第88話 責任の取り方
どのくらいそうしていたのだろう。
気づけば辺りは暗闇に包まれつつある。
清雅は両膝をついたまま、元輝が身を投げた崖の前で首を垂れていた。
目には何もうつらない。
ただ、風の音と、自分の影だけが、自分がまだ生きていることを教えてくれる。
頭を上げた。
兄はいない。
九曜も――。
もう、何もない。
自分には、何も残されていないのだ。
―― 警察が、お前を許すと思ったら大間違いだぞ
もう何度も、兄の言葉が頭の中で繰り返された。
兄の優しげな目と共に。
その言葉だけが虚しく響き渡る。
「俺は、何を待っている――」
寒さのためか、手指の感覚さえない。
心も体も凍りついたように動かなかった。
清雅はおもむろに腰にさした脇差を鞘ごと引き抜いた。
それを、自分の膝の前に置く。
「終わりにしよう」
ひとりでに言葉が口からこぼれた。
ふと、九曜の目から見た警察所を思い出す。
ひどい有様だった。
怪我人がどれほど出たかもわからない。
そしても死人も……
―― 清雅は、倒れた時に前のめりになるように、着物の裾を両膝の下に挟みこむ。
右手で柄、左手で鞘を持って脇差を静かに抜きはなった。
頭の中に何も声がしない。
ずっと共にいた九曜がもういないのだ。
―― 警察が、お前を許すと思ったら大間違いだぞ
兄の最後の言葉だけが響いた。
「そうですね」
自然と笑みが口元にはりつく。
刃を上に向け、逆手になるよう両手でしっかり握りしめた。
冷たい感触が手のひらから伝わってきた。
ためらいなど何もない。
ここで責任をとる。
両手で握った脇差を自分の腹の前に持っていく。
「兄上、すぐに参ります」
目を瞑った。
「みんな、ごめん」
抑揚のない声が、自分の口からこぼれ落ちた。
「父上、申し訳ございませんでした」
清雅は腕を振り上げた。
「清雅くーん」
はたと、手を止める。
聞き間違いか?
「近衛ー!!」
遠くから自分を呼ぶ声がする。
「清雅ー!
いたら返事しろ!」
清雅の手から脇差が滑り落ちた。
両手を地面につけ、四つ這いになる。
そのまま額を地面に擦り付ける。
「なんで」
涙が頬をつたった。
「なんで、みんなが来る?」
「清雅くーん!」
にわかに声が近づいた。
一ノ瀬だろう。
清雅は立ち上がった。
皆のところに戻るつもりはない。
ただ ――
最後に一目だけ ――
一目だけ、皆の顔を見ておきたかった。
声のする方に走る。
「清雅ー!!
お前に死なれるとワシは切腹だー」
「近衛ー!
団子おごれー」
「清雅くーん!
貸した本返してー」
(いやいや、貸したのは、こっちだから)
清雅は走りながらツッコむ。
「近衛すまん!
俺が悪かった!!」
誰かが謝った。
声からして藤堂だろう。
(なんで?
何に謝ってるの?あの人)
木々の影から警察隊の面々が見える。
手首と首に晒木綿を巻いたエリオット。
足をにわかに引きずる高岡。
肩を固定し、腕を吊り下げている藤堂。
提灯で皆の足元を照らしながら進む新人三人。
前屈みに歩きながら、時おり、痛みに顔を歪める一ノ瀬。
それを、支える黒崎。
清雅は遠くから皆を見ていた。
(みんな……)
涙が頬をつたう。
(ありがとう)
最後に見ることができて良かった。
(でも、俺はもう……戻れない)
清雅は警察を選んだ。
そして、
兄は死んだ。
それなのに、のうのうと皆のところに戻るなど、できるはずもない。
(一ノ瀬さんごめん)
(約束……守れませんでした)
清雅は深々と頭を下げた。
皆の声が遠ざかる。
先ほどの場所へ戻ろう。
清雅が背を向けようとした瞬間。
「一ノ瀬!」
黒崎の叫ぶ声がした。
清雅は顔を上げる。
一ノ瀬が足を滑らせそうになったのだ。
「だから言っただろう!
もう、お前は帰れ!!!」
「まだ、こけてもないのに、黒崎さんはまるで鬼のようだ!」
―― 喧嘩している。
「こけたら最後だ!
お前は死ぬ!」
(え?)
(死??)
清雅は思わず近づいた。
「そういう、根拠のない言いがかり。
そうやって下の者を萎縮させるのは、どうかと思うけど?」
一ノ瀬がやり返した。
「お前の方が、私より上だろ!」
「じゃあ、態度を改めてほしいな。
黒崎くん!」
皆が二人の喧嘩を止めに入った。
「紫苑、黒崎の言う通りだ。
もう見ちゃおれん。
お前は藤堂と帰れ」
相良がため息をついた。
「私とですか?」
藤堂は動揺している。
「とにかく、肋の折れた者を、これ以上進ませるわけにはいかん」
相良の言葉に「私は折れてませんけど」藤堂がぼそぼそとつぶやいた。
(一ノ瀬さん――
肋?
何やってるんだあの人)
清雅は思わず、一番近い茂みの奥へと身を隠した。
「清雅くんがみつかるまでは帰らない」
一ノ瀬が足を進める。
ごつごつした木の幹の間に、草履が何度もひっかかる。
それを器用に避けながら、降りたり登ったりを繰り返した。
黒崎と相良は諦めたように歩き始めた。
見てる清雅は気が気ではない。
(こけたら、死)
(こけたら、死)
一ノ瀬が一瞬ぐらつく。
清雅が息をのむ。
ぎりぎりのところで踏みとどまる。
清雅が息を吐き出した。
すでに日は傾き、足元は暗く目をこらしても見えにくい。
(お願いです。
帰ってください!!)
心の中で叫ぶ。
しかし、一ノ瀬はずいずい進む。
一ノ瀬の足が、大きな岩にひっかかった。
体が前に倒れる。
誰も一ノ瀬を見ていない。
倒れた先は斜面になっている。
「あ!」
腕を突き出そうにも、固定されていて突き出せない。
胸を庇うように一ノ瀬の姿勢が丸くなる。
「一ノ瀬さん!!!」
清雅は思わず走り出していた。
―― ズザザザザザ
前を歩く皆が振り返る。
清雅は、倒れた一ノ瀬を守るように、一ノ瀬の下に潜り込み泥まみれになっていた。
一ノ瀬は清雅の上にのっかった状態で、驚きに目を見開いている。
「近衛、お前……」
高岡が驚いた顔のまま指を指した。
「どこから飛んできた?」
清雅は一ノ瀬を上に乗せたまま、泥まみれの顔を隠した。
「すみません……俺……」
それから、一ノ瀬の腕を掴む。
「見てられなくて……」
ゆっくりと一ノ瀬を下に降ろした。
はぁあああ……。
なぜだか、全員同時にため息をついた。




