1話:ウルフ04の日常-1
ウルフ04と書かれた扉の前に立って、一度だけ深く深呼吸をする。
指先が震えていた。でも、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「第三強襲降下歩兵連隊第二大隊第一中隊第四分隊に配属になりました、ナナミです。よろしくお願いします!」
震えを誤魔化すように、わざと大きな声を出して扉を開けた。
むわっと、甘い制汗剤の匂いが鼻を突く。
ベッドに寝転がって雑誌を読んでいた子、布で丁寧に銃を磨いていた子、二段ベッドの上で足をぶらつかせていた二人組。全員の視線が私に突き刺さる。
いちばん奥から、背の高い先輩がのっそりと立ち上がった。
威圧感に思わず後ずさりそうになったけれど、先輩は私の目の前まで来ると、まじまじと顔を覗き込んできた。
「ナナミか。じゃあ、ナナだな」
「え、あ、はい」
「ミオだ。ここの分隊長やってる。ようこそナナ、ウルフ04へ」
ぽん、と。
大きな手が、私の頭を乱暴に、でもどこか優しく撫でた。
張り詰めていた糸が、少しだけ緩むのを感じた。
それから順番に紹介してもらった。
副分隊長で、几帳面そうなアヤ先輩。小銃手でいつもふざけ合っているサキ先輩とリナ先輩。上のベッドから顔を出した機関銃手のハル先輩。黙々と短機関銃を磨いている制圧兵のモモ先輩。そして、窓の外を静かに見つめている分隊狙撃兵のユキ先輩。
「弾薬の管理と、分隊の雑用がナナの最初の仕事ね」
アヤ先輩が、クリップで留められた数枚の紙を手渡してきた。
「あとこれ、部屋のルール。ミオが勝手に作ったアホみたいなやつだから、適当でいいわよ」
受け取って、目を落とす。
『一、夜は消灯時間厳守。二、ユキを背後から驚かさないこと。三、ミオの抱き枕を拒否しないこと。etc...』
「……抱き枕、ですか?」
「ミオは図体でかいわりに冬は寒がりなんだよねー」
ハル先輩が上の段から顔を出して笑う。
「ナナもすぐ慣れるよ。あったかいから」
リナ先輩も隣でくすくす笑っている。
さっきまでの恐怖が嘘みたいに、ここは普通の部屋だった。
その日の夕方のこと。
ドアが乱暴に開いた。
ミオ先輩が、抱えていた段ボール箱をベッドの上にドサリと放り投げる。
「ほらよ。今年度の分の軍用端末だ」
傾いた箱の中からゴロンと転がり出てきたのは、真っ黒で無骨な長方形の塊だった。
「作戦時にスマホ持ち込み禁止なの、マジでテンション下がるよねー。せめてピンクとかあればいいのに」
リナ先輩が文句を言いながら、その黒い塊を一つ手に取って、ぽんぽんと手の中で軽く弄ぶ。
「ナナ、お前の分」
ミオ先輩からポイッと投げ渡され、私は慌てて両手で受け止めた。
——重っ。
見た目から想像する倍は重かった。
分厚い強化プラスチックとゴムで覆われていて、画面はやけに小さい。私が昨日まで使っていた薄くて軽いスマホとはまったく別の、ただの『鈍器』みたいな機械だった。
「個人端末は情報漏洩防止のために寮の敷地外へ持ち出し禁止。ここからはその軍用端末が命綱になるから」
アヤ先輩が自分の端末を指先でくるくると回しながら言う。
「とりあえず電源入れて、右下のセンサーに親指乗せて。指紋登録しないとロック解除もできないから」
言われた通り、冷たいセンサーに親指を押し当てる。
ピピッ、と短い電子音が鳴った。
小さな画面に『登録完了:ウルフ04/ナナ』という無機質な文字が浮かび上がる。
「それ、無くしたら始末書だし、壊したら給料から天引きだからねー」
ハル先輩が上のベッドから顔を出して脅かしてくる。
「えっ」
私は慌てて、手の中の重たい塊を落とさないように強く握り直した。
「大丈夫だよ」
モモ先輩が、擲弾筒を磨く手を止めずにクスリと笑った。
「それ、戦車のキャタピラに踏まれても壊れないって噂だから。私たちの頭蓋骨より、よっぽど頑丈にできてるよ」
あはは、確かに! と、先輩たちが楽しそうに笑う。
私も愛想笑いを浮かべながら、手の中の分厚い端末をそっと撫でた。
私たちの頭蓋骨より、頑丈。
数日が経った。
訓練は毎日あった。射撃、匍匐前進、障害物突破。基礎課程で習ったことを必死に思い出しながら、泥だらけになって先輩たちについていく。
夕食の時間になれば、ハル先輩とリナ先輩がいつものようにふざけ合い、サキ先輩が呑気な相槌を打つ。モモ先輩は相変わらず黙々と擲弾筒の手入れをしていて、ユキ先輩は静かに外を眺めている。アヤ先輩が小言を言いながら難しそうな資料をめくり、ミオ先輩がそれを聞いて豪快に笑う。
——ここは、居心地がいい。
ずっとここにいたいと、心からそう思っていた。
「そういえば昨日の対抗訓練、何回死んだ?」
ふいに、ハル先輩が唐突にそんなことを言った。
「三回。最後にやっとミオ先輩の頭ぶち抜けたわ」
リナ先輩が笑いながら答える。
私は、息を呑んで「えっ」と声を漏らしそうになった。でも、二人はもう次の『今日のデザート』の話題に移っていて、私の戸惑いなんて誰も気に留めていなかった。
モモ先輩は、私の面倒をよく見てくれる。
兵科は制圧兵。敵が立てこもっていそうな建物や陣地に、真っ先に飛び込む役割だと教えてもらった。短機関銃を使うのは、狭い場所での取り回しがいいからだそうだ。遠くを狙うより、目の前の敵を瞬時に制圧することを優先する。
「要するに、一番最初に死ぬ係。」
そう言って、モモ先輩は笑った。笑いながら、手の中の黒光りする短機関銃を撫でた。
「この子、前の子がダメになっちゃった時に引き継いだんだよね」
モモ先輩が、短機関銃を愛おしそうに撫でながらさらりと言った。
「え……ダメに、って……?」
「敵のスナイパーに頭を撃たれちゃってね。蘇生はしたんだけど、脳に損傷が残って記憶障害になっちゃってさ」
「滅多に起きるエラーじゃないんだけどね。仲良かったんだけど。あの子、本当に運がなかったよ」
モモ先輩は、その短機関銃を、哀しそうに、本当に哀しそうに撫でた。
前の子。
記憶障害になった前の子の武器を、今、モモ先輩が使っている。
背筋に冷たいものが走った。
ここは、普通じゃない。
何も言えなかった。喉の奥が干からびたみたいに、ひりひりしていた。
その頃、本部棟では——
読みに来てくれてありがとう!!
次回、2話:捕食者たちのお茶会 です!5月19日 19時更新予定です!
しばらくは毎日で投稿予定ですっ!
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