7 彼が豹変した理由
リビングには、丈、美咲、そしてなぜか阿澄の三人が残っていた。はじめは美咲と真樹のことを気がかりそうにしていたが、元々は丈が持ち込んだ問題であるし、夏休み中の丈たちと違って、会社員のはじめに休みは関係ない。明日も、というかもう今日なのだが、仕事があるのだからと言って先に寝せた。
阿澄は遅ればせながら騒ぎに気づいたようで、そっくりと起きてきてリビングに顔を出した。目が冴えてしまったらしく、真樹のことが心配だというので、そのまま起きている。ソファで休んでいる美咲が、どうにも頼りなく心配なので、同じ女性の阿澄がそばにいてくれるのはありがたかった。
「……じゃあ、真樹君は、夜中に突然下りてきて、丈に襲いかかった、と」
阿澄が端的にまとめた内容に間違いはなかったので、肯定する。
「私たちは……」
美咲がぽつりと口にする。
「私たちは、グリムの魔女だけど、先代のお母さんたちや、他の魔女たちとは違います。二人で仲良くしてて、時々、ちょっぴり、人を笑わせるような、冗談みたいな悪戯をして、そうやって楽しくやっていければ、それでいいって、言ってたんです。魔法の鍵を手に入れたいってなったときも、誰かを傷つけたりはしないで、『ください』ってお願いしに行こうって、約束したんです」
「それが、急にこうなった、と。原因はお前にも不明なのか?」
「解りません……」
「あいつ、時間がないとか、どうとかって言ってたが、それについては?」
美咲の目が、一瞬泳いだ。しかし、結局彼女は、何も知らないと答えた。何か、思い当たる節はあるのかもしれない。だが、真樹のいないところでそれを口にしていいものか、悩んでいるのだろう。
中学生たちの問題は、なかなかデリケートな問題を孕んでいるらしい。
「ま、まさか!」
阿澄が青ざめた顔で叫ぶ。丈と美咲は阿澄に注目する。
「真樹君は不治の病にかかっていて、もうすぐ命が尽きてしまうとか! 魔法の鍵があれば治るとか!」
「それは違います」
阿澄の仮説は美咲によって一瞬で否定された。
「私も真樹も、いたって健康体です」
「そ、そう……あ、じゃあ!」
阿澄は懲りずに仮説その二を提示する。
「真樹君はこの数時間の間に、丈に怨みを募らせた」
「それは否定できません」
「否定してくれないのか」
「なにかが腹に据えかねた可能性はあります。冷蔵庫にとっておいたプリンを食べられたとか……」
「なんで俺のうちに真樹のプリンがあるんだ。というか、プリンなんか食ってない」
「私、真樹君が丈を恨む心当たりがあるわよ」
阿澄がじろりと睨んでくる。心当たりなどとは寝耳に水で、しかし、どうも冗談ではないらしく、阿澄が恨めし気に睨みつけてくるのに、丈は僅かに怯んだ。
「な、なんだよ、心当たりって。なにか悪いことしたか?」
「今日のカレーだけど、タマネギに火が通ってなかった」
「あ、あれは……」
丈は本日の夕食作りの際の、唯一の失態を思い出す。タマネギが若干生なのは知っていた。丈も同じものを食べたのだから。ただ、あの件に関しては丈も言い分がある。
「あれは俺が目を離した隙に、はじめ姉が勝手に入れたんだ。『確かタマネギって、たくさん入れると甘くなるんだよな』とかなんとか」
「そりゃあ、タマネギ入れれば甘くなるけど、それはちゃんと火を通したらの話でしょ」
「勿論知ってる。だから、はじめ姉だって当然知ってるもんだと思って、あの言葉は『もう少し入れておけばよかったな』って話だと思って聞き流したんだ。そうしたら、食べる直前になって入れたらしく……俺が気づいたのは、食べた後だった。ルゥに混ざって解りにくくなっていたが、食べればすぐ解った。だが、同じものを食べてるはずなのに、双美姉も三恵姉も、四葉姉ですら何も言わない」
「私は、一応客なわけだし、差し出がましいことも言えないと思ってたから黙ってたけど、どうして双美さんたちは何も言わなかったのかしら」
「おそらく日常茶飯事なんだろう。はじめ姉は、料理は普通にできるはずなのに、たまに信じられないくらい馬鹿なことをやらかす。俺も昔は、よく腹を壊した」
「そう、それよ。真樹君も、お腹壊したのよ。夜中にトイレに何回も行ってたもの」
阿澄が憤然として糾弾する。
「お前は人がトイレに行くのをいちいち見てるのか?」
「私、眠りが浅いから、ちょっとの物音とかで起きちゃうのよ。扉が開く音で何回か目を覚ましたけど、あれは丈の部屋の方だったから、真樹君のはずよ」
「言っておくが、真樹が腹を壊したんだとしても、責任ははじめ姉にある」
「そんなことはこの際問題じゃないわ。真樹君が丈のせいだと思ったかもしれないことが問題なの」
そう言われてしまえば、ぐうの音も出ない。真樹は、まさか今日初めて会ったはじめに文句を言えるはずもないし、矛先を丈に向けてもおかしくはない。しかし、言っちゃなんだが、腹を壊したくらいで怒って夜中に襲いに来なくても、と思わなくもない丈である。
「ほ、他に何か心当たりはないのか。いくらなんでも、こんな理由で襲われたんだとしたら、あんまりだ。他に、様子が変だったとか、ないのか」
「そうは言ってもねえ。あんただってずっと一緒の部屋にいたでしょうよ」
「そりゃあそうだけど、料理に集中してるときとか、洗い物しているときとかは話なんかほとんど聞こえなかったし、風呂に入ってる時のことも勿論知らないし」
「話してたことなんかは、ほんと、他愛のないことよ。中学校の様子とか、恋バナとか、丈の馬鹿話で盛り上がったりとか……」
「なんで人の馬鹿話で盛り上がるんだよ」
「お風呂のことなんかは当然誰も知らないわ。真樹君は一人で入ったもの。さすがの仲良し姉弟だって、中学生じゃ一緒には入らないものね」
阿澄の問いかけに、美咲は首肯する。
「あっ! 解った、お風呂にゴ×××が出たのよ! それで怒って……」
「タマネギで腹壊したのよりひどい理由だな……」
「いいえ、きっとそうよ! 脱衣所のゴミ箱見てみなさいよ! 絶対Gがいるはずよ!」
阿澄はもうこれしかないとばかりに断言する。阿澄にせっつかれ、なぜか丈はゴミ箱内G探索をすることになった。
結果から言うと、Gなんて影も形もなかった。
ただ、そんなものよりもとんでもないものを見つけたことは確かだったから、阿澄には礼を言わねばならないだろう。




