そんなの馬鹿でもわかります(15)
俺はいま初めて女の子を抱いている。
俺にとって女性との接触などは蹴られる殴られると言った刹那的で官能的なものでしかなかった。しかし俺はいま、この両腕で美しい女性を抱きしめている。
柔らかくて良い匂いがする。なんということだ。抱擁がこれほどまでに人の心を穏やかにするものだとは。人肌に触れるという体験はおよそ表現できないほど劇的に俺の常識を塗り替えた。
スキンシップ最高。
「鼻の下を伸ばしてニヤニヤしているところ申し訳ないですが、早く気絶しているネイアさんを起こしてもらえますか?生きるか死ぬかの瀬戸際であなたは一体何を考えているんですか。いいえ、答えてもらわなくても良いです。どうせエッチなことに決まってますから」
と、そのように俺をなじるメイヴの声が聞こえた。またぞろ軽蔑の眼差しで俺のことを見ているのかとも思ったがそうではない。メイヴは俺には一瞥もくれずにただ正面を見据えている。警戒の眼差しで。
ネイアが火口に飛び込んだあと、俺は地面に、ではなく燃え滾るマグマに真っ逆さまに落下するネイアを自分の身体で覆うように抱きかかえた。いま思えばそうしたところで何の意味もなかっただろう。俺という断熱材などはネイアの身体が燃えるのを数瞬遅らせるぐらいにしかならない。
メイヴが風魔法で落下のスピードを遅らせてはくれていたが、3人分の自由落下のエネルギーはそう簡単に相殺できるものではないようで俺たちは数秒で燃え尽きる運命にあった。
しかし、俺たちが溶岩湖に着水(着岩だろうか)する前に俺は確かに見た。溶岩湖を覆う形で周りの岩が伸び始め、瞬く間に地面が形成されたのだ。
風魔法で速度を殺していたこともあり、メイヴは華麗にその地面に着地することができたが、人ひとり抱えていた俺は体を強く地面に打った。
ネコがそうするように上手くできたわけではないが、意地でもネイアに傷一つ付かないように自分の身体を下敷きにできるよう体をひねったが衝撃の幾らかは伝わってしまったらしく、ネイアは意識を失ったようだ。
そして人生初、女性との抱擁をを享受していた俺だったがメイヴは一切安心したという様子ではない。
「あれはいったいなんですか」
俺は名残惜しくもネイアから離れ、やっとのことで起き上がりながらメイヴの視線を辿る。そこには闇そのもののような黒の鎧を全身に纏う大柄な騎士の姿があった。
距離としては50メートルというところか。いや、はっきりしない。実在するのか実在しないのかその輪郭がぼやけている。まるで蜃気楼でもあるかのようである。しかし、この身に感じる圧迫感は紛れもなく奴からあふれ出るものだ。
そのまるで闇そのものである奴に吸収でもされているかのように、足元で発動済の魔法陣が消えていくのが見えた。
「まさか、あいつがこの火口を一瞬で閉じる魔法を発動したのか?」
「ええ、恐らくはそうでしょう」
そう答えるメイヴの声音は落ち着いているようにも聞こえたが、彼女は明らかに警戒を高めていた。臨戦態勢を表す大鎌は既に固く握りしめられており、相手の一挙手一投足を見逃すまいと神経を尖らせている。
それもそうだろう。俺でもわかる奴のヤバさを。だだっ広い火口の表面積分をこうも厚く、広く一瞬で塞いでしまう魔法なんて普通ではない。幸いにも攻撃を目的として使用された魔法ではなかったが、これが攻撃手段としてその矛先を俺たちに向けられていたとしたら防ぐのは難しかっただろう。
シルビアでも無理だったと、断言できる。
上級魔法を自由に扱うシルビアにさえ防げない威力の魔法。もしかして特級魔法使えるのコイツ。いやいや、自分で考えといてあれだが、そんな奴相手にしてたら命がいくつあってもたりない。
「私は間に合わなかったのですね」
「ネイア、目を覚ましたのか」
強い衝撃に一瞬ブラックアウトを起こしてしまっていただけだったようでネイアは危なげ様子であったが自分の足で立ち上がった。
「1000年前のあの日、私から国を、民を、そして兄を奪っておきながらそれだけでは飽き足らず、この時代でも私を苦しめようというのですか!」
1000年前?いきなり何を言っているんだ?ちょっと理解が追いつかないぞ。
「我はただ欲するのみ」
その闇はそのようなことを言ったかと思えば、持っていた大剣を地面に突き刺した。すると地面の至るところから黒い蛇のような柱がうねりながら俺たちのほうに向かってくる。
俺はもっている双剣でそのうちの一本をなんとかいなし、切りつける。そうすると火のついた麻糸が燃え尽きるようにボロボロと形を崩した。
ネイアの言っていることの真意はいまは横に置いておいて、まずはコイツの対処が先決だ。
「キースさん、お怪我はありませんか!?」
「ああ、なんとか!」
「そうですか、、、」
心なしか俺の無事を心底残念そうに見えるがそれはきっと気のせいだろう。この機会に俺がいっそのこと亡き者になってくれればなんてメイヴが思っているはずはない。
しかし、流石だ。俺が一体切り捨てる間にメイヴは七体もの敵を倒していた。あまりの手際の良さに、わざと俺のほうの一体を放置したのではと思ってしまうほどに。
しかし、これなら大丈夫。(俺と)メイヴだけでなんとかなりそうだ!
「なんだか今、さりげなく戦闘要員として( )を使って自分を除外したように思えたのですが気のせいでしょうか?死ぬ気で戦ってください。いえ、死ぬ気で死んでください」
「それは戦いではなくて自殺というんだよ」
「!?」
ガキン。と俺に向かってメイヴがその刃を向けたのを俺がガードした。という訳ではない。メイヴと鎧騎士の武器がぶつかる音だ。戦闘中にふざけるわけないじゃないか。俺たちは常に真面目だ。
軽口だってリラックスのためだ。パニック状態で戦闘なんてできるはずがない。少なくともメイヴは落ちついていた。敵への警戒を怠るメイヴではない。敵の間合いをどう詰めるかをこの会話の中にでも練っていたに違いない。
それなのに、その闇は一瞬のうちにメイヴの背後に現れ、剣を横に薙ごうとしていた。その剣をメイヴが自慢の鎌で止めた。大鎌と大剣。大と文字がついているだけあってその武器の重量に大きな差はもしかしたらないのかも知れない。しかし、使い手は恰幅の良い鎧騎士に対して見目麗しい幼女である。
その二人の力比べとなれば、普通は吹っ飛ばされる。物理法則というものがこの世にあるらしいが、そんな小難しい理論など理解していなくても見ればわかる、である。
なのにメイヴはビクともしていない。そればかりか鎧騎士のほうが態勢を崩している。なぜか?簡単だ、鎧騎士は剣を振ろうと後ろに剣をテイクバックした瞬間、その剣を鎌で制されたのだ。
戦場では止めることすら難しい戦車も、走り出す前の静止した状態であれば反対側に押し返すことができると言えば伝わるのだろうか。不意を突いたはずの鎧騎士のほうが、不意を突かれた。
戦いなれている。攻勢に出た敵に対して回避行動を取るどころかさらに攻勢にでることで、勝機を掴みとる。
メイヴはそのまま強く踏み込み、風を纏わせた刃で敵を二度切り裂いた。まるで舞踊をみているかのように華麗な動きだった。鎧騎士の体には深く刃のあとが刻まれた。
容赦がない。魔族の体の構造はもしかすると異なるかもしれないが、胴体を袈裟切りにしたうえ、首元を搔っ切られている。生物である以上、こんな傷を負っては生きていることは難しいだろう。
「さすがメイヴちゃん!よし、こっちにおいで。頭を撫でまわしてあげるから!」
「なぜ、罰ゲームを強制されなければならないのですか。褒美と言うなら私はクッキーを所望します。キースさんの料理の腕だけは認めていますから」
メイヴは服についた砂ぼこりを払いながらそんな要求をした。常に先のことを考えるメイヴのことだ。このとき既に帰りの工程や、褒美としてクッキーの材料がどんなものになるか思考を巡らせていたのかも知れない。
しかしそれが不味かった。もちろん、クッキーの話ではない。俺のクッキーは美味しい。メイヴはいつも通りの軽口を叩くのなら先ほどと同じように気を張っていなければならなかった。先を見通すというのなら、不測の事態についても考慮しておかなければならなかったのだ。
致命傷が致命傷でなかったときの場合について考えなければならなかった。あるいはそれがメイヴの幼いところであったとするならば責めることなどできようもないのだが。
「メイヴさん、逃げてください!」
しかし、ただ一人ネイアだけはその危機を察知し声を張り上げていた。
「え?」
絶命必至であった鎧騎士の拳が無防備であったメイヴの体を力いっぱい吹き飛ばした。




