初めて竜を退治します。(14)
体が言うことを聞かない。目の前ある死の恐怖から一刻も早く逃げ出すべきだと頭ではわかっている。この場から離れることこそが生存するための最前手であることは明白だ。
しかし、思考とは裏腹に体は一向にその場から離れようとしない。逃げ出さなくてはならない。しかし、目を背けた次の瞬間、俺の首と胴とが引き裂かれるのではという恐怖が頭を支配している。
鼓動は破裂しそうなほど高まり、思考はまとまらない。自分が立っているのか、それとも地面に倒れているのかすら気を抜くとわからなくなる。
「-------ォオオオ」
ドラゴンは咆哮を上げ、恰好の餌である俺に向かって突進を開始する。体長20から30メートルはあるであろう巨体が猛スピードで押し寄せてくる。
回避しなくては!これは現実なのか!?早く立ち上がれ!武器を取れ!武器なんてないじゃないか!どうしてこんなことに!?どうやって倒す!?倒せるはずないだろうが!こんなことはあり得ない!震えを止めろ!
様々な思考が一瞬にして脳裏を駆け巡る。それらの思考は脳の指揮系統を乱すばかりで俺の体はピクリともしない。
結果、迫りくる死の恐怖に対して俺はただ石像のように立ち尽くしていた。
次の瞬間、俺の体は衝撃に吹き飛ばされた。恐らくはドラゴンの突進を喰らい、四肢はバラバラとなり頭蓋に残った僅かな機能の結果として、この思考がなされているのだと思ったがそうではない。
「エリック君、無事か!?」
目を開けるとそこには恐らく俺の窮地を間一髪のところで救い出してくれたエルシッドがいた。その鎧は土埃にまみれており、命からがらあの状況を回避したのだと物語っていた。
「よし、走れるな?いや例え骨折していたとしても気合いで走りだせ。この場に留まることは死を意味する。安心しろ、5分は俺が稼いでみせる」
エルシッドは腰に差した両手剣を構え俺に指示を出した。その姿は勇ましく、覇気に包まれていた。しかし、相対するあのドラゴンはそれ遥かに凌駕する恐怖を身に纏っている。
あれはおおよそ、人ひとりで太刀打ちできる存在ではない。
「お、俺、他の騎士のやつらを呼んでくるから」
「その必要はない。君がすべきことはこの災厄からこの村の人たちをできるだけ多く遠ざけることだ
」
「いくら何でもあんた一人じゃ死ぬぞ!」
「全員でかかったとしても死ぬさ。それなら犠牲は俺一人だけで良い」
「-------ォオオオ!」
俺たちを仕留めそこない、尚も追撃を諦めようとしないその紅き竜は俺たちに向かい再び咆哮を上げ威嚇する。その姿に俺の中の全細胞が震え上がる。
エルシッドはそんな俺とは違い、落ち着いた様子であのドラゴンを見据える。
「あの風貌、紅の装甲とも言うべき全身を覆う甲殻、そして両翼に浮かび上がる刻印のような紋様。間違いない。世界に3種しかいない竜王種が1つ『飛王竜‐アフトクラトラス』だ。一生のうちに相まみえることはないと思っていたが」
「な、たった1匹で国1つを滅亡させうるという飛王竜だって!?人界より遠く離れた秘境に生息して、そこから出ることはないはずだろう!?ここにいるはずはない!」
「違うなら違うでいいさ。そのほうが有難い。ただ、の両翼の紋様から最悪の、いや災厄の存在を想定するべきだ」
離れているんだ。とエルシッドはアフトクラトラスが臨戦態勢に入ったことを感じ取ると魔力を練り始める。
コォォォォ‐‐‐
アフトクラトラスはその口腔内に魔力を集結させる。青白い光は徐々に体内で生成される紅の炎と結合される。
その後ろ脚2本で体を支えていた姿勢から倒れこむように前脚2本を地面に固定し計四本の脚で地面に立つ。
そして体全体を砲撃台としてその炎球を射出させる。魔力を帯びたその炎球は中身の詰まった鉄球がごとく質量で俺たちに襲い来る。
瞬間、エルシッドの足元に複数の魔法陣が展開される。あれは魔力増強、空間把握、武具強化、攻撃範囲拡張の魔法陣が重ね掛けされている。あの練度の術式をこうも一瞬で。
炎球が地面に描かれた魔法陣にかかる直前、エルシッドは攻撃の構えに入った。
射程範囲に入った瞬間に最高にまで高められた魔力は剣に集約し、エルシッドは炎球を切りつけた。
「うおあ!?」
魔力が込められた炎球はエルシッドの魔力とぶつかり、とてつもない衝撃力を生み出したあとに消滅した。彼の剣撃は確かに飛王竜の一撃を屠ったのである。
「す、すげえよ!エルシッド!これならお前、倒せるんじゃないか!?竜王種って言っても大したことないんだな!」
「喜んでいるところ、申し訳ないが。早く逃げてはくれないか」
「えっ」何事もなくアフトクラトラスの攻撃を凌いだかのように見えたエルシッドの額には、滝のような汗が噴き出しており、それとは逆にその顔面は蒼白であった。
「私にも攻撃が防げたところを見ると、どうやら竜王種と言っても生まれて間もない幼体らしい。大きさも書物で読んだものよりはるかに小さい。成体であれば私の体など、さきほどの攻撃で跡形も残るまい」
エルシッドの息は荒く、会話の声も苦しそうであった。
「情けない、あの攻撃は私の魔力総量のほとんどを消費することで発動可能な奥の手だったのだがな。しかし、見ろ。あいつに疲弊の色などまったく見えない」
「カロロロロ」
アフトクラトラスは遠巻きに俺たちの様子を観察している。奴からは一切の焦りも緊張も感じ取ることができない。まるでこれから行われるのは雌雄を決する対決なのではなく、一方的な捕食であると言わんとするかのようである。
「もう一度、あの攻撃を仕掛けられれば防ぐ手立てはない。さあ、早く。村の人たちにこのことを伝えにいくんだ!」
俺はすぐに駆け出すことはできない。ここでできることなど1つもない。そんなことはわかっている。しかしここでエルシッドを1人にすれば間違いなく死ぬ。その現実を受け入れられずにいた。
そんな俺に対してエルシッドは朗らかに笑って見せた。
「安心しろ。犠牲になるとは言ったが、死ぬつもりは毛頭ない。愛する妻も子供もいるからな。こんないい男は死なないものさ」
そう言うとエルシッドはアフトクラトラスに向けて向かって行った。時間稼ぎをするというのならなぜわざわざ自ら距離を詰めるのかと疑問に感じたが、その理由もすぐに理解した。
距離が離れたままだと先ほどの炎球が放たれるかも知れないということもある。それに注意を引く必要があったのだろう。俺がここから逃げ出すために。
エルシッドは決して万全とは言えない装備でアフトクラトラスと対峙している。さすがの奴もあの猛攻のなかでは先ほどの炎球を射出することはできないらしい。
エルシッドは敵の間隙をついて攻撃にも転じている。しかし、その甲殻は固く、決して有効打を与えることはできない。
このまま戦い続けてもエルシッドに勝ち目は万が一にもない。彼が真に自分の生を優先するのなら取るべき行動は逃亡一択であったはずだ。
俺は恐怖で竦んだ手足を奮い立たせる。俺がここに居続けてはエルシッドの決意が無駄になる。俺すぐさま立ち上がり、村の方角へと走りだした。
村へ危険を伝える。彼らの安全を確保する。しかし、俺は決して逃げない。あんたを見殺しにしたりはしない。シルビアならば。魔王軍元幹部の彼女ならばきっと力になれるはずだ。
息が切れて苦しい。走っているからということもあるが、過度な恐怖で体がまともに機能していないことがわかる。この中、相対しているエルシッドが異常なのだと思い知らされる。
いや、異常になる必要があったのか。命の危険にさらされて、その場から逃げるのではなく自ら進んで向かっていくなど生物として間違っている。
生物として間違っているが、人間としてはどこまでだって正しい。人間であるということは生物である部分を少なからず否定しなければならないのだろう。
そんな生き方に憧れる。
彼を死なせはしない。前回のように全力を尽くせば事態は好転するはずだ。誰も死なない。俺も、エルシッドもエルザもみんなも。
また今日までのようにくだらないことで一喜一憂する日常が明日からも続けることができるはずだ。他人の恋愛話を聞きながら散歩できるような‐‐‐
ズンっ。そんな俺の目の前にアフトクラトラスは姿を現した。その体にはエルシッドが与えたであろう剣撃のあとが刻まれていた。彼の攻撃は多少なりとも竜王種に届いていた。
エルシッドは無事なのか。俺が後ろを振り返り、先ほどまでエルシッドが戦っていた辺りを見ると。全身血まみれで倒れこむ男の姿があった。あの出血量は、、、、、。
「------オオオォォォ」
アフトクラトラスは勝利を確信したのか。空へと向かって盛大に勝鬨をあげる。
どのくらいその場に立ちすくしてしまったのかはわからない。時間の間隔などもはや、無い。もしかすればこの悪夢のような時間は5分に満たないのかも知れない。命の危機に敏感となった感覚を通じて脳内に流れる情報量は普段の何十倍かもわからない。
俺の精神はもう崩壊寸前だった。
その中でも幸いに感じることがあった。それは感覚が鈍っていることでどうやら俺は正気を保っていられているらしいということだった。
まともであれば、この恐怖に耐えられずにとっくに発狂死してしまっている。
「しまっ」
そして不幸なことももちろんあった。恐怖のあまり視界は狭まり、奴のやつの繰り出す攻撃に気づくことができなかった。奴は体を素早く回転させその尻尾を巨大なハンマーのように俺に向けて振りはじめていた。
「時間を稼ぎ切れなくてすまないね」
今度こそ死を覚悟した俺を押しのけ、その巨大な鈍器との間に割って入ったのはエルシッドであった。
「メキャっ」
人体から決して発されてはならない類の音が聞こえた次の瞬間、エルシッドの体は俺の目の前から消え、代わりに遥か後方へと吹き飛ばされていた。
「ああ、ああ、エルシッド!」
俺は後方のアフトクラトラスへの意識全てを投げ捨てエルシッドに駆け寄った。
その手足はひしゃげており、走り出すことはもちろん立ち上がることすら不可能な状態であることは一目瞭然であった。
目を背けたい光景だった。
先ほどの攻撃を受ける前から既に、重症を負っていたのだろう。駆け付けたその手には剣は握られていなかった。剣すら握ることが叶わない体でも、俺を助けるために最後の力を振り絞ってくれたのか、、、。
俺は急いで回復魔法を展開する。脈はかろうじてあるが、その顔から血の気は全く感じることができず、既に死人であるかのように見えた。
手足の修復よりも最優先すべきは臓器の回復、そして止血だ。俺の足りない魔力で出来る最善のことをするんだ。彼は絶対に死なせない。死なせたくない。
回復魔法に全身の注意を向け、涙によってまともに開けない視界の端にアフトクラトラスが映った。魔力の充填は既に終え、四本の脚で攻撃態勢に入っている奴の姿があった。
「くそがあああああああ!」
俺は悔しさとも恨みとも怒りとも判別がつかない感情のまま叫んでいた。
「トカゲ風情が‐‐‐‐‐‐」
ドオオオォォン。と何か巨大なものが地面にたたきつけられる音がした。
俺は血や涙で濡れている手の代わりに腕を使い顔をぬぐった。そして正面を見据えるとそこには巨大な氷壁があった。
アフトクラトラスはその氷壁の近くで悶えるように倒れこんでいた。恐らくはあの氷壁が奴の横腹を突いたのだろう。
「トカゲ風情がよくもエリック様の命を脅かそうとしてくれたものだわ。それもたかだか竜王種、その幼体というのだから不敬に過ぎる」
その声が誰であるのかすぐにわかった。俺がいまこの瞬間に最も頼ることができる存在である。
「人里離れた巣で大人しくしていれば良いものを。人里に餌を求める獣など駆逐される定めだというのがわからないらしいわね」
「シルビア。助かった。本当に助かった。本当にありがとう」
紫の装備に身を包む、最強の味方が来てくれた。恐怖のあまり流れ出た冷たい涙は枯れ、安堵のあまりに溢れ出た温かい涙が頬を伝った。
「もったい無きお言葉ですわ、エリック様。あなた様の危機とあらばこのシルビア、どこであろうと馳せ参じましょう」
そう言うとシルビアはアフトクラトラスに対してその剣先を向けた。




