃を揺らして豪快に笑った。
「しっかし奴隷兵ってのは大変だなぁ。死んでも代わりはいくらでもいるし、蘇生もしてもらえない」
「痛みも恐怖も麻痺させて突っ込ませるんだろ。ほぼゾンビじゃん。あたしは絶対なりたくないね」
「さ、寮に逃げ込んだ獲物を狩りますかぁ。たくさん捕まえて目指せボーナス!」
無邪気にふざけ合う少女たちの後ろ。
一人だけ、重そうな弾薬箱を抱えた少女が、死体の山を見て青い顔で立ち尽くしていた。
背の高いリーダーが、振り返って声を張り上げる。
「行くぞ、ナナ!」
「……はいっ!」
ひっくり返ったような、震える返事が響く。
彼女たちは、倒れた奴隷兵の顔をブーツで踏みにじりながら、第六学生寮へと歩き出した。
本部棟の廊下を、撫子は走っていた。
後ろから、葵の切羽詰まった足音がついてくる。
「会長、防衛隊が——」
「分かってる!」
分かっている。でも足は止められない。
角を曲がった瞬間、一階の窓ガラスが派手に割れる音がした。
撫子は息を呑んで立ち止まる。階段の下から、声が聞こえた。
「いたいたー!」
明るい声だった。ひどく楽しそうだった。複数の足音が、タタタッと軽いリズムで階段を駆け上がってくる。
「走って走って! 逃げてくれた方が楽しいから!」
撫子は葵を見た。葵は真っ青な顔で頷く。
走った。必死に。今まで生きてきた中で一番速く。
役員室に飛び込み、分厚い扉を閉める。
「バリケードを!」
机を動かし、椅子を重ねた。集まってきた防衛隊の子たちが、震える手で護身用の拳銃を構え、扉の前に並ぶ。
「撫子会長、奥に」
葵の言葉に、撫子は首を横に振った。
「私は、ここにいる」
扉の外から、足音が聞こえた。複数の足音が廊下を駆け抜け、役員室の前でピタリと止まる。
静かになった。しばらく、何も起きない。
嫌な汗が背中を伝う。静かすぎた。
ふと、扉の向こうで誰かが歌っているのが聞こえた。鼻歌みたいな、スキップでも踏むような軽い歌。
それから。
「——行くよ」
声がした。
扉の前で何かが動いた。バリケードを築いていた防衛隊の子たちが、引き金に指をかけた瞬間——。
轟音とともに、扉が木端微塵に吹き飛んだ。
もうもうと上がる煙の中へ、黒い影が飛び込んでくる。
胸元で、手榴弾のピンを抜きながら。
連続する爆発。
堅牢なバリケードが吹き飛び、防衛隊の少女たちが宙を舞う。
煙が晴れると、黒い軍服を着た小柄な子たちが数人、役員室に入り込んでいた。彼女たちは全員、口元に狂ったような笑みを貼り付けたまま、短機関銃を乱射し始める。
凄惨な銃撃戦。防衛隊が必死に応戦し、撫子も拳銃を撃った。当たらない。
また一人、黒い軍服の子が飛び込んできた。
「どいてどいてー!」
ピンを抜きながら、笑って。
耳を劈く爆発。
強烈な爆風に煽られ、撫子は壁に激しく叩きつけられた。
立ち上がろうとするが、足に力が入らない。拳銃を構えようとした手は、痙攣したように震えていた。
黒い軍服の子が、ゆっくりと近づいてくる。
血まみれの顔で、ニコニコと笑っていた。
「もういいよ」
お姉さんが子供をあやすような、酷く優しい声だった。
「頑張ったね」
パン、パン、パン。
乾いた三つの銃声とともに、撫子の視界は完全に暗転した。
次回、8話:サクラチル-2 です!
ぜひとも次回も読みに来てください!
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