第9話:むかしばなし②
旧7話と8話の間に、新8話と9話を割り込み投稿しています(*´Д`*)
すみません(^◇^;)
帰り道、トリンは無言だった。
憧れていた城衛騎士の傲慢な態度に辟易したのはある。しかしそれ以上に、惨めに頭を下げるだけのアロンの姿が心の底から憎たらしかった。
自分の大事なものを馬鹿にされたような気分だ。
トリンはアロンとの日々の中で、少なからず彼に尊敬の念を抱いていた。しかしその大切な想いは、当の本人によって深く傷つけられた。
「トリン、今日はご苦労様。飯でも食べて帰ろうか」
それなのにアロンは平然としている。
この男にプライドというものはないのか? 普段見せていた仕事への矜持は、嘘だったのか?
「あそこのダイナーがいいか」
アロンに促されるまま、二人がけのテーブルに座らされる。むすっとしたまま黙っていると、しばらくして目の前にハンバーグが並べられた。
美味しい匂いの魔力には勝てない。
トリンの空っぽの胃袋がムズムズと疼くが、意地を張ってフォークに手を伸ばさない。
「おお、肉汁が溢れる。トリンよ、いらないならソレも貰うが?」
それは……困る。
渋々と、トリンはハンバーグを食べ始めた。
「——ビックリさせてしまったな」コップの水を一口飲むと、アロンは溜息のように切り出す「この仕事の依頼主は、大抵が貴族や王家の者達だ。彼らは面目を重んじる。平民の私の言葉に、素直に従いたくない者だって大勢いる」
「……」
「あの城衛騎士様だって、我々平民に向けては、強い自分を誇示し続けなければならない。気苦労も絶えないだろう。悪く思わないであげてほしい。とは言え……今回は少しショッキングなシーンを見せてしまった。すまない」
アロンは頭を下げた。
その姿に、先ほどの情けない姿が重なり、忘れかけていた怒りが再び噴出する。
「でも……でもさ! あんなのカッコ悪いよ!」
皿に置いたフォークが大きな音を立て、そのままテーブルに転がった。
「カッコ悪い?」
「そうだよ! あんなふうに馬鹿にされて、なんで何も言い返さないの!? あの城衛騎士が強そうだから!? 怖気付くなんてダサいよ! サイテーだ!」
トリンは涙が溢れてきた。
もっと罵詈雑言を並べたかったのに、言葉がぐしゃぐしゃに絡まって、紡げない。
アロンは優しく微笑むと、ハンバーグを一口食べて「ここの店のハンバーグは、実に美味い」と言った。
「なぜここのハンバーグが美味いかわかるか? トリン」
唐突な質問にトリンは面食らう。
「私は料理の素人だから予想でしかないが、多分ただ肉を丸めて焼いただけじゃない。タマネギをじっくり炒めたり、数々のスパイスをブレンドしたり、肉の配合を調整したりしてるのだろう。でも、それは我々にはわからない。どの店だって、見た目は同じハンバーグだ」
急に何を言い出したんだ?
ポカンと口を開いた口が塞がらない。
「もし、我々と味覚の違う異国の民が、このハンバーグは不味いと言い出したら、コック長はどうするのだろうね? タマネギやスパイスや肉の調合……自分の努力を並べ立てて『不味いはずはない! 美味いと言え!』と意見を押し付けるかね?」
それは……しないと思う。
「どう思う? トリン」
「しない……」
「だよなぁ」
そう言ってアロンは笑った。
「依頼があって、それに応じた最高の仕事をして、報酬を貰う。その明確な価値のやり取り以外に、余分な感情は不要だと、私は常々思っている」
フォーク置いた。いつの間にかアロンの目は真剣なものに変わっていた。
「コックはハンバーグを依頼され、それを全力で作り提供し、代金を貰う。それで価値のやり取りは完結している。その背後にある努力も、個人の好みによる良し悪しも、その明確な流れの上では単なる支流でしかない」
カッコいい、カッコ悪い。
褒められたい、貶されたくない。
そんな価値基準で今まで生きてきた子供のトリンにとって、アロンの言葉は晴天の霹靂だった。
「馬鹿にされようが、土下座を強要されようが、そんなのどうでもいいんだ。自分のすべき事だけを見て、それをしっかりとやり遂げ、対価としての報酬を頂く——支流に惑わされず、その流れを全うする事が、私はカッコいいと思っているんだが……どうかな?」
どうかな? と言われても……。
なんだか言い負かされているような気がする。
釈然としないまま、トリンは「そういう考え方もあるよね……」と大人ぶった。
「そういう事さ。ほら、ハンバーグを食べなさい。これ以上冷めてしまうなら、その前に私の腹の中へと仕舞うとしよう」
「ダメ」
急かされて再び口へと運ぶ。
口に含んだハンバーグは、さっきよりも美味しく感じられた。
* * *
ドアを挟んだ隣のパーティ会場から舞踏曲が流れ込み、薄暗いバックヤードは少しだけ華やぐ。
貴族のパーティーなど縁がないトリンは、昨日設置したトラップを回収しながらも、ソワソワと扉の方に目をやっていた。
「このカゴの中には、人の汗の臭いがする液体が入っていて、誘引されたモスキーバットがこの上の穴から入り込むと、逃げられない構造になっていて——」
アロンがそんな説明をしてくれているが、気も漫ろだ。
貴族と平民。重たい扉で、二つの世界は完全に切り離されている。それが建物の構造以上の形而上的な意味を持つような気がして、トリンは少しだけ悲しくなった。
「設置場所が良かったから大量に捕獲出来た。おそらくこの屋敷のモスキーバットは全て駆除出来ただろうが……念の為に数箇所トラップを設置して、この依頼は完遂だ」
頬についた埃をこすり落としてアロンはニカッと笑った。やるべき事を成し遂げた、曇りのない笑顔だ。
トリンは頷き、トラップがぎっしり詰まった麻袋を「どっこいしょ」と担いだ。
作業完了を使用人に伝えると、彼らはパーティー会場に向かった後、すぐに戻ってきた。
「メッサ様が会場に来いと——」
「いやあ、こんな格好で伺うわけには……」
「そうなんですが、連れて来いと言われまして……」
そう言いながらも、使用人は首を傾げている。
トリンは嫌な予感がした。きっとそれはアロンも同じだったはずだ。
重たいドアが開けられる。
暗闇に慣れた目に、豪奢なシャンデリアの明かりは眩しかった。
「おお、城内魔物管理士さん!」二人を見つけたメッサが大きく手を振っている。「すまないが、ちょっと仕事をお願いしたい」
「なんでしょう? キャモンがいました?」
先に立って歩いていくアロンの後ろを、トリンは恐る恐る追いかけた。煌びやかな衣装を纏った紳士や婦人に囲まれて、汚れた黒い作業着の自分が心底恥ずかしい。
「これだよ、これ」
メッサの目には怪しい光がチラつく。指さしたカーペットには、誰かの吐瀉物が飛び散っていた。
「これは?」
「いやあ、訪問客の一人が飲みすぎて粗相をしてしまったようでね。コレ、掃除しといてよ」
は?
トリンは床に飛び散った白濁色の吐瀉物と、メッサの顔、そして隣に立つアロンの横顔を順に見た。
アロンは無表情で、目の前の城衛騎士を見つめている。
「恐れ多くもメッサ様……私は城内魔物管理士で、今回の依頼はモスキーバットの駆除です。床の清掃作業は今回の依頼に含まれておりません」
「はあ? お前、床を磨くの得意だったよな? 昨日だって、屋敷中の床を這いつくばってたじゃねーか」
下卑た笑いだった。
この男がアロンを蔑み笑い者にしたいだけだというのは、子供のトリンにも理解できた。
なんでこんな事を? と考えて、その疑問が無意味だと気付く。自分より下の存在を貶すことで、歪な支配欲を満たそうという人種は、どんなコミュニティーでも存在するのだろう。
町の子供達の間でも、大人の社会や、貴族社会の中でも——
「やらないのか? やってくれないなら、今回の報酬は無しだな」
親指と人差し指で『0』を作ってみせる。
アロンは答えない。
玉砂利に埋もれた金粒を探すように、メッサの瞳の中に宿る真意を探る。
しかしそこにあるのは、薄汚れた石ころだけだ。
「私は依頼された仕事を全うしました。それでも、報酬は頂けない、と?」
「あたりめーだろ。俺の命令に背いたんだから、そうなるよな」
「それでは、契約破棄……ですね」
そう言ってアロンはニヤリと笑った。
張り詰めた風船を押しつぶしたような、不恰好な笑みだった。
長い腕がトリンの背負った麻袋を掴む。
次の瞬間、袋の口を開け放ったアロンは、中に入っていたトラップを地面にぶちまけた。
カゴの蓋が外れ、中から無数のモスキーバットが飛び立つ。
近くの女性の悲鳴。
唖然とするメッサ。
「てめえ、何しやがる!?」
「乱暴な言葉で罵られようが、土下座を強要しようが、正当な契約に関わるものであれば私は許容します。しかしあなたは、価値のやり取りを破棄し……契約を反故にした。約束を守らない相手には、こちらも約束を守る義理はないでしょう?」
「ふざけんな——」
メッサが拳を振り上げる。
丸太のような筋肉が引き締まり、一気に解き放たれる。
巨岩を投石するかのような一撃——
しかしそれは、空を切り床へとめり込んだ。
既にアロンはメッサの背後にいた。
その場にいた大勢の人々の中で、彼の動きを視認出来た者は、皆無だった。
もちろん、メッサを含めて。
異変を感じて振り向くメッサの顔面に、ガラス瓶に入った液体をぶちまける。
「は!? なんだこれ! く、くっせえ!!」
「モスキーバットの誘引剤です。正確には、人の汗の臭いを熟成させたやつですね。通常は薄めて使うので、原液はさぞ強烈でしょう」
服の袖で顔を拭うメッサ。
異様な臭いに顔を顰める貴族達。
「その減らず口、黙らせてやるよ——」
怒りに任せて呪文の詠唱を始めたメッサの頬に、1匹のモスキーバットがとまり——
「いえ、黙らざるをえなくなるのは、そちらですよ」
1匹の飛来を呼び水にして、トラップから解き放たれた大量のモスキーバットが、誘引剤の臭い目掛けて群飛する。
目指すはメッサの巨大な顔面。
大量のキャモンに顔面を覆われた城衛騎士は、モゴモゴと呻きながら床を転がる。
そして、白目を剥いて気絶した。
あっという間の出来事だった。
トリンはまばたきすら忘れ、信じられない光景に見入っている。
アロンさんが——
城衛騎士を——
倒した……?
「何が起きた!? 騒がしい!」
扉を開けて駆け込んできたのは、この屋敷の主であるエラーイ伯爵。
「おいおい、メッサのやつがまた暴れたのか? ったく、城衛騎士になって少しはマシになったと思ったが、乱暴で陰険なところは全く変わってないじゃないか……」
ブツクサ呟きながら人混みを掻き分け、騒ぎの中心へと向かう。そこにいたのは、モスキーバットに顔を覆われて気絶する息子と、背の高い初老の男。
「申し訳ございません、私が——」
おずおずと手を挙げるアロン。
「その格好は、城内魔物管理士? 屋敷内で騒ぎを起こすなんて、まったく——ん!?」
申し訳なさそうに肩を落とすアロンの顔を、マジマジと見るエラーイ伯爵。そして躊躇いながらも、アロンに尋ねる。
「あなたの顔を、以前ベンズロン城で見た事があるような……」
「いえ、人違いでしょう」
「いや! 確かに見た! 私はまだガキだったが、今でもこの目に焼き付いてる! 当時最強と謳われた、城衛騎士団長……。たしか名前は、アロン——」
名を呼ばれた初老の男は、バツが悪そうにペコリと頭を下げた。
トリンは開いた口が塞がらなかった。
* * *
「私は、価値のやり取りを重視してしまう」再び捕獲したモスキーバットを担ぎながら、アロンは家までの道を歩く。「報酬にこだわる私を浅ましく思うかもしれないが、私自身はそこに確固たる信念を持っているつもりだ」
後ろを歩くトリンは、頭の中がスプーンでかき混ぜたみたいにぐちゃぐちゃだ。
襲いかかるメッサ、それを返り討ちにしたアロン、そして彼があろう事か城衛騎士の団長だったという事実……。
夜風に舞う若草の匂いと、鼻腔にこびりついた誘引剤の残り香が、現実感を奪っていく。
全部が全部、ごちゃ混ぜだ。
「言葉の裏にある本当の価値ってのは、一定じゃない。心を込めた感謝の言葉も、口から出まかせの感謝の言葉も、時と場合によっては同じ価値に捉えられかねない。そんなの、不公平だろう?」
よくわからなかった。
ありがとうとごめんねで回る世界しか知らないトリンは、それでもわからないなりに噛み砕き、コクコクと頷く。
「その点、お金っての普遍的よ。誰にとっても同じ意味、同じ価値を持っているから」
アロンの背中越しに月が見える。
大きくて、オレンジ色の月だ。
「そして、価値のやり取りがない一方的な供与は、どうしたって無責任で、与える側からの独善的なものになる。やらない方がマシ……そう思えるくらいにね」
アロンがどんな顔で語っているのか、彼の背中を見ているトリンにはわからない。
しかし、きっと真剣な表情で、大事な教訓を伝えようとしているのだろうと、トリンは感じる事ができる。
「だから……正当な報酬を拒否したメッサ様を、私は許す事が出来なかった。これは、そう——まだ真っさらな君に対する、一人の老人の見苦しい言い訳だよ」
そして振り向く。
例えば痩せた月は、巨大な円の一部に過ぎない。
アロンの姿に今宵の満月が重なった。
* * *
いつからかトリンは、アロンを師と呼ぶようになる。
この夜の出来事は、最大の転機とは言えないかも知れないが、トリンが城内魔物管理士を目指す切っ掛けの一つではあった。
月が満ちるように、トリンはその思いを膨らませていく。
トリンと、師匠であるアロンを掘り下げました。今後も要所要所で二人を掘り下げていこうと思います。
アロンの仕事観は、かなり幕田の持論を反映してます。
技術営業職をやっていると「ビジネス」と「サービス」の境界が曖昧になりがちです。そのくらいタダでやってくれよ、と無理難題を押し付けてくる顧客もいるし、今後の関係を考えると無償で対応する事もままあります。
ただ、某ラーメンハゲ言うように、タダでやらされた仕事にはどうしても妥協が生じてしまいます。
人間ですから。
多少のお金のやり取り……価値のやり取りは、お互いにとって大事なのだと思います。
それがちゃんと描けていたら嬉しいな(^◇^;)
トリンが「追加料金が発生しますので」とうるさいのも、こういうところから来てるんでしょうね。




