第19話 歩けなくなった猫 やって来たソイリ家
リヒトさんは、日ごとに、
頭も言葉も、はっきりしてきて、
起きている時間の方が多くなってきた。
一番問題なのは、毒の影響で、
足にしびれが残り、歩行が困難になっていることだ。
でも、リヒトさんは泣き言一つ言わず、
侍医の勧めにしたがって、
必死に痛みをこらえ、歩く練習をしている。
一歩一歩、足を踏み出すリヒトさん僕が支えようとすると、
「それじゃあリハビリにならないわ!」
とプリプリしながら、フラフラ危なっかしく一歩踏み出し、
途端に崩れ落ちて、僕が抱きとめる。
あの、屋根までスルスルと登っていた、しなやかなリヒトさんが、
もしかして、二度と普通に歩けないのか…
と思うと、胸が苦しくなる。
でも…
それでも、
彼女は生きているんだ。
*******
リヒトさんは、まだ、僕のプロポーズの話をしない。
そろそろ返事を聞きたい、とも思う。
返事のことを思うと、覚えず心臓がドキンとする。
でも、リヒトさんは、僕と二人きりになりそうになると、
慌てて、「リヒトさん付き」を呼んだりするし、
僕が甘い空気を出そうとすると、逆に塩辛い発言をしたり…
この彼女の反応は、以前の僕なら、
心を激しく乱していただろうが、
ちゃんと彼女がプロポーズを認識していることの証左だし、
彼女の中では、まだだという思いがあるのだろう…
と考えている。
とはいえ、僕としては、
僕が「結婚したい」という意思表示をしたことは大きいと思っている。
彼女は、僕の気持ちについては大いに安心して、
自分が承諾するかどうかだけを、考えればいいんだから。
******
午後
次の予定は、リヒトさんのお見舞いに行くことだ。
その前の予定が長引いたものの、
今なら、リヒトさんがお茶をしている姿を見られるのでは?
僕は伸びを一つすると、モレルに「リヒトさんの部屋に行く」と告げて、執務室を出る。
その瞬間、ヤンが急いでやって来るのが見えた。
「ヘラ様とヘスティア様が面会をご希望です。
どんどんこちらに向かっています。」
血の気が引いた。
が、「ここで応対する。」とヤンに告げ、
司法官を呼ぶように言いつけると、立ったまま待つ。
ほどなく、ヘラとヘスティアが来た。
「ご用件は。」
「分かるだろう。結婚、ヘスティアのことだよ。」
「お断りすると伝えた。」
「大王様」
ヘスティアが後方から、手を握り合わせて、哀願するように言う。
「大王様をお慕いするあまり、ご無礼をいたしましたこと、
お詫び申し上げます。
ただ…晩餐会などでお見掛けするたびに、私は大王様を…」
「結論を言え。」
「…私を婚約者の候補としてお考えいただきたいのです。」
「断る。
私には、結婚を申し込んだ相手がいる。」
『エッ』
二人同時に息を飲み、目を見交わす。
その時、廊下の向こうから、窓辺の小鳥のような、
楽しそうなさえずりが聞こえてきた。
「シーッ!エデさん!
ここまで一人で歩けたって、驚かせるんですから…」
廊下の角から、ひょっこりと…
後ろにいるらしいエデを振り返って、
人差し指を口につけて笑っている、リヒトさんが現れた。
バカンティエで買った、あのラピス・ラズリの服を着ている。
リヒトさんは、パッとこちらを向いたが、
その瞬間に真っ青になって凍り付いた。
僕はリヒトさんのところに飛んで行って、彼女を支えた。
そして、低い声で、二人の女に言った。
「私が結婚を申し込んだのは、この女性だ。」
「やっぱり、晩餐会のときの【ヤブサメ家の女】じゃないか!!」
老婆ヘラは、リヒトさんを食い入るように見ている。
「アンタは、猫族だろう?
かなり昔だが、猫族に会ったことがある…
ちょうど、こんな黒い髪で、オレンジの目だった。」
忌々しそうにまくし立てる。
「あの舞踏会で、この娘を見たときから、おかしいと思ったんだ。
何が、ヤブサメ家だ。
あの十二支連中も嘘つきじゃないか!
大王様、うなじを見なさい。猫族の刻印【١٣】があるはずだ。」
「見る必要はない。
私は、彼女が猫族と知っている。」
「なんということ…知っていて、結婚を申し込んだ?」
「そうだ。」
ヘスティアが我慢できないというように割り込む。
「貴女は、前、ここに来たときにいたお役人よね?
黒いフードで包帯をした…」
「はい…」
リヒトさんが律義に答える。
「あら…役人なのに、大王様と良い仲なの?!
仕事にかこつけて、裏で大王様を誘惑したのね!」
苛々した強い声をヘスティアが上げる。
リヒトさんが何か言う前に、僕が答えた。
「リヒトさんは、僕たち十二支の無理な依頼を聞いて、
わざわざ大神殿に来てくれた人だ。
それに、僕が勝手に好きになっただけだ。」
「おばあ様、この役人、夜に、宮殿の屋根で、大王様と密会して…
破廉恥なことをしていましたわ!」
ヘスティアに見られていたのか…
僕は、今にも倒れそうなリヒトさんを抱き上げた。
「あの屋根のことなら、破廉恥なのは僕だ。
彼女は一人でいたのに、僕が勝手に追いかけて、
抱きしめてしまったんだ。
それ以上は何もない。」
僕はヘスティアをジロリと見た。
「リヒトさんは、
勝手に、自分から、
大王で、男性である僕の部屋に押しかけて、
いやらしく誘うようなお前とは違う。」
「…シリウス、お前は…」
「大王様と呼べ。」
「ああ、なんて残念な孫だろう…
尊属である私に向かって…
まあ、いい。
これもソイリ家のためだ。」
「話は終わりか?」
「猫族との混血を残せば、鼠族の中で分断が起こる。
大王様はそれがどんなに争いを生むか、分からないのかい?
このディモイゼ州で、鼠族の争い…死人まで出る…」
「黙れ!!!!!!!」
(次話に続く)
カクヨムでも掲載:https://kakuyomu.jp/works/2912051595951960067
十二支と神鼠は猫に「こい」
第Ⅰ章(人生の 最後のページで 見えるもの):https://ncode.syosetu.com/n5418ls/
第Ⅱ章(猫に恋する神鼠 妹に恋する禁忌の竜):https://ncode.syosetu.com/n3802lt/
第Ⅲ章(神山ゴテスベルクと猫天神):https://ncode.syosetu.com/n9385lu/




