第84話 兄の想い
「母は私に"呪"をかけたのだ」
藤乃の話を聞いていた清雅は、兄の明るい声に現実に引き戻された。
(先ほどよりも体が軽くなっている)
清雅は自分の手指を握り直した。
藤乃の昔話を聞いている間に、妖の毒が完全に抜け落ちたのかもしれない。
―― 四隅が暗い、じめじめとした部屋。
先ほど降りてきた蜘蛛は姿を消していた。
奥に消えたはずの元輝が、清雅が寝込む布団の近くまで足を運ぶ。
「母の最後の言葉が、今の私を作っている」
清雅は元輝を見上げた。
「だから私は、日本の古きを切り崩そうとする者たちと戦い続けるのだよ」
元輝の目は、正義を信じて疑わない。
純粋な、正しいことを実行しようとする者の目だった。
その横の藤乃は対して悲しげな瞳をしていた。
「共に来てくれるか清雅!」
清雅の目の前に元輝の力強い手のひらが差し出される。
「私はしばし、ここを離れる。
お前も私と共に来い!」
(胸が痛い)
兄上は ――
(俺のせいで、俺を守るために、この暗い孤独な世界に足を踏み入れてしまった)
―― そして、それを母の呪だと思っている。
(俺も、もしかしたらそう思っていたのかもしれない)
清雅は何かの折に頭にこだまする母の声を思い出した。
(妖と仲良く ――
だがそれは、人を殺せという意味なのか?)
清雅は自分の記憶の欠落した部分。
その意味を理解した。
自ら封じた記憶のかけら。
それは、大好きな兄が変わってしまった瞬間であった。
人を斬る、わずか十歳の兄は ――
まるで鬼神のようだった。
「兄上」
清雅の藍色の目が、清雅の前で片膝をつき手を差し出す兄の目を見据える。
「私は共には行けません」
兄の目がにわかに翳る。
「私は ――」
心が痛んだ。
「警察ですから」
兄の目が細くなった。
「私を捕まえると?」
首を前に ――
こくりと頷く。
「私を斬ると?」
目線を畳にはわせた。
そして、首を ―― 縦にふる。
もう一度、兄の顔を見た時。
兄の顔は苦痛に歪んでいた。
だがそこに、憎しみは見受けられなかった。
「そうか!!」
突如、立ち上がる。
「終わりじゃ終わりじゃ!」
言うと、扇をはたと広げた。
「藤乃!刀を持て。
出かけるぞ!」
「あ、兄上
どちらへ?」
振り返った兄の顔はいつも通りの顔に戻っていた。
「清雅、お前も来るか?
良いものを見せてやる!」
半ば足取り軽く、喜びを全身にあらわしたように、兄は身支度を始める。
『清雅』
突然九曜の声がした。
『ついていけ』
神妙な声に、清雅は九曜を見る。
『これはワシの責任でもある』
(九曜の?)
『あやつが村人を斬った刀は、ワシじゃ』
(……)
清雅は九曜をつかんだ。
「私もお供します」
言うと、帯を締め直した。




