第8話:むかしばなし①
どこかで書こうと思っていたトリンの過去ですが、7話の次が最適かと思い挿入しました。順番が前後してしまいすみません。
①と②の、2話構成です。
よろしくお願いします。
遡ること十数年。
首都であるベンズロン城から500キロビョンほど離れた、辺境貴族が収める小さな集落に、少年は住んでいた。
トリン・シフェノ——ちょっとだけ魔物生態学に詳しく、城衛騎士に憧れるごく普通の少年。その日彼は近所の子供に揶揄われ、鼻を啜りながら玄関先で座り込んでいた。
すると、頭上から声がした。
「どうした? 少年」
顔を上げると、隣の家に住む初老の男だった。
歳は父親よりもずっと上だろうが、背は高く、背筋はピンと伸びていた。白い短髪と口髭が凛々しい。
たまに挨拶する事はあっても、その程度の関係だった。何をしている人なのか、家族はいるのか、トリンは何も知らない。
「友達が……平民じゃ城衛騎士になれないって……」
「そうか」
男はトリンの言葉を肯定も否定もせず、ただ隣に座って空を見上げた。
世の中には、どうする事も出来ない壁が存在する事を、男は長い人生の果てに理解していた。夢や努力という優しい嘘が、時に誰かの呪いになる事を男は知っていた。
だから何も言わず、幼い心が凪いでいくまで一緒に空を眺めていた。
「少年、魔物は好きか?」
トリンの鼻水が乾いた頃、膝の上に置いた分厚い魔物図鑑を見やりながら、男は訊ねる。
トリンは頷いた。
「なら、面白いものを見せてやろう」
男は立ち上がり、しわくちゃの手を差し出す。
トリンは恐る恐るその手を取った。
これが、のちに師匠と呼ぶ事になる男——アロン・デモアとの出会いだった。
* * *
「アロンさんのところに行ってくる!!」
家の手伝いを秒速で終わらせたトリンは、母親の返答も待たずに家を飛び出した。
今日は彼が泊まりがけの仕事から帰ってくる日だ。ドアを叩くと、疲れた顔のアロンが顔を出す。
「おおトリン、今日はいつにも増して威勢がいいな」
口の端を上げて笑顔を作る。
「新しいキャモン、捕まえてきた?」
「まあまあ、そう急かすな。私は帰ってきたばかりで紅茶の一杯すら飲んでないんだよ。ほら、そこの机の上のケージに入れてるから——」
お湯を沸かすアロンを尻目に、トリンは机に乗ったケージに駆け寄る。
「うわあ! プチスライムだ!」
「今回の城じゃ、100匹近く繁殖してたよ。一番元気がいいやつを連れてきた。眺め終わったら、飼育室まで運んどいてくれ」
「ねえ、ビスケットあげてもいい?」
「かまわんよ」
「プチスライムは全身が消化器になってるから、食べ物を与えると体内に取り込んで、ジワジワ溶かしてくんだよね? その様子を観察したい!」
「好きにすればいいさ。紅茶は飲むか?」
「飲む!」
アロンは二人分のカップに紅茶を注ぎ、一つをプチスライムに釘付けになってるトリンの前に置くと、愛用のロッキングチェアに腰掛けた。
アロンは城内魔物管理士という職を生業にしていた。
子供の将来の夢になど間違っても挙がる事のないニッチな職業だ。この頃のトリンもその例に漏れず、将来自分がその職に就くことなど、夢にも思っていなかっただろう。
自分は城衛騎士にはなれないかもしれないが、ならば魔物を研究する学者になって、憧れの城衛騎士達の力になりたい。
アロンがたまに連れてくるキャモンは、少年の大きな夢を形作る、大事なピースの一つだった。
* * *
この土地を収めるエラーイ伯爵の屋敷から依頼があり、アロンは現場へと向かう。
それにちゃっかりトリンが同行したのは、伯爵の第一子であり城衛騎士の称号を持つメッサ・エラーイが長期休暇で里帰りしていると風の噂で聞いたからだ。
城衛騎士は通常、ベンズロン城を拠点に活動している。彼らの前に立てるなんて、田舎町に住む少年にとっては希少な機会だ。
是非会って、サインをもらって、魔物の生態についての談義に花を咲かせたい——屋敷へと向かう道中、トリンはアロンを追い越し、先頭に立って歩いた。
トリンは同行を申し出た時アロンは難色を示したが、結局は彼の真っ直ぐな熱意に負けてしまった。今回は特に危険な仕事ではないし、目を輝かせるトリンを落胆させるのも気が引ける。助手として節度ある行動を約束させ、トリンの同行を許した。
お目当てのメッサは屋敷で休日を満喫していた。
巨漢で筋骨隆々の身体には、数々の魔物を屠ってきた自信が漲っている。しかし相手を見下ろすその視線からは、物理的な高さ以外の他意が含まれているようにも見えた。
屋敷の主であるエラーイ伯爵にアロン達の応対を任されたらしく、顰めっ面から不満が溢れ出ている。
「親父のやつ、なんで城内魔物管理士なんて呼ぶかね」トリンの尊敬の視線を一身に受けながら、メッサは鼻で笑った。「こんな爺さんに任せなくても、城衛騎士の俺様がなんとかしてやるってのに……」
「伯爵からは、モスキーバットが大量発生したと聞きました。血を吸われると痒みを引き起こす、小さなのコウモリ型キャモンです。繁殖能力も高いため、専門家による対処が適切かと」
ワクワク顔で二人の間に入ろうとするトリンを制して、アロンは図鑑のページを指し示し言った。
「ふーん。で、それ、外の魔物より強いわけ?」
しかしメッサは、嘲るように笑った。
粘ついた笑みだった。
トリンはその顔に嫌なものを感じ、咄嗟に目を逸らしてしまう。自分を虐めてくる近所の子供と同じような雰囲気を、あろう事か憧れの城衛騎士が放っていた。
「底辺職の分際で、この城衛騎士に向かってえらそーに講釈を垂れるんじゃねーよ。マジしらけるわ」そして小さく舌打ちする。「そもそも、俺たちが小物を見逃してやってるから、お前らの仕事が成り立ってんだろ。もっと頭下げたらどうだ? 図が高いんじゃねーの?」
弱者を見下す強者の目だ。胃がギュッと縮こまり、トリンは口を手で覆う。しかしアロンは平然とした様子で、深々と頭を下げた。
「無礼な発言、大変失礼致しました」
「まだ、高いんじゃねえの」
嘲の声。アロンは両膝を地面に着け、手のひらを地面に当てる。そして、首を垂れた。
「無礼な発言、大変失礼致しました」
なんだよこれ。
こんなの、侮辱じゃないか……。
トリンは平然と頭を下げる初老の男を、横目で睨みつけた。
アロンがどれだけ仕事と真摯に向き合ってきたか、彼の家に通うトリンは知っている。大量の図鑑や、専用道具類、研究のために集められた飼育部屋のキャモン達、それは全て彼の努力を物語っている。
その積み上げを、こんなふうに蹴散らされていいわけがないし、馬鹿にされていいわけがない。
なんで、言い返さないんだよ——
「ははっ! 単なるジョークじゃん? 何マジになってんの? ほら、笑えよ」
使用人に向け手を差し出す。差し出された使用人達は仕事の手を止め、乾いた笑い声を上げた。
メッサは満足そうに鼻息を鳴らす。
「ほらさっさと仕事をしろよ。明日はパーティーの予定なんだ。せっかく依頼してやったんだから、それまでにキャモンを全滅させてもらわないと困るんだわ」
「はい、承知しました。まずは発生源の調査を開始します」
アロンはライトを取り出し、地面を這いつくばり始めた。
それを見たメッサは「たいそう床を撫でるのが好きなんだな! 床磨きに転職したらどうだ!?」と大声で嗤った。
むかしばなし②に続きます。




