第36話 叱責
今朝は特に冷え込みがひどい。
皮膚が凍ったのではと思えるほどピリリと痛む。
特に傷口はズキズキと痛むもので、先日の戦いで負った傷が痛むのか、隊の誰もが眉根を寄せて起き上がってきた。
障子を開けると、庭が銀色に煌めいている。
「雪が降ったかー」
鬼頭は裸足で廊下に出て、床の冷たい感触を足の裏に感じながら手を袖の中へ隠した。
その横を、ものすごい速さで佐倉が走り抜ける。
「おはようございます」
聞こえぬだろうと思いながら鬼頭は佐倉の後ろ姿に頭を下げた。
「あの様子では、ついに上から呼び出しがかかったか」
(この寒さで赴くのはずいぶん辛いだろう。
特に相良隊長は……)
鬼頭は顔を曇らせた。
「稔!」
佐倉は相良の部屋の障子を叫ぶ言葉と同時に開ける。
相良はまだ珍しく布団の中にいた。
「稔!起きろ!小笠原様がお前をお呼びだ」
「ん?ああ。
小笠原に用はない」
頭まで布団をかぶっているため、声がくぐもって聞こえる。
「お前に用がなくとも、小笠原様には用があるのだ」
佐倉は言うと、布団をひっぺがした。
「佐倉さん、相良隊長は怪我人です。
少しばかりご容赦いただけませんか」
見かねた鬼頭が入り口から声をかける。
「すまん。すまん。しかし、至急来いとのお達しだ。
これで遅れてしまっては、さらに叱責をくらうこととなる」
相良はむくりと起き上がったが、そのまま無言で黒い羽織袴を身につけ始めた。
「相良隊長……」
鬼頭は相良の傷口に目をやる。
いまだ巻木綿からは、血が滲み出ているのが見えた。
「黒崎と共に出向く」
警察の装いに身を包むと、相良はひとことそう言って、そのまま部屋を出て行った。
馬で行くことはかなわぬ。
しかし、今のこの状態で歩いて向かうには体力が奪われ厳しい。
黒崎と相良は江戸城へ向かっていた。
朝五つ(午前9時)。
人々が仕事を始める頃合いだ。
相良は顔色ひとつ、愚痴ひとつこぼさないが、明らかに歩く速さが落ちてきている。
一ノ瀬はというと、昨晩から戻って来ない。
たまっていた職務をこなしている時は顔も見せないのがあの男だ。
(どれだけ働かせれば気が済むのか)
黒崎は唇を噛んだ。
相良も一ノ瀬も、毎日必死に職務をこなしている。
怪我をしても休む暇さえない。
(そして、急な呼び出しか)
城へ着き、中へ通されるとそのまま廊下をひたすら進む。
二人が通されたのは、白書院に近い一室だった。
畳の上には幕府の役人が何人も控えている。
その中心に小笠原の姿が見えた。
中は冬とは思えぬあたたかさであった。
冷え切った手足がじりじりと感覚を取り戻していく。
相良は傷の痛みに顔をしかめながら、膝をついた。
二人は両手を畳につき、頭を低く下げる。
決して目の前の男たちの顔を見ないこと。
できるだけ姿勢を低く低くすることが重要だ。
相良と黒崎の平伏する畳の上は、上座で座る者たちの場とは違い、冬の冷え込みがそのまま残っていた。
「相良」
小笠原がゆったりと声をかける。
尊大な態度は変わらない。
「こたびのこと、大いに問題であるぞ」
語気が荒い。
腹の底の怒りを抑えているのがわかる。
「ははっ」
相良は平伏した状態から、さらに額をこすりつけるほど頭を下げた。
「警察のいたらなさが露呈したと思わんか」
黒崎は相良の横顔を見た。
頭は下げているものの、目はまるで威嚇しているようにギラギラとしている。
「申し訳ございませんでした」
早々に謝った相良から、黒崎は視線を外した。
「私の出した指示を覚えているか」
「はっ」
黒崎は唇を噛み締めた。
歯の奥がギリギリと音を立てる。
「身を挺してでも西洋人を守れと」
「……」
相良の顔がかすかに歪む。
平伏し続けることで傷が痛むのだろう。
「……申し訳ございませんでした」
なんとか声を絞り出した。
手が自然と胸のあたりにいく。
「おそれながら」
見かねた黒崎が平伏したまま声をあげた。
その瞬間、横から相良の鋭い視線が黒崎に食い込んだ。
(余計なことは言うな)
黒崎を睨みつける目が明らかにそう言っている。
「なんだ?」
小笠原は上座から、這いつくばる2人を見て鋭く問い返した。
「相良隊長は、刺客に胸から脇腹にかけて斬られましたため……」
「知っておる」
黒崎の言葉を遮るように小笠原が続けた。
(知ってもなお、顔をあげることすら許されぬのかっ)
黒崎は怒りに肩が震えるのがわかった。
そこからの時間は、ただ、何を言われても相良が
「申し訳ございませんでした」
の言葉を続けるのみの時間となった。
一方的な問責がひととおり終わったところで、小笠原はようやく気分も晴れたのか、前のめりに座っていた姿勢をやめ、ゆったりと座り直した。
「相良、おもてをあげよ」
相良はしばらく動かなかった。
「よい」
再度うながされ、相良は頭をあげた。
体が硬直したように軋む。
長い時間、頭を下げていたせいか軽い眩暈がした。
「次、同じように問題を起こすことがあれば」
小笠原が続ける。
「警察は存在する意味がないということだ」
黒崎は怒りの限界に達していた。
これ以上、この男の言葉を耳にすることは、理性を破壊することと同意。
「そうは思わんか?」
小笠原は相良に問いを投げかけている。
相良の唇が動いた。
警察の存在する意味は大いにある。
しかし、ここでの回答は、どのみちひとつしか用意されていない。
「はっ。おっしゃるとおりかと」
小笠原は満足げに頷いて見せた。




