6話:ウルフ04の日常-2
ある日の夕食時。食堂のドアを開けた瞬間、むわっと濃厚な油と、焦げた肉の匂いが鼻を突いた。
いつもと違う。
配膳用の長いステンレスカウンターに、今日だけは信じられない光景が広がっていた。
大皿に盛られた料理が、ずらりと地平線のように並んでいる。山積みの唐揚げ、分厚いローストビーフ、色とりどりの小さなケーキまである。
「バイキング?!」
「おー! 今日バイキングじゃん!」
サキ先輩が目を輝かせてカウンターへ駆け出した。
「ラッキー!」
私も、お腹の虫が鳴るのをごまかしながら列に並んだ。手にした白い皿に、温かいハンバーグやポテトを乗せていく。トングを握る手がワクワクして震えた。
でも、ふと疑問が湧く。どうして、今日はこんなに豪華なんだろう。
「先輩、なんで今日バイキングなんですか?」
隣にいたリナ先輩に聞くと、彼女は一瞬ピタリと手を止め、向かいにいるハル先輩と無言で顔を見合わせた。
その後ろから、ミオ先輩が大きな皿に山ほど肉を積み上げながら、なんでもないことのように口を開いた。
「出撃前日は、バイキングって決まってんだよ」
サキ先輩が、イチゴの乗ったケーキを三つも皿に乗せながら、あっけらかんと言い放つ。
「最後の飯かもしれないしねー」
「……最後って」
「死んでも、まあすぐ蘇生されるけどね」
ハル先輩が、笑いながら唐揚げを口に放り込んだ。
「でもさ、死んだら胃袋の中身はリセットされちゃうし。美味しいものは、美味しい時に食べとかないと損じゃん」
カチャリ、と。
私が料理を掴もうとしていたトングの先が、空を切って皿に当たった。
周りを見渡す。何百人もの先輩たちが、私たちと同じように笑いながら、嬉しそうにこの豪華な食事を皿に盛っている。
明日、出撃。
熱気でむせ返る食堂の中で、その言葉だけが、私の胃の底へ冷たい石のように沈んでいった。
手の中の皿に乗ったハンバーグから、温かい湯気が立ち上っている。さっきまであんなに美味しそうに見えたのに。
今はまるで、ただの泥の塊に見えた。
翌朝。
重い足取りで向かった『大規模転移装置格納庫』は、私がこれまでの人生で見たどんな空間よりも巨大だった。
中央に鎮座する、直径百メートルはありそうな巨大な円形の装置。表面には血管のように無数のケーブルが這い回り、技術者の先輩たちが蟻のように慌ただしく走り回っている。外周に配置された八基のクレーンが、無骨な金属製の円筒——降下ポッドを、次々と装置の上へ降ろしていた。
格納庫の端には、各部隊が整列している。私達ウルフ04も、その一角に並んだ。
ミオ先輩が一歩前に出る。
「第一軍第三強襲降下歩兵連隊第二大隊第一中隊第四分隊、到着しました」
階級章をいくつも付けた見知らぬ先輩が、作業のように頷いて通り過ぎる。
「ミオ分隊長、ブリーフィングルームへ来てください」
ミオ先輩を見送って待機していると、格納庫の隅から大型の車両が入ってきた。
荷台から、台車に乗せられた『人』が降ろされていく。
ぼろ布のような衣服。首には無機質なチョーカーが赤く点滅し、腰にはガスグレネードのベルト。白衣の先輩たちに押されていく彼女たちは、虚ろな目で、何の抵抗もしなかった。
奴隷兵だ。
白衣の先輩たちが、降下ポッドのハッチを開け、彼女たちを無造作に押し込み始めた。
一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人、八人。
「……え」
ハル先輩が、小さく声を漏らした。
九人目が押し込まれる。十人。十一人。十二人。十三人。
「ちょっと待って。あれ、八人乗りじゃなかったっけ」
「そうだよ」
「なんで……」
十四人。十五人。十六人。
白衣の先輩がハッチを閉めようとするが、当然閉まらない。中から、誰かの青白い足や腕がはみ出している。先輩が体重をかけて必死に押し込んでも、隙間は埋まらなかった。
「すみませーん、お手伝いお願いできますかー」
白衣の先輩が、近くの正規兵に呼びかけた。呼ばれた正規兵が無言で近づき、ハッチに肩を当てる。力任せに押し込んだ。
メチャ、と。骨か肉が軋むような嫌な音がした。
ガチャン。
ロックがかかる。
「……上は、どんな作戦をするつもりなんだ」
ふと、格納庫の端に目が止まる。
私たちが乗る正規兵用とは明らかに違う、黒く細長いポッドが並んでいた。一回り以上スリムで、装甲もペラペラに見える。クレーンがそれを、まるで割れ物を扱うように丁寧に吊り上げる。
「あれ、違うポッドですね」
「突撃隊用だよ」
アヤ先輩が、手元の資料から目を上げずに淡々と答えた。
「五人乗り。装甲が薄い代わりに速い。地上ぎりぎりまでパラシュートを展開しないから、着地まで気づかれにくい」
「え、パラシュート、開かないんですか」
「ぎりぎりまで開かないだけ。開かなかったら死ぬじゃん」
アヤ先輩は紙をめくる。
「本隊より先に敵の後方に浸透して、重要設備を叩く。それが突撃隊の仕事だから、速さが最優先なの」
私は、その黒い棺桶のようなポッドを見つめた。
あの中に人が乗っている。装甲の薄い筒に入って、地上ぎりぎりまでパラシュートを開かずに落ちていく。
「怖くないんですかね、あの人たち」
「さあ」
アヤ先輩は、まるで明日の天気を占うように言った。
「怖くないんじゃない」
しばらくして、ミオ先輩が戻ってきた。
「集まれ」
声が一段階、低くなっていた。
「私たちの目標は、武蔵野庭園学園の第六学生寮だ。ウルフ03と合同で制圧する」
息を呑む気配がした。
「私らウルフ04の担当は西門。新入生が多い区画だから、捕虜を大量に確保したい。警備兵との交戦が予測される。投降した者は第二軍に引き渡す。——抵抗した者は各自の判断で射殺しろ」
「ナナ」
「はいっ」
声が裏返った。
「モモから離れるな。弾薬箱はユキと半分ずつ持て」
「片方持つね」
いつの間にか隣にいたユキ先輩が、静かに言った。
「ありがとうございます……」
「護身用の拳銃は常に携行。何かあったら叫べ。」
「はい」
「あ、そうだ」
ふと、ミオ先輩がいつものように、にやりと笑った。
「今回一人仕留めたら、夕飯のおかず増やしてやる」
「……え」
「いいなぁー!」
リナ先輩が心底羨ましそうに声を上げた。
「私も新入生の時、そう言ってもらいたかった!」
私は「はい」と言おうとして、喉がひっついて、声が出なかった。
「各分隊に配布してまーす」
ワゴンを押した白衣の先輩が近づいてきた。
渡されたのは、小さな丸いカプセルだった。半透明で、中に何かの液体が入っている。お菓子のグミみたいだった。
「あ、君新入生?」
先輩が私の襟元を軽くつまみ、そのカプセルをピンでパチンと留めた。
「自殺用カプセルだよ。捕虜になりそうになったら噛み砕いてね」
「……はい」
「グミみたいだけど、間違えて食べないようにねっ。初陣頑張って!」
先輩は笑顔でウインクして、次の分隊へ歩いていった。
私は、しばらくそこから動けなかった。
自殺用。
言葉の意味は分かる。でも、自分の首元にくっついているものが「それ」だって事実が、どうしても頭の中で結びつかない。
そっと指先で触れてみる。
本当に、グミみたいだった。柔らかくて、少し弾力がある。
講義で習った。捕虜になりそうになったら使う。情報を守るため。凄惨な拷問で苦しまないため。だからその前に、自分で。
頭では分かっている。だけど、それでも、分かっていることと、自分の服にそれが付いていることは、全然違う。
「ナナ」
アヤ先輩が横に来た。
「大丈夫?」
「……はい」
「最初はびっくりするよね」
アヤ先輩が、少しだけ声音を和らげて言った。
「でも、これお守りみたいなもんだから。使わなくて済むのが一番いいし、使う前に私たちが助けに行くから」
「……ありがとうございます」
アヤ先輩が頷いて、また資料の確認に戻る。
私はもう一度、首元のカプセルに触れた。
周りを見る。先輩たちは、普通だった。サキ先輩はさっきからずっと退屈そうに伸びをしている。ハル先輩とリナ先輩がまた何かふざけ合っている。モモ先輩が装備の最終確認をしている。ユキ先輩が無言で立っている。ミオ先輩が腰に手を当てて、格納庫を見渡している。みんな、普通だ。
首元にこのカプセルを付けたまま、普通に息をして、普通に笑いあっている。
私は何度も練習したはずだった。銃の扱い、匍匐前進、障害物突破。先輩たちと一緒に泥だらけになって訓練して、笑って、ご飯を食べて。
でも。
このカプセルを噛み砕く練習はしていない。
使い方は知っている。でも、これを使う自分がどうしても想像できない。
これが、戦争に行くっていうことなんだ。
今更ながら、そう思った。
『出撃十五分前。各部隊、降下ポッドへの移動を開始してください』
無機質なアナウンスが格納庫に響く。
ウルフ04に割り当てられたポッドは、訓練で使ったものとは全然違った。装甲が分厚い。着陸脚が異様に太い。表面には、無数の傷や焦げたような補修の跡があった。
ミオ先輩が最初に乗り込んだ。次にアヤ先輩、サキ先輩、リナ先輩、ハル先輩、モモ先輩、ユキ先輩。
私が最後だった。
中に入る。内壁には分厚いビニール質のカバーが張り付いていた。八人が乗り込むと、お互いの肩が触れ合うほど狭い。
白衣を着た技術者の先輩がポッド内に身を乗り出してきて、素早く計器類を確認した。
「よし」
ハッチの前に立つ。
「それではウルフ04、ご武運を」
重たい音とともに、ハッチが閉ざされた。
完全に、暗闇になった。
シュゥゥゥ……という音が響く。内壁のビニール質のカバーにエアーが注入され、膨らんでいく。身体が全方向からじわじわと押し潰されるように固定されていく。腕が動かせない。
すぐに完全に身動きが取れなくなった。
「初めての実戦用ポッドはどうだ?」
ミオ先輩の声が、暗闇の中で響いた。
「……狭いです」
「すぐ慣れるさ」
サキ先輩があっけらかんと言った。
ポッドがフワリと浮いた感覚がした。クレーンで吊り上げられているのだ。
しばらく、何も起きなかった。
真っ暗で、狭くて、誰かの荒い息遣いだけが耳元で聞こえていた。
転移は、一瞬だった。
——フッ。
内臓が喉から飛び出しそうな、急激な無重力感。
直後、鼓膜を破るような激しい風切り音と、パラシュートが開く暴力的な衝撃が体を襲った。速度が少しだけ落ちる。
「ナナ!」
ミオ先輩の声がした。
「はいっ!」
「モモから離れるなよ!」
「はいっ!」
しばらく、ゴオオオオという落下音だけが続いた。
「……対空砲火がねぇな」
ミオ先輩が、暗闇の中でぼそりと言った。
「こりゃ、うまくいってんのか」
誰も答えなかった。でも、その声を聞いて、私は凍りついていた肺が少しだけ動いた気がした。息ができた。
ガシャンッ! と外で着地脚が展開する音が響く。
「来るぞ!」
全員が一斉に、内壁のグリップを強く握りしめる。
——衝撃が、来た。
次回、7話:サクラチル です!
ぜひとも次回も読みに来てください!
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