9話:逃避行と交錯
第六学生寮の裏口から地下道へ飛び込んだ瞬間、ひんやりとした空気が田村楓の頬を撫でた。
非常用電源の薄暗い赤いランプだけが、長く続くコンクリートの通路を頼りなく照らしている。
「はぁっ、はぁっ……!」
肺が焼けるように痛い。それでも足は止められない。
地下道の途中の資材室。楓は勢いよく扉を開けた。
「ひっ……!」
部屋の隅で、十数人の新入生たちが身を寄せ合って震えていた。その前で、震える手で拳銃を構えていたのは武蔵野の防衛部隊の腕章をつけた上級生だった。
「……楓副会長!」
「無事だったのね! 状況は最悪よ。ここを出るわ。第七転移門から同盟の学園へ逃げるの」
楓が急いで言うと、防衛部隊の彼女は弾かれたように頷いた。
「私が先頭を歩きます。新入生たちを中央に」
暗い地下道を、十数人の足音が急ぎ足で進む。
あと半分。あと二分で転移門の下に出る。
その時だった。
——ガチャンッ!
頭上の天井から、重い防音扉が蹴り破られる激しい音が響いた。
楓たちの足がピタリと止まる。
「なんだ待ち伏せとかしてねぇのか」
天井越しに聞こえてきたのは、底抜けに明るい、場違いな少女たちの声。
全身の血が凍りついた。奴らだ。空から降ってきた、あの悪魔たちがこの第六学生寮に入り込んできたのだ。
「……バディで動く。私はサキと行く。モモはナナと組め」
ミオ先輩の低い声が、地下の配管エリアに響く。
「了解」「了解です」
私たちは分かれ、暗いコンクリートの通路を歩き出した。
カチッ、と。モモ先輩が銃の先端のフラッシュライトを点灯させる。
「ナナ、後ろ警戒して。私はこっちの部屋を見るから」
「は、はいっ」
モモ先輩が通路の横にある配電室のドアに手をかける。私はその背中を守るように、通路の奥へと少しだけ足を進めた。
暗い。怖い。首元のカプセルが、動くたびに冷たく肌に触れる。
ふと、前方から微かな衣擦れの音がした。
私は息を呑み、震える手で小銃を持ち上げ、フラッシュライトのスイッチを押し込んだ。
カッ——!!
強烈な白い光が、暗闇の奥を丸く照らし出す。
光の円の中に浮かび上がったのは。
武蔵野庭園学園の制服を着た、十数人の少女たちだった。
「え……」
ライトを持つ手がガタガタと震えた。
ただの女の子たちだ。私と同じくらいの、普通の女の子たち。
その先頭にいた腕章をつけた背の高い生徒が、光を浴びて弾かれたようにこちらを向いた。私と目が合う。
「——逃げて!!」
彼女が絶叫し、腰のホルスターから拳銃を抜き放った。
向けられる、黒い銃口。
殺られる。
思考よりも早く、訓練で何度も叩き込まれた反射が私の指を引き金へと押し込んでいた。
タタンッ!!
パンッ!!
発砲音が、狭い地下道で重なり合った。
私の放った弾丸は、彼女の胸を正確に撃ち抜いた。彼女の体が大きく後ろにのけぞり、血飛沫を上げて崩れ落ちる。
同時に、彼女の放った一発が、私の左胸に強烈な衝撃を与えた。
「あ……がっ!?」
ハンマーで殴られたような衝撃。肺から空気が弾き出され、私の体は後方へ大きく吹き飛ばされた。
後頭部が、硬いコンクリートの床に激突する。
視界が火花を散らして明滅し、そのまま深い闇へと落ちていった。
「ナナッ!!」
背後からの発砲音に、モモが飛び出してくる。
フラッシュライトの光の先には、床に倒れてピクリとも動かないナナの姿。左胸の軍服が破れ、倒れた頭の横には血だまりができているように見えた。
「嘘っそでしょ、ナナ! 」
モモは悲鳴のような声を上げると、暗闇の向こう側に短機関銃を乱射した。
ダダダダダダダダダッ!!!
銃声が、狭い地下道に轟く。薬莢が甲高い音を立てて床に弾け、射撃は壁を砕き、床を抉り、武蔵野の生徒たちが逃げ込んだ物陰の周囲に土煙と火花を散らす。
だが、狙いのない乱射は、誰にも当たらない。砕けたコンクリートの破片が楓の頬を掠め、新入生たちが小さく悲鳴を上げるだけ。
モモは素早く短機関銃を背負うと、倒れたナナの襟首を掴み、敵の追撃を警戒し力任せに通路の物陰へと引きずり込んだ。
モモがナナに駆け寄り、肩を抱き起こす。反応はない。
「ミオ先輩! ナナが撃たれました! 敵がいます!こっちです!早く!!」
モモの叫び声が響き渡る。
そんな怒号の向こう側。
楓は目の前で血の海に沈んだ防衛部隊の生徒を見下ろし、ガチガチと歯を鳴らしていた。
「…っ、そんなっ……!」
新入生たちが悲鳴を上げる。
「会長、これを……」
防衛部隊の彼女が、血を吐きながら震える指で自らの腰を指差した。
それは、円筒形のスモークグレネード。
楓は弾かれたようにそれを掴み取った。彼女が命と引き換えに作ってくれた、ほんのひと隙。奴らが倒れた少女に気を取られている今しかない。
ピンを抜き、敵のライトが光る方角へ向かって力いっぱいに投げつける。
プシュゥゥゥゥッ!!
瞬く間に、濃厚な白い煙が地下道を埋め尽くした。
「チッ、スモークか!」
舌打ちが聞こえる。
「走って! 絶対についてきて!!」
楓は煙に巻かれながら泣きじゃくる新入生たちの手を引き、第七転移門への最後の直線を死に物狂いで駆け出した。
「モモ! 無事か!」
スモークが晴れかけた頃、ミオたちが駆けつけてきた。その後ろでは、別の部屋に隠れていたらしい武蔵野の新入生たちが数人、後ろ手に縛られて転がされている。
「私は無事です、でもナナが……!」
モモが、青ざめた顔でナナを抱きかかえている。
ミオが舌打ちをして、ナナの左胸——制服が破れ、弾痕ができている部分に手を伸ばした。
「……おい」
ミオの怪訝な声に、モモが顔を上げる。
「これ、血じゃない。ただの泥水だ」
ミオがナナの破れた制服の胸ポケットから『それ』を引っ張り出した。
分厚い強化プラスチックとゴムで覆われた、真っ黒で無骨な長方形の塊。
配属された日に渡された、重たい軍用端末。
そのど真ん中に、武蔵野の生徒が放った9ミリ弾が、ひしゃげた状態でガッチリと食い込んでいた。
「……戦車に踏まれても壊れないって噂、マジだったんだね」
サキが、呆れたように息を吐く。
「う……ん……」
その時、ナナが小さく呻き声を上げて、ゆっくりと目を開けた。
「……あ、れ……? 私……死ん……」
「馬鹿、生きてるよ」
モモ先輩が、涙ぐみながら頭を小突いた。
「……ほんと馬鹿。死んだかと思ったじゃん」
ナナは、ひしゃげた銃弾が突き刺さった端末を見て、大きく息を吸い込み、そのままモモ先輩の腕の中でガタガタと震え始めた。
死にかけた恐怖。
そして通路の奥で倒れている、自分が撃ち殺した見知らぬ少女の死体。
その死体を見たミオ先輩が、ふと口角を上げた。
「……おいナナ。あれ、お前がやったのか?」
「え……あ、はい……」
「ははっ、すげえじゃん!」
サキ先輩がナナの背中をバンバンと陽気に叩く。
「初陣でちゃんと撃ち返してキル取るとか、上出来だぜ!」
「よくやったな。これで今日の夕飯は、約束通りお前のおかず一品追加だ」
ミオ先輩が大きな手で、ナナの頭をガシガシと荒っぽく撫回す。
モモ先輩も「本当に、生きててよかった……」と、ホッとしたように笑いかけてくれた。
褒められている。
人を殺したのに、先輩たちは私をこんなにも優しく、温かく褒めてくれている。
ナナの初めての『戦争』は、こうして終わった。
「……ちっ。逃げられちまったか。」
捕まえた新入生たちが悲鳴を上げる。ミオはそれを聞きながら暗い通路の奥を睨みつけた。
だが、その声に焦りはない。
ウルフ04の任務である「捕虜の確保」は、別の部屋で見つけた新入生たちで十分にボーナス基準に達していたからだ。
「まあいいさ。ノルマには達したし、私たちの仕事は終わりだ。ネズミ狩りは他の部隊に任せとけ。」
ミオの言葉に、ウルフ04の面々は頷き、震えるナナを連れて地上へと引き返していった。
暗い地下道の奥、第七転移門。
楓たちはついにそこへたどり着いていた。
次回、10話: 血路を開けです!
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