第87話 行くか退くか
「誰もおりませんな」
ほんの数刻前まで清雅たちがいた屋敷に、黒崎と岩崎、神崎が立っていた。
外には相良ほか、全ての隊士が刀を抜き放ち警戒を強めている。
「場所をうつしたのだろう。
荷物がそのままだ。
我々が来ることを想定して、逃げたのやもしれん」
「ここから向かうとすれば……」
相良の言葉に、黒崎は顎に手をやりながらあたりを見渡した。
「町には戻れぬでしょう」
「だとしたら、雑司が谷のあたりか」
相良が言葉を引き継いだ。
「あの辺りには、深い山林がありますが」
「潜伏先としては、その辺りが濃厚だな。
だが……」
相良は空を見上げる。
「今から山へ向かうには、ちと遅すぎる」
「暗くなった山あいは危険ですね」
相良と黒崎はお互いの目を見ると、納得したように頷きあった。
意見はひとつにまとまった。
「急いで向かいましょう」
その意見に、真っ向から水を差す者がいる。
「お前なぁ」
相良は呆れたように一ノ瀬を見やった。
「今から向かって、何も見えぬ山間を縫い歩くつもりか」
相良は冷静に返したが、黒崎がすでに怒りの形相だ。
「嫌な予感がするんだ」
一ノ瀬の真摯な目に
「お前の言動がワシにとっては嫌な予感でしかない」
相良が一ノ瀬を追い返した。
「相良さん!
僕は……」
しっしっと犬でもおいやるような仕草の相良の袖を一ノ瀬は掴んで離さない。
「清雅くんに何かあったらと思うと、おずおずとここで引き下がるわけにはいかないんです」
「それは皆、同じだ!」
黒崎は我慢の限界だ。
「だいたい貴様は!!」
黒崎は乱暴に一ノ瀬の襟首を掴み上げだ。
胸の痛みに一ノ瀬が唇を噛む。が、目は黒崎から離さない。
「貴様は!
その体で、山を登って、探すことができるのか!?」
二人はその場で睨み合った。
遠巻きに見ていた隊士たちは静まり返っている。
皆が、このまま斬り合いにでもなるのではないかと目を離さずにいた。
「足場の悪い山道で、足を踏み外してみろ。
腕も使えぬ者が、どうやって体を支える!?
折れた肋が肺をつきやぶるぞ!」
黒崎の脅しに、榊が自分の肩を抱いて震え上がった。
「そんな事を言ったら、藤堂さんだって同じじゃないか!」
一ノ瀬が動く方の腕で、肩から腕をつっている藤堂を指差した。
「え?
私?」
「つまずいて、転んで、地面から突き出た木の枝が、目に突き刺さるかもしれない!」
藤堂は思わず自分の目を抑える。
榊が肩を抱いたまま、藤堂の顔を恐ろしげに見やった。
「エリオットさんだって!!!」
「ヤメテください」
相良は急にカタコトになったエリオットを驚きの顔で見やった。
「ココでケンカはやめてください」
「もっともだな」
相良はため息をついた。
「それに僕は……」
黒崎に襟首をつかまれたまま、一ノ瀬は静かにつぶやいた。
「丸山くんの時みたいに、怪我を理由に、その場にいれなかった……
そういうのは、もう二度とごめんなんだ」
しんみりした。
一ノ瀬は、珍しく小さな声で、下を向いた。
そんな一ノ瀬を見たためか、黒崎は静かに手を離した。
「お前は」
息を震わせながらため息をつく。
「ずっとそれを引きずって生きていくつもりか」
黒崎は両腕を袖に入れ一ノ瀬から距離をとった。
「清雅に死なれても困る」
相良は岩崎を呼び寄せる。
「近くの家から提灯をいくつか借りてこい」
「じゃあ……」
一ノ瀬の顔がぱっと華やいだ。
「急いで向かうぞ。
日が暮れる前に清雅を連れ戻す」




