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6 急転直下の闇討事件

 ひた、という静かな足音で、丈ははっとした。目の前には解きかけの高次方程式の問題。シャーペンで書いた数式は、途中からミミズがのたうちまわったような謎の暗号と化している。解いている途中で、うつらうつらしていたらしい。部屋の灯りもつけっぱなしだ。そのうち電気代が上がったとかではじめにどやされそうだな、と思いながら、暗号を消しゴムで消した。

 それから、自分の意識を引っ張り上げた気配の正体は、と顔を上げると、リビングには真樹が入ってきたところだった。時刻は午前一時過ぎ。中学生が起きているにはつらそうな時間だが、真樹はけっして寝ぼけているような様子ではなく、はっきりと丈を見つめていた。その目がどこか剣呑なのを、怪訝に思う。

「どうした、真樹。眠れないのか」

「…………」

「真樹?」

 真樹は何か言いたそうに唇を開きかけたが、迷った末に口を噤む。不審に思った丈が立ちあがり、真樹の方に近づこうとすると、真樹はそれを拒絶するかのようにびくりと体を震わせた。

 ――ことはそう単純でもないんじゃない。

 四葉の忠告が脳裏によみがえる。

「鍵を」

 ぽつりと真樹が呟いた。

「鍵をください、丈さん」

 表情の抜け落ちた真樹が、抑揚のない声で責める。美咲と一緒に笑っていた中学生はどこかへいなくなっていた。真樹から感じたのは、狂気のようなもの。

「……何度頼まれたって、鍵は渡せない」

「どうして。丈さんには、必要のないものです」

「……自分勝手な母親だったけど、はっきり言って迷惑な話だったけど、それでも、最後の頼みくらい、聞くもんだ」

 誰もかれもが、魔法の使えない丈に、勝手な期待を押しつけて、勝手に失望して去って行った。みんながそろって姉たちだけを見ていた。姉たちを選んでいた。それが羨ましかったわけではないけれど、寂しくなかったと言えば嘘になる。

 しかし、桐島御影が最後に選んだのは、丈だった。姉たちを追い払い、二人きりになって、秘密を預けた相手は丈だった。

「約束を違えるつもりはない。鍵は渡さない」

「そうやって、ずっと隠し持っていて、どうするんですか。道具は使うためのものでしょう。あなたが使わないなら、僕が使う」

「真樹、」

「鍵を渡して!」

 丈の呼びかけを遮って、真樹の怒号が響く。真樹の手が狼狽する丈の胸ぐらを掴み、そのまま床に押し倒した。小柄な中学生だと思って油断していた。中学生の膂力は、なかなかどうして侮れない。とっさのことで受け身もとれず、丈はフローリングの床に頭を打ち付け呻いた。真樹にマウントを取られながら、今ので床に傷がついていたらどうしようかなどと、馬鹿みたいに場違いなことを思い浮かべた。

「鍵をくれなくてもいい。ただ一度だけ。一度だけ使えれば、僕はそれでいいんです」

「いったい、何に使うんだ……? 魔法の鍵って、いったい……」

「鍵を……!」

 ぐっ、と真樹の両手が丈の首に絡んだ。鍵の場所を教えるように迫りながら、満足に言葉を発せさせないような矛盾する行動。息苦しさに喘ぎながら、丈は真樹を押しのけようとする。その時、

「――真樹!」

 名前を呼ばれて、真樹が震えた。真樹がぎこちない動きで振り返った先には、血相を変えた美咲がいた。騒ぎに目を覚まして、下りてきたようだ。廊下の灯りがついて、慌ただしい足音がいくつか響いた。予定外の増援に、真樹は動揺を見せ、弾かれたように丈から離れ、美咲を見つめた。丈は軽く咽せながら、額に滲んだ汗を袖で拭う。

 瞠目する美咲と、険しく眉を寄せる真樹が向かい合い、お互い言葉を探していた。やがて、美咲が口火を切る。

「真樹、どうしちゃったの? 鍵は奪うんじゃないって、お願いして貰うだけだって、そう決めたのに」

「……予定が変わったんだよ。僕にはもう、時間がなくなった。急がないと……」

「それって、どういう……」

「おい、何の騒ぎだ!」

 はじめの大声が聞こえた。その声に反応して、真樹は走り出す。リビングの入り口で固まっていた美咲を押しのけ、真樹は逃げ出した。乱暴に玄関の扉が開く音がして、真樹が家の外へ逃げ出したのが解った。

 丈は呆然としながら、なんとか体を起こす。美咲は、真樹の出て行った方を、信じられないというような目で凝視していた。

「丈、今何時だと思ってるんだ。夏休みだからって調子に……」

 激怒しながら部屋に入ってきたはじめも、丈と美咲のただならない様子を見て、言葉を切る。それから、少し落ち着いた調子で丈に問う。

「いったい、なんだってんだ。弟の方はどうした」

「……こっちが聞きたい」

 真樹も美咲も、姉や阿澄たちと一緒に、和気藹々と食事をして、他愛ない話で盛り上がって、笑顔で寝室に上がっていったはずだ。真樹だけが、ほんの数時間の間に、態度を百八十度変えた。美咲の様子を見るに、彼女も真樹の豹変の理由は解ってないようだ。おそらく四葉は何かに気づいている節があるが、この騒ぎでも起きてこないところを見ると、受験勉強疲れで爆睡していて、朝まで起きないと見た。

 なぜ、真樹は急に鍵を奪おうとしたのか。

 そして、真樹が言った言葉はどういう意味なのか。

 考えなければならない。

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