そんなの馬鹿でもわかります(14)
目を覚ますとそこには緑生い茂る森の中でした。恐ろしい悪魔もそこにはいません。辺りを見渡し耳を澄ましてみましたが、風が木々を揺らす音と川の流れる音とが聞こえるばかりでした。
さきほどまでの喧騒が全て夢幻であったかのように、いえ、それを言うならこの絵に描いたような平穏にいることこそが夢そのもののように思えました、
しかし、肌を撫でる風の感触、そして頬を伝う涙の熱が教えてくれました。これは決して夢ではなく現実なのだということを。
どのくらい長い間そこで佇んでいたのかはわかりませんが、いつの間にか日が沈みかけていました。そんなとき茫然自失としてただその場に蹲っていた私に声をかけてきた人がいました。私は声をかけられるまで誰かが近くにいるということに全く気付くことができませんでした。例え野生の魔獣が襲ってきたとしても私は成す術もなくただ殺されるのを待つばかりだったに違いありません。それほどまでにその時の私は抜け殻と言って良いほど、体に力が入りませんでした。
私は狩りをしていたその青年に拾われて小さな集落で手当てを受けました。集落の人は私の来ていた服から、村に伝わる伝説の天女だと思っていたようですが、私はそんな大層なものではありません。
ただ自分可愛さに兄を、国一つを見捨てた少女なのです。集落の人は大層よくしてくれました。見るからに怪しい私の素性の詮索は一切せずにただ様子を見守ってくれました。
私を世話してくれた人の話から、ここがおおよそ1000年後の時代であること。神命戦争は大神側の勝利、つまりは私たちの勝利で幕を閉じたこと。そして神はもうこの世にいないということを知りました。
数年前、聖戦というものもあったようですが、それもまた人間側が勝利したということ。喜ぶべきことあのでしょうが、私はそれらの事実をまるで他人事のように、おとぎ話のようにしか感じることはできませんでした。
もう一つ分かったことがあります。
星座の位置が教えてくれました。ここは間違いなく私たちが暮らしていた王国の跡地だということも。私たちが必死に戦ってきた痕跡は跡形もなく消え去っていました。つまり王国はあの日、滅亡してしまったのです。私にはその事実が何よりも受け入れがたいものでした。
「ここで暮らしても良いのよ」
そう言ってくれる人もいました。全てを忘れて生きていく。許されはずはありません。しかし、自ら命を絶つということも私には同じくらい許されないのです。
兄の分まで生きていかなくては。などと殊勝な気持ちからではありません。そんな考えをできるのであれば私は殊勝にあの場で命を絶っていたでしょう。
『あなたが心から望んで命を投げ出せば』
バラキエル様はそう仰いました。
それはつまり私が自殺を試みれば、たちまち神域魔法は完成し神器がこの世に顕現してしまう怖れがあるということです。もしそんなことになれば、神のいないこの世界に神の力が取り戻されてしまうということです。そうなれば新たな戦いの火種になりかねません。
邪王軍などという聖戦の再来を思わせる存在がいるのなら猶更です。
生きなくてはなりません。全てを忘れることはできなくても、せめてそれらの罪を忘れないように、生き切るしかないでしょう。
死にたくない。そう思って最後の時を迎えられれば、神器は最後までこの世に現れることなく私ともにその存在を消し去るでしょう。きっとこれこそが兄の望んだ未来なのだと。そうすることが正しいことだと。
そう考えた罰が当たったのかもしれません。たかだか1000年もの時を超えただけで、自分の宿命から逃げ切れるなんてご都合主義にもほどがあります。決着をつけなければ、向き合わなければ、過去の過ちはどこまでも追いかけてくるのだとそのときは私は知らなかったのです。
あの悪魔は突然現れました。
この集落に拾われ5日が経とうとしているとき、朝早い時間にも関わらず外が騒がしいことに気づいた私は外に出ました。
集落の前に突如現れた闇をソレだと気づくまでに一瞬もかかりませんでした。1000年前よりその存在が、もしくは輪郭がはっきりしていると感じたのは私があのときよりも落ち着いているということでしょうか。
あくまで人型の形をかろうじて取っているだけに見えたあの時とは違い、全身は黒く鈍い光沢の鎧を一身に身纏い、その手には人の幅ほどもありそうな大剣が握られていました。まるで英雄譚に語られるような恰幅の良い騎士を連想させました。
けれど私の彼に対する認識は変わらず悪魔でした。なぜなら彼の頭部にはあるのは、それだけ勇壮な体とは相反するように頭蓋骨が一つ乗っているだけだったのですから。その眼はがらんどうで、どこを見ているかすらわかりません。
「見つけた」
しかしそんな彼がそう言ったのです。そして不思議なことにその悪魔が探しているのは他ならぬ私であると直感しました。
「何で」
わかりません。いえ、私を狙う理由ならばわかります。この私の中に眠る神器に決まっています。何でわかるかと言えば単なる消去法です。私が他の人間を差し置いて秀でているものなど持っているはずがありません。ただ一つ神から与えられたこの神器ぐらいしか。
私はすぐに走り出しました。この集落で飼っている馬の元へ。私は集落で一番の馬を見つけるとすぐさま走らせました。
1000年もの時間をあの悪魔がどうやって生き永らえたのか、どうして私の場所が分かったのか。そんなことは考えても仕方のないことです。だって、彼は1000年の時を生き永らえ、私のことを見つけてここに来たのですから。正解が分かったとしても無駄です。
後ろで次々と集落の人たちが闇の飲まれていくのが見えます。泣き叫ぶ声が一つ、また一つと消えていきます。そして最後の一つが掻き消えたとき、後ろを振り返ると、その悪魔が私を見据えているのが見えました。
私は夢中になって馬を走らせました。夜になり、周りが見えなくなっても馬を休ませることなく逃げ続けました。あの悪魔がいつ闇に紛れ私に追いつくのかと想像するだけで心臓が止まりそうでした。
笑ってしまいますね。オレスを犠牲に、国民を犠牲に、集落の気の良い人々を巻き添えにしながらも自分の命が惜しいだなんて。恐怖と滑稽さで私は声を上げて笑わずにはいられませんでした。
夜が明けたとき、一昼夜走らせた無理がたたり、馬がその場で倒れこむ形で転びました。私は落馬し地面になげだされましたが、茂みの上だったので大けがはしませんでした。幸いにも、いえ、不幸にもでしょうか。
いっそのことここで死ねればこれ以上生き恥をさらすことはなかったのですから。
「パルナ山で全てを終わりにしましょう」
地面の冷たさを肌で感じながら私はそう決心しました。私は生きていてはいけない人間です。死ななければなりません。けれどそう思うのと同じくらいに、もう他人に迷惑をかけたくないと思ったのです。
いま、私が死ぬことがあればどういう形であれ神器はこの世に顕現するでしょう。そしてその剣があの悪魔に渡れば、オレスすら凌駕する脅威であるあの悪魔に渡れば、1000年前以上の惨劇が繰り広げられるかもしれません。
またしても私のせいで。
けれど、私が火口に身を投げることができれば、神域魔法ごとこの身をおよそ誰にも立ち入ることのできないマグマの中に沈めることができたならば、私は誰にも迷惑をかけることなく私の人生に幕を閉じることができるはずです。
あわよくば止めどないマナの流れに神域魔法が溶けて、解けていってしまうなんて希望的観測をしてしまいます。そして私が一人でそんなことを達成することなど到底できるはずもないというのが絶望的観測だとでも言っておきましょう。
そんな失意の中、馬を失い、さらには2体のオークに追われていた私をキースさんが救ってくれました。利用する気で頼った私を彼は信じてくれました。
道中、キースさんの仲間であるメイヴさんともお友達になれました。この人はキースさんとは違い、私を見捨てようと至極全うな対応を取ろうとしましたが、それも仲間であるキースさんのことを想ってのことだとすぐにわかりました。手のかかる仲間がいると大変ですね。
キースさんは本当に軽薄な人でジロジロと私を性的な目で見てもいました。それでも私が元気のない様子を見て取ると励まそうとしてくれる心優しい人でした。そんなキースさんが実は強かったり、美味しい料理を作ることができるなんてギャップは反則です。
思わず惚れてしまいそうだったんですから。
メイヴさんも罪悪感で上手く会話ができない私を見かねてゲーム大会を提案してくれる面倒見の良いお方です。子供っぽい見た目をしていますがやはり長く生きている分、年上のお姉さんのように頼ってしまいました。
本当に楽しかった。これ以上、失態を侵さぬよう、迷惑をかけぬよう、そんなことばかり考えていた私がいつのまにか、この時間がいつまでも続けば良いのにと思ってしまうほどに。
生きたい。
なんて一瞬でも思ってしまうなんて。
でももう無理なんです。これ以上生きて、誰の役にも立てないどころか、この世界に不利益しか与えない私の居場所は最初からどこにもなかったのですから。いえ、もしかすると1000年前のあの瞬間にはあったのかもしれませんが、それを他ならぬ私が壊してしまったのです。
自分の舞台を上手く踏めなかった役者がそれを取り戻そうと、いつまでも舞台に残っているようなものでしょう。見苦しいに決まっています。あとの展開にも混乱をもたらします。
だから退場しなければならないのです。決心が鈍らないうちに。
私は火口から身を投げました。
あの瞬間、私に手を必死になって伸ばしてくれたキースさんと、メイヴさんの姿。お二人に言うと怒るかもしれませんが、心から嬉しかったのです。




