4話:夜の訪問者
深夜三時。
武蔵野庭園学園の地下深く、蘇生ホールの扉が、音もなく開いた。
「——ねえ」
小柄な影が、暗闇の中でぼそりと言った。左目だけが、ヘッドライトの光を硬く跳ね返す。
「この学園ってさ、本っ当に貧乏だよね」
サキ——武蔵野では、白鳥美咲と名乗っていた——が、蘇生プラントを見上げて言った。
「蘇生プラント、Mk-Ⅱじゃん。Mk-Ⅱだよ? うちのMk-Ⅳと比べてみてよ」
「食堂のご飯もまずかったし」
「制服もダサいし」
「三週間も潜伏してて、いいことな~んにもなかった」
三つの影が、ヘッドライトをつけて蘇生プラントの前に立っていた。それぞれ、大きめのバッグを背負っている。日用品でも入っているような、何の変哲もない見た目のバッグだった。
霞学園の戦略情報局所属の潜入工作員は、任務にあたる際、必ず片方の眼球を摘出し、代わりに小型カメラを埋め込む。どちらの目にするかは、任務ごとに決められる。今回、サキに割り当てられたのは左目だった。
生徒会室で撫子が身を乗り出して、机の資料を無防備に広げていたあの時。サキの左目は、その一字一句を静かに拾い続けていた。同盟各校の防衛体制、離脱状況、埼玉第三小学園への対応方針——記録されたすべてのデータは、すでに戦略情報局本部へ送信済みだ。
サキが、飴玉を口に放り込みながら、バッグから取り出したC4爆弾を、動力パイプに手際よく貼り付けていく。
「まあでも、ここが一番大事なとこだから。ここさえ壊せば——」
「この学校のお姉さんたち、生き返れなくなるね」
「かわいそう」
「零お姉様が言ってたじゃん。『蘇生できない恐怖を与えることで、スムーズに降伏させる慈悲だ』って」
「そっかぁ。優しいね」
「あ、そうだ」
別の子が、小型の端末を取り出した。
「サキ、キーのコピーって終わってるんだっけ?」
「終わってるよ」
サキが飴玉を転がしながら答えた。
「全員?」
「うん。零お姉様に怒られたくないから、念入りにやっといた」
「これがあれば——」
「このプラントが吹き飛んじゃっても、みんな霞学園で起こせるね」
「良かったねぇ」
そこへ、廊下から足音が聞こえた。
見回りの警備員だった。
「あ、見つかっちゃった」
もう一人の工作員が、軽い足取りで前に出た。
「こんばんは」
警備員が、驚いた様子で振り返る。
「な、誰——」
その視線が、声をかけた工作員に向いた、一瞬。
サキの右手が、動いた。
バッグの脇のポケットから、注射器型の投薬デバイスが抜き出される。反射防止の暗色処理が施されていて、常夜灯の下でも、一切の光を返さない。抜く、というよりもそこにあったものが、ただ自然にそこへ移動したような、無駄のない一動作だった。
振り向いていた警備員の背後から、サキが詰める。
針が、首筋に一突き。
抵抗する暇も、悲鳴を上げる暇もなかった。効き始めるまでの一瞬すら、与えなかったからだ。
警備員の膝が、崩れおちる。サキが慣れた手つきでその体を抱えるように受け止めた。
「……二十四時間、ってところかな」
サキが、投薬デバイスの残量表示を確認して言った。
「配線室、どこだっけ」
「あっちの、突き当たり」
もう一人の工作員が、廊下の奥を指した。
二人は、力を失った警備員を、両側から抱えるようにして運んだ。突き当たりの、配線盤が並んだ小部屋。ケーブルの束が這う、狭い隙間に、その体を押し込む。
扉を閉める。
サキが、扉の隙間に、小さな金属のウェッジを差し込んだ。裏側の蝶番を噛むように打ち込まれたそれが、内側からの圧力だけでは外れない構造になっている。
もう一人が、鍵穴に小型のチューブから接着剤を流し込んだ。数秒で固まる速乾性のものだった。これでこの部屋を正規の手順で開けるには、鍵を壊すか、扉自体を破壊するしかなくなる。
「よし。これで明日の朝までは、誰にも気づかれない」
サキが手についた埃を払って、伸びをした。
「明日の朝、ドカンといこうね」
三人は、笑いながら地下を出た。
廊下はがらんとしていた。遠くで、風が窓を揺らす音がした。
「あとは、ビーコンも埋めないと」
サキが立ち上がった。
「どこにする?」
「庭園の広場。真ん中あたり」
「あそこ、昼間は人がいっぱいいたじゃん」
「夜中だから大丈夫だよ」
三人は地下を出て、庭園に向かった。
夜の庭園は、静かだった。
噴水の水音だけが、規則正しく響いている。ライトに照らされた花壇の輪郭が、昼間とは違う、少し寂しい色をしていた。
校庭の方角から、風に乗って、機械油の匂いが微かに流れてきた。あちこちに立てられていたはずの防衛兵器は、もう、ここにはない。撫子が信じた「開けた場所」は、あの校庭の方だった。この庭園に残ったのは、噴水と、花壇と、ベンチだけだった。
サキが広場の中央にしゃがんで、バッグから取り出した携帯シャベルで土を掘り始めた。
「ここがど真ん中かな」
「いいんじゃない?」
小さな金属の筒を、土の中に埋める。
「これで明日、ここに転移門が開くわけ」
「きれいな庭園だったのにねぇ」
別の子が、のんびりと言った。
「まあ、明日も庭園はあるんじゃない?」
サキが立ち上がって、土を軽く踏み固めた。
「血で染まるだけでね」
三人は顔を見合わせて、また笑った。
噴水の音だけが、静かに続いていた。
また見に来てくれてありがとう!!
次回、5話 サクラチル です!
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