第40話 最後の言葉
「丸山さん、昼は外に食べに行こう!」
第一隊の高岡は、小梅下村の一件以来、すっかり第二隊にいりびたりだ。
後輩の近衛清雅と、第二隊の田村、高木、山村の六人で休憩を合わせて、茶屋へ行くこともしばしばあった。
「今日は僕も一緒に行っていい?」
一ノ瀬が顔を出した。
「珍しいですね」
丸山は目を細めて笑う。
「全員揃うのは久しぶりですね」
「みんなの分は僕が出すから」
一ノ瀬の提案に
「一番年下に出させるのは気が引けます」
丸山は一ノ瀬の懐を軽く抑えた。
「なんで?」
一ノ瀬は不思議そうに首をかしげる。
「そういうものなのです」
丸山は、さとすように優しくうなずいた。
このままこの関係がずっと続けばいいと思っていた。
自分が江戸警察に送り込まれた間者であるなど、忘れてしまいたかった。
しかし ――
神田明神の事件が起こってしまった。
一ノ瀬が深手を負ってしまったのだ。
案の定、あいつが現れた。
丸山に、"本来の果たすべき使命"を伝えるために。
「よもや、忘れたとは言わさんぞ」
江戸警察から離れた裏路地の暗い塀に隠れ、お互い顔を合わせることもなく会話する。
これがこの男からの指示の出し方だ。
「一ノ瀬を殺せ」
丸山の唇が震えたが、男には見えなかったため気付かれてはいない。
「ほうっておいても、あのまま死ぬかもしれません」
一か八か、諦めてくれることを願い丸山は男に伝えた。
「もう三日も熱が下がらない」
「ならば、今が好機であろう」
男は譲らなかった。
「もし、裏切るようなことがあれば……」
「わかっている!!!」
丸山の拳は震えていた。
「妹たちには手を出すな」
「ならば、答えはひとつだ。
我々の掟を忘れるな」
そこで男は姿を消した。
―― 「今夜、やろう」
丸山に逃げ道はない。
ムカデ衆を裏切れば、家族もろとも待っているのは"死"だ。
まだ幼い妹たちを見捨てることなどできるはずがなかった。
夜、一ノ瀬の部屋の前に丸山は立っていた。
障子の向こうからは、苦しげな声が聞こえてくる。
丸山は思わず唇をかんだ。
誰も周りにいないことを確認し、すっと部屋にしのびこむと、素早く一ノ瀬の布団の前に静かに座った。
一ノ瀬は熱にうなされていた。
頭の横には、手拭いと水をはった桶が置いてある。
丸山はおもむろに手拭いをつかむと、両端をもち、
ぐりぐりと手拭いを捻り上げた。
手の中で、柔らかい手拭いが、硬い紐のように絞られていく。
細く長くなった手拭いを左右の手でぐっとひっぱる。
(誰かが来る前に)
丸山は一ノ瀬の顔を見ることができなかった。
(せめて、ひとおもいに……苦しませずに……)
一ノ瀬の荒い息づかいを聞こえる。
紐を首のあたりに持っていったその時……
「丸山くん?」
「……」
顔をあげると、一ノ瀬と目が合った。
(なぜ、今、目が覚めるのですか……)
丸山は唇をかみ、震える手を隠そうとした。
しかしその手を一ノ瀬がすっと握る。
「来て……くれたんだ……」
一ノ瀬の手は驚くほど熱かった。
「はい……」
丸山は手拭いを桶に入れると、冷たい井戸水で洗い、かたく絞った。
そして、一ノ瀬の熱くなったおでこにのせる。
一ノ瀬は安心したように目を瞑った。
「きっと良くなりますから、ゆっくりお休みください」
言うとその場で立ち上がり、外に出ようとした。
一刻も早くここから逃げ出したい気分だった。
「丸山くん」
一ノ瀬が呼び止める。
丸山は振り返った。
「ありがとう」
少し開いた一ノ瀬の目は、熱のせいか別のものを見ているようにも見えた。
丸山は、そんな一ノ瀬の顔をじっと見ていた。
(俺がもし、ムカデ衆などでなければ……)
よろけながら廊下へ出る。
「ありがとう」
一ノ瀬の言葉が耳の奥に残っていた。
これが、一ノ瀬とかわした最後の言葉だった。




