第41話 言葉への返事
一ノ瀬が佐倉にそそのかされ、相良を探しに警察所を抜け出た頃。
いつもの町のはずれ、暗がりの中。
丸山の足元に束になった子供の髪の毛が投げ捨てられていた。
「今度しくじれは、次は髪ではなく首をお前の足元に投げ捨てる」
男は静かに付け加えた。
(なぜこいつは、こんなに自由に動き回れるのだろう)
この男も警察に潜り込んでいる。
しかし、誰も気づいてはいない。
「一ノ瀬が姿を消したようだな。どこに行ったか探り、報告せよ」
男の言葉に丸山は髪の毛の束を拾い、懐にしまいながら答えた。
「一ノ瀬は黒崎の家にいます」
高岡から聞いた情報だ。
一ノ瀬の行方を心配しているだろうと、高岡がこっそり丸山に教えてくれたのだ。
「仕事が早いではないか。
この前の失敗は見逃してやろう」
男はそのまま立ち去った。
(一ノ瀬隊長が狙われる)
丸山は急いで黒崎の家に向かった。
男が送り込むであろう刺客を自分が葬るつもりだった。
そして、そのままの足で、妹たちを連れどこかへ逃げればいい。
(もう、こんな生活はうんざりだ)
丸山が黒崎の家へ着いてしばらく待つと男たちが現れた。
皆、ムカデ衆の刺客として働く者だ。
(全員、斬れるだろうか)
(いや、俺がやる。
一ノ瀬隊長を殺させはしない)
まさに、男たちが黒崎の家に入ろうとしたその瞬間、背の高い男が現れた。
(相良隊長!?)
つづいて、後ろから高岡と近衛の声も聞こえてくる。
皆の声を聞いた瞬間、丸山の中で張り詰めていたものが、ふっとほどけた。
(よかった。これで一ノ瀬隊長は安全だ)
すっと肩の力が抜ける。
刺客と相良たちの乱闘の声が聞きながら、丸山は急いでその場を去った。
―― それからは、ムカデ衆からの指示は来なかった。
相良と一ノ瀬が死んだという話が出たからだ。
丸山は、上野山での西洋派鉄砲集団との戦の日に姿を消すつもりでいた。
多くの仲間がこの戦いで命を落とすであろう。
自分はそのどさくさに紛れ、警察からもムカデ衆からも逃げるつもりだった。
(妹たちに会い、共に逃げよう)
(信念を貫くために相手の命を奪う。
俺はもう、そんな生き方はしたくない)
上野山での戦いは、死んだと思っていた相良の登場により、一気に形成逆転する。
相良と一ノ瀬は無事であると知り、丸山は一人茂みの奥へと姿を消した。
(何も思い残すことはない。
これで俺は、自由になることができる)
―― はずだった。
そこに……黒崎がいなければ……。
黒崎は茂みの中に、まるで影のように立っていた。
「丸山。わかっているな」
丸山はこくりと頷く。
しかし、冷や汗がとまらない。
(妹たちが待っているというのに……)
だが、黒崎は絶対に見逃すことはないだろう……。
黒崎は無言で丸山の手首に巻かれた包帯を指す。
「はずせ」
そこにはムカデ衆の刺青がほられてあった。
(俺は……)
(なぜ……)
「言い残すことは?」
丸山の心臓がどくどくとなった。
膝をつき、黒崎の前で首をさらす。
震える声で丸山は静かに言った。
「一ノ瀬隊長に……」
黒崎がわずかに息をのむのが伝わってきた。
「くれぐれも、ご無理なさらぬようにと……
そうお伝えください」
(なぜ俺は、ムカデ衆などに、入ったのだろう……)
目を瞑ると、妹たちと、皆の顔が同時に浮かんだ。
(もう少し、皆と、警察で、共に戦いたかった)
―― ドサッ
庭先で積もった雪が重すぎたのか、枝が折れ地面に落ちたようだ。
一ノ瀬は歩みを止めて、その枝の折れた木を見やる。
先ほど鬼頭が言った、清雅と高岡の非番の話が再度頭をよぎった。
(信じすぎては駄目だ。
丸山くんの時も、そうだったじゃないか)
口の中に、酸っぱい嫌な味が広がった。
そのまま、自分の部屋の障子をあけ、中に入ろうとした時、向こうから歩いてくる黒崎と目があった。
黒崎は一ノ瀬の顔色、歩き方を見て、にわかに顔をしかめる。
「数日戻らなかったな」
「黒崎さんには関係のないことだから」
言うと、そのまま部屋へ入ろうと障子をつかむ一ノ瀬の手を、黒崎が強くひっぱった。
「え?何?」
驚く一ノ瀬の顔を無理やり自分の方に向けると、相変わらず暗く、表情の読み取れぬ目で一ノ瀬の顔を覗き込んだ。
「お前に伝えておかなければならぬことがある」
一ノ瀬の背に合わせ、黒崎が前屈みになる。
「珍しいですね。
黒崎さんから僕に話があるなんて」
一ノ瀬は軽くほほえみ、小首をかしげた。
「丸山の最期の言葉だ」
瞬間、一ノ瀬の笑顔がすっと消えた。
黒崎の顔をまじまじと見る。
「お前に……
くれぐれも、ご無理なさらぬように……と」
「え?」
庭先でまた、枝から雪が落ちた音がした。
「今のお前の姿は、丸山の言葉を無駄にしている」
白い雪の反射か、一ノ瀬の目が潤んだように見えた。
黒崎は、一ノ瀬の手を離し、そのまま廊下を歩き姿を消した。
「丸山くんが……」
一ノ瀬は、再度庭の木に目をやる。
雪が落ちた庭に光が当たり、そこに昔の風景が広がったように見えた。
『働きすぎです!』
丸山が一ノ瀬から書類を取り上げる。
『これと、これと、これは、私がやっておきますから』
一ノ瀬は静かに目を伏せた。
「そういえば、よく、そんなことを言っていたね」
ふっと口元が緩んだ。
「丸山くん」
障子をからりと開ける。
―― 「ありがとう」




