9 正しい魔法の使い方
ヘンゼルとグレーテル。それになぞらえられた二人組の魔女は、当然に、ヘンゼル・真樹が男で、グレーテル・美咲が女だと思われた。現に、真樹は弟を自称した。女の子らしくスカートを揺らす美咲とは対照的に、真樹は男物のシャツと半ズボンを履いていた。
だが、グリムの魔女「ヘンゼルとグレーテル」は、二人とも、女だった。先代ヘンゼルとグレーテルが、彼女たちの母と伯母の、女二人組だったように。
「ちょ、ちょっと待って。だって、真樹君は男の子で、魔法は使えなくて、でも二人で仲良くって話で、グリムの魔女の一人って話でしょ? それが……女の子?」
阿澄は混乱して様子で疑問を口にする。
「仮にそれが本当だとして、どうして男だなんて嘘をつくの? 女の子なら、難しいこと言わないで、二人そろって魔女です、でいいじゃない」
「真樹は魔女じゃない。それは本人がそう言ってただろう。男だから、というくだりは嘘だが、魔法を使えないのは嘘じゃないはずだ」
「……やっぱり解んない。なんで男のふりをするの?」
「真樹にとっては、『女だが魔女ではない』ことが問題だったんだ。いつだったか話した、魔女遺伝子の話を覚えているか」
「ええと、五月ごろ話した、アレよね」
阿澄は生物が得意だから、おそらくは明確に覚えていることだろう。魔女の力について、X染色体の異常で説明しようとした一説だ。子どもが魔法の力を持ち魔女となる魔女遺伝子を異常なxとして、魔女の力が伴性遺伝すると考えるものである。これが本当に正しいかどうかは別にして、そういう説が一般に知られていることは間違いない。
「二人の母親は魔女だった。つまり、性別にかかわる母親の遺伝子型はxx。父親は当然魔女じゃないが、遺伝子型は、この時点では魔女遺伝子キャリアxYなのか、正常XYなのかは不明だ。ここで、姉の美咲が生まれる。美咲は魔女だ。つまり遺伝子型は母親と同じxx。となると、父親の遺伝子型はキャリアxYだと確定できる。話をまとめると、もし二人の間に女子が生まれた場合、つまり父親からxをもらった場合、確実にその子どもは魔女になる。魔女と、魔女遺伝子キャリアの父親の間に生まれた女子は魔女になるんだ」
「え、でも、真樹君は……」
「逆に言えば、もし女でありながら魔女でない場合、この母親と父親の間に生まれた子どもではないということだ」
女子でありながら、魔女でない。生まれるはずのない非魔女の女子。真樹の存在は、家族にとって爆弾だったのだ。
「……そうです。丈さんの言うとおりです」
つらそうな声で、真樹は告白する。
「僕は、母と、母の不倫相手との間に生まれた子どもです。血液型の問題はなかったから、そこから発覚することはないはずでした。けれど、相手の男はキャリアじゃなかったから、僕は魔女になれなかった。……母は慌てたでしょうね。母だって解っていました、先に美咲が生まれているんだから、次に女子が生まれたら、その子だって魔女になるはずだって。だから、僕は女であってはいけなかったんです。男ということにしなければ、母の不貞が露見します。母は自分の保身のためにそう考えたんでしょうけど、僕にとっても大問題です。血がつながっていないと知れたら、僕は父から疎まれることでしょう」
だから、男であると偽ったのだ。母も、姉も、本人も、父親に嘘をつくことにした。それぞれの理由で、騙すことにした。真樹が魔女でないのは、別の相手との間に生まれたからではなく、男だからということにしたのだ。
「けれど……最初はそれでいいと思っていたけれど、そう簡単にはいきません。僕の体は、どんどん女の子になっていくんですから。そして、とどめを刺すように、今日……」
真樹はもう、隠しきれないと悟ったのだ。
「いつか父にすべてが知られてしまう時がくると、僕は解っていました。だから、手を打っておくことにしました。それが、魔法の鍵です。ゆっくりあなたを言いくるめて、鍵を手に入れられればと思ったんですけど、今日……僕は気が動顛してしまって、もう今すぐ奪い取るしかないという気になってしまいました」
「鍵と、お前の問題、どう関係があるんだ?」
「丈さん、魔法の鍵はね、人の心を開く鍵なんですよ」
真樹は切なげに微笑み、そう告げる。堪えきれずにといったふうに、美咲が真樹に駆け寄り、その腕にすがりついた。
「人の心を開いてくれる、魔法の鍵だと聞きました。いつか父は、僕の秘密を知って、僕に対して心を閉ざしてしまうでしょう。そうなったとき、僕は父の心を開くために、魔法の鍵が欲しかった……」
「そんな、まさか……」
真樹の告白に、丈は声を上ずらせる。真樹が嘘をついているようには見えない。だが、真樹の言う魔法の鍵の真実は、とうてい信じられるものではなかった。
自分に対して開いていない人の心を、魔法の鍵で開ける。こじ開ける。秘密を知って、父親が真樹のことを疎み、憎み、蔑むようになったとき、魔法の鍵を使えば、秘密を知る前のような、優しい父親に戻ってくれるということか? それではまるで洗脳だ。
母、桐島御影が作った魔法の鍵が、自分がずっと守り続けてきた鍵が、そんなものだったなんて、丈には信じられなかった。
そんなはずは、ありえない。
「違う……それは違うよ、真樹」
「丈さん……?」
「母さんは、自分勝手な人だったけれど、魔法で人の心を捻じ曲げてしまうような、そんな道具を作る人ではなかった。お前たちだって言っていたじゃないか。魔法は人を楽しませるものだって。魔法は人を幸せにするものだって。お前が言うような鍵は、そんな魔法は、誰も幸せになんかしない」
もしかしたら、真樹は幸せになれなくてもいいのかもしれない。嘘で塗り固められていてもいいから、父親の愛情を手に入れたいのかもしれない。そうだとしたら、丈の説得など意味を持たないだろう。
しかし、真樹と美咲は、いつものように、困ったような顔で目を見合わせて、それから再び向き直ったときには、寂しげな笑みを浮かべていた。
「丈さんはずるい人ですね。そんなこと言われちゃったら、ねえ? だって僕は、僕たちは、『ヘンゼルとグレーテル』なんですよ?」
ヘンゼルとグレーテルの姉妹は、手をつなぐ。
「人を楽しませる魔女なんです」
「人を幸せにする魔女なんです」
「『ヘンゼルとグレーテル』はいつでも一緒」
「二人一緒なら、なんでもできるんですよ?」
だから魔法の鍵は、必要ない――そう言って、二人の魔女は泣いていた。




