3話:嵐の前の静けさ
【武蔵野庭園学園 役員室】
放課後のチャイムが鳴った。
会長・清川撫子は、生徒会室の窓から庭園を見下ろした。
花壇の手入れをしている子がいる。ベンチで友達と笑っている子がいる。噴水の前で写真を撮っている子がいる。夕日が庭園を橙色に染めて、風が花びらを揺らしている。
きれいだなぁ。
毎日見ている景色なのに、最近はこうして立ち止まって見てしまう。失いたくないから、目に焼き付けておきたいから。
「——撫子会長」
副会長の田中葵が、資料を手に近づいてきた。その顔が、少し曇っている。
撫子は窓から離れて、椅子に座った。
「埼玉第三小学園から、同盟脱退の打診が来ています」
「……また?」
こめかみを押さえる。
「これで今週三件目ね」
「仕方ありません。同盟結成からもうすぐ三ヶ月……。学園陶冶競争法に定める離脱可能期間に入りますから」
葵が、悔しそうに唇を噛む。
「今、同盟を抜けて霞学園に媚びを売れば、報復を免れられる。自分たちだけ助かろうとする学園が出るのは、悲しいですが分かっていたことです」
撫子は重いため息をついた。
分かっていた。分かっていたけれど。
同盟を結成した時、みんなの顔を覚えている。三十一校の代表たちが集まって、手を取り合って、「一緒に守ろう」と誓った日のことを。あの時は本当に、希望があると思った。
「脱退を申し出た学園に、連絡を取ってもらえる?」
「はい。ただ——」
葵が言いよどむ。
「彼女たちの気持ちも、分かるんです。小学園には、戦う力がない。霞学園が来たら、同盟がどれだけ大きくても、小さな学園は真っ先に踏み潰される。それが分かってるから、逃げ道を探してる」
「分かってる」
撫子は静かに言った。
「だから、こちらから連絡して。『あと少し耐えれば、私たちの結束は本物になる。三十一校が完全に団結した相手には、霞学園だって手を出せないはずだ』と伝えて」
葵が頷いた。でもその目に、確信はなかった。
撫子も、分かっていた。自分の言葉が、どこまで届くか。
昼休み、生徒会室に、三人の留学生が顔を出した。
「会長、少しお時間よろしいですか」
リーダー格の少女——白鳥美咲と名乗っていた——が、遠慮がちに切り出した。
「実は、私たちの以前住んでいた学園が、霞学園の侵攻を受けたんです」
撫子は、資料をめくる手を止めた。
その資料は、机の上に広げたままだった。同盟各校の防衛体制、離脱状況、埼玉第三小学園への対応方針——今日の会議のために作った、まだ誰にも渡していない一枚。
美咲の視線が、一瞬、その紙面を撫でる。
「……そうだったの」
「今の学園に保護してもらう前の話です。あまり、話したいことではないんですけど……武蔵野の皆さんのお役に立てるならと思って」
美咲は、少し声を落とした。
「霞学園の侵攻って、空から来るらしいんです。転移装置を使って」
「空から?」
撫子は、身を乗り出した。手元にあった別の紙を引き寄せ、学園の敷地図を広げる。
「詳しいことは、私たちも分からないんです。当時、そういう噂を聞いただけで……気づいたら、もう終わってました」
「そう……もし本当に空から来るなら、どこに降りてくるんでしょう」
撫子は、敷地図に目を落とした。校舎、庭園、グラウンド。
「開けた場所じゃないと、着地できないんじゃないかしら」
「そうかもしれません」
美咲が、少し考えるふりをした。
「上から落ちてくるものだから……木や建物が密集した場所には、降りにくいはずです。前の学園でも、確か——一番広い運動場に、真っ先に来たって話を、聞いたことがあります」
「グラウンド……」
撫子の指が、敷地図の上を動いた。校舎の裏手にある、広い運動場を指し示す。武蔵野の敷地の中で、最も開けた場所だった。
「じゃあ、まずここを固めるべきかしら。校庭に、防衛の重点を置く」
「いいと思います」
美咲が、控えめに頷いた。もう一人の留学生も、同意するように相槌を打った。
撫子は、その頷きに励まされたように、ペンを走らせた。
一通り書き終えて、顔を上げる。
「……ありがとう」
美咲が、少し不思議そうな顔をした。
「え?」
「話してくれて。つらいことだったでしょう、思い出すの」
撫子は、ペンを置いた。
「自分の出身の学園が大変な目に遭って、それでも私たちのために話してくれた。本当に、ありがとう」
美咲は、一瞬、何も言わなかった。目を伏せて、それから小さく笑った。
「……いえ。私たちも、武蔵野さんに、お世話になっていますから」
「それでも」
撫子は、まっすぐに美咲を見た。
「無理して話さなくてよかったのよ。それでも、話してくれたことが、ありがたい。同盟って、そういうことの積み重ねだと思うから」
その言葉に、美咲はただ、少しだけ、目を伏せたままでいた。
「じゃあ、また後で」
「はい。良い一日を」
三人が歩き去っていく。撫子は資料に目を落とした。今日も、幾つもやるべきことがある。
その日の役員会で、撫子はこの案を提示した。
「霞学園は、空から来ることがあるらしいの。開けた場所に降りてくるはずだから、校庭を中心に、防衛を固めたい」
「校庭、ですか」
副会長の葵が、敷地図を覗き込んだ。
「確かに、あそこが一番、開けていますね。防衛計画には、地上の門と、地下の転移門しか想定していませんでしたが……」
「機関砲も、校庭の周りに集中配置したい」
撫子は、端末を操作して、カタログを検索した。
「既存の物に追加して十機ほど、揃えられる?」
葵が、予算表に目を落とした。表情が、少し曇る。
「……正直、厳しいです。同盟校への支援に、今月の予算のほとんどを回していますから」
「分かってる」
「非常予算を切り崩せば、なんとか捻出できます。でも、それをやると、来月以降の同盟支援に影響が出ます」
撫子は、少し考えた。
「霞学園が、私たちを最初に狙うとは限らないのよね」
「はい。可能性は高いと思いますが……同盟三十一校のうち、どこを最初に狙うかまでは、分かりません」
葵が、資料をめくった。
「同時に複数校を攻撃してくる可能性もあります。そうなれば、こちらの防衛力だけでなく、同盟全体でリソースを分け合う必要が出てきます」
「うちだけが、防衛を固めればいいわけじゃない」
撫子は、資料の同盟校のリストを見た。財政に乏しい小学園の名前が、いくつも並んでいる。武蔵野が支援を止めれば、真っ先に潰れるのは、あの学園たちだった。
「うちの防衛も大事。でも、同盟校への支援を完全に切ることは、できない」
「……そうですね」
「非常予算を使って。校庭の防衛の方が優先よ。でも、同盟支援も、できる範囲で続けて」
「……承知しました」
葵の声は少し重かった。武蔵野は、今や決して裕福な学園ではない。同盟を結成し、財政の厳しい小学園を支えるために、自校の余裕をずっと切り崩し続けてきた。今回の防衛費も、同盟支援も、両方を同時に抱えることは、この学園の体力では決して楽なことではない。
限られた資源を、どこにどれだけ割くか。それを決めることこそが、学園連合盟主校の会長という立場の重さだった。
「お願い」
その週のうちに、カタログから機関砲が十機届いた。校庭を取り囲むように、それぞれ空へ向けて据え付けられた。もともと、庭園や本部棟の周りにあった僅かな機関砲まで、この校庭防衛のために移動させられた。武蔵野の防空能力は、そのほとんどが、この一箇所に集約された。
撫子は、校庭を囲むように並んだ機関砲を見て、少しだけ安心した。防衛の重点は、はっきりと定まった。理屈の通った、堅実な布陣だ。
放課後の会議は、三時間続いた。
脱退を申し出た三校のうち、二校は引き止めることができた。一校は、それでも翻意してくれなかった。
会議が終わった後、撫子が一人の生徒を呼び止める。
「楓さん、ちょっといい?」
「はい」
「埼玉第三小学園への使者なんだけど、お願いできる? 貴女なら上手く話してくれると思って」
楓が頷く。
「今夜、行ってきます」
みんなが帰った後、撫子は一人で生徒会室に残った。
窓の外は、もう暗かった。
庭園のライトが灯っていて、昼間とは違う静かな美しさがある。噴水の音だけが、遠く聞こえる。
「あと十日」
同盟結成から三ヶ月が経てば、離脱が自由になる。それまでにこのまま結束を完璧にできなければ——
撫子は、そのことを考えないようにしていた。考えても、答えが出ないから。ただ、今日できることをやるしかない。明日できることを、明日やるしかない。
立ち上がって、カバンを持った。
帰ろう。明日も、早く来よう。
生徒会室の電気を消した。
廊下に出ると、誰もいなかった。遠くで、掃除をしている生徒の音が聞こえる。
撫子は歩き出した。
明日も、庭園はきれいなはず。
また見に来てくれてありがとう!!
次回、4話 夜の訪問者 です!
感想、ブクマ、評価などいただけると、更新のエネルギー(生贄コスト)になります! よろしくお願いします!




