第10話:魔術師の恋①
トリンの家は、城下町を囲う壁の隅っこ——冬を越す虫達がひっそり寄り添うような小さな集落にある。
朝、目を覚ますとまずは今日のスケジュールを再確認する。
城内魔物管理士の仕事は、自身が担当する城、屋敷、その他の大型施設の定期的な調査が主だ。
不特定多数が出入りする巨大な建築物は、おしなべて高等魔術師による結界が張られている。結界があるということは、キャモンが居付きやすいという事だ。トリンはそのような施設を13件抱え、ローテーションで施設内の調査を行なっている。
施設の中をくまなく歩き回り、施設の目立たないところに敷いた捕縛札でキャモンの捕縛がないかを確認し、捕縛があれば付近での定着を疑う。
愛用のツールを取り出して、足跡を探したり、食べカスを探したり、キャモンの行動パターンを推理したりする。原因を見つけたら、それを改善して完了——そんな流れだ。
トリンの家から各施設まで、魔物が闊歩する壁外を移動しなければならない場合も多い。トリンは魔物に対抗する武力などこれっぽっちも持っていないため、瞬間移動の魔術札を複数所持し、それを使って移動している。
かなり高価な代物ではあるが、往復の移動費も契約金に含まれているため懐は傷まない。当然、臨時訪問があったら別途請求だ。
長々と設定を垂れ流していると、トリンの身支度も終わったようだ。
今日はベンズロン城——ミディー姫がいる最大手の調査が予定されている。大変な1日になりそうだ。
トリンは魔術札を掲げ、破り捨てた。
* * *
高等魔術師の女——ラーリル・テトは『待機番』の時間を持て余していた。
ラーリルのいる礼拝堂はベンズロン城の地下に存在している。中央には大業な魔法陣が敷かれ、その上では先輩魔術師が呪文を唱えている。
先輩の表情には若干の疲れも見られるが、城の『結界』を司る大事な役目なのだから、気を抜くわけにはいかない。当のラーリルも昨日はあそこに座って呪文を唱えていたわけで、その疲れからか若干瞼が重い。
結界の維持は、高等魔術師にとって最も重要な責務だ。結界の消滅は、強力な魔物の城への侵入を許す事に繋がる。
だからラーリル達高等魔術師は、三交代制で絶え間なく結界を張り続けなければならない。
国中から集められた選りすぐりのエリート集団ではあるものの、その仕事は日の目を見ず、地味で、ハードだ。
結界中は手洗いに立つ事もままならないため、緊急時の交換要員『待機番』として側につく事になっている。当番に何かあれば、すぐさま呪文の詠唱を引き継ぐわけだ。
とは言え、定期的な休憩以外に『何か』が起きることなどそうそうない。
普段なら魔術書などを読んで勉強を進めるところだが、今日のラーリルは気もそぞろだ。
——たしか今日は、彼が来る日だよね。
彼女の背筋がピンと伸びる。
ラーリルは自信がない少女だった。
魔術の才は飛び抜けて高かったものの、それ以外はからっきし。何もないところでよく転ぶし、読み書き計算はたいてい間違えるし、台所に立てば火傷や切り傷が絶えなかった。
そのうえ無駄に高身長なせいで、その失敗が否が応でも目立ってしまう。
だから、幼い頃のラーリルは分厚い眼鏡と長い髪で顔を隠し、背筋を縮こませて教室の隅にうずくまっていた。
魔術の才を見出され、高等魔術師として城に仕えるようになってからも、根本的なところは全然変わらなかったし、これからもきっと変わらないんだろうって半ば諦めていた。
エリート職に就いてバリキャリを気取り、肩で風を切って歩く先輩達と異なり、彼女は背筋を縮こませたままだった。高等魔術師の証であるこの豪奢な白い祭服だって、自分にとってはやたらと重たい拘束衣でしかない。
そんな中で、ラーリルは『彼』に出会った。
背は自分よりも小さく、痩せてて、髪もボサボサ。
でも、ちょっとだけ意地悪そうな目はいつもギロっとしていて、誰にでも臆す事なく悪態を吐く。
自分と正反対のその青年に、気付けばラーリルは深い愛着を感じていた。まるで運命の糸で繋がった、自分自身の片割れのような安心感。
ていうか、似ているのだ。
背格好も、仕草も、性格も……実家を出てから離れ離れなってしまった愛猫——黒猫のチロに!
愛を囁き、おやすみのキスを交わし、一緒の布団で抱きしめて眠った——黒猫のチロに!
チロはもう城に着いたのだろうか——
チロに会いたい——
ああ、チロ——
椅子から立ち上がって、魔法陣の周りをグルグルと回り始める。時々何もないところで躓きながら、斜め上の何もない空間を眺めて、ブツブツと呟きながら。
「ラーリル」
「ブツブツ……」
「ラーリル・テト!」
「は、はい!」
ラーリルは足を止めて先輩魔術師を見た。先輩は呆れた目を彼女に向けていた。
「まったく気が散るったらないわ。そんなに気になるなら、ちょっと行って来なさいよ」
「え、でも、待機番が……」
「もうしばらくは、休憩なしでも大丈夫よ。ていうかウロウロされた方が、気が散って魔力コントロールをミスりそう……」
「あ、あ、あ」
「何よ」
「あ、あ、ありがとう、ござい、ますぅ……」
ラーリルはペコペコ頭を下げる。
そして、つっかかりながら駆け出そうとしたところで——
「あ、ちょっと待て!」
呼び止められてすっ転びそうになる。
「あんた、あの男のこと『猫を愛でる気持ち』でかまってやるのはいいけどさ——本気になるのは絶対ダメ。わかってるわよね?」
「あ、う、はい……」
ラーリルはおずおずと頭を下げる。
「ほんとわかってるの? 何度もいうけど、私たちはね、伯爵相当の地位を与えられているのよ? それが、平民の男と恋に落ちるとか……城中の笑い者だし、高等魔術師の品位も落ちるわ。私たちまで巻き込まないでちょうだい」
「はひぃ……」
首を傾げたまま、もたもたと頭を下げて、ラーリルは礼拝堂を出た。
ああいやだ。
いくら貴族として扱われるとはいえ、行動や思考を制限され恋も自由に出来ないような生活なんて、もう嫌だ……。
辞めたい……。
辞めたい……。
ふらふらしながら、ラーリルは関所の方へと向かった。
* * *
瞬間移動の到着先には関所がある。訪問客が不用意に城の深部へと侵入しないように、魔力の方向性を捻じ曲げ、到着場所を設定しているのだ。
これも、結界の作用の一つである。
ゲートでは小柄な青年が入場手続きを済ませたところだった。
真っ黒でボサボサの髪。
まるで、チロみたい……。
チロ!
チロ!!
「ち——トリンさん」
危うく愛猫の名前を呼ぶところだった。名前を呼ばれた青年は不思議そうな顔で首を傾げた。
「ラーリル様、なんでここに?」
当然の疑問だ。高等魔術師は普通城の地下の礼拝堂にいるし、非番の日は城の北側の離れで生活している。
城内を散策する事もあるにはあるが、だからと言ってゲートまで城内魔物管理士を出迎えに行く事はない。ラーリルも普段は、礼拝堂の中でのみトリンと顔を合わせている。
「あの、け、けっかいについて、せつめい……」
上手く言葉が出ない。呪文の詠唱ならどんなに難解な発音もスラスラこなせるのに……こんなグズな自分が本当にキライ。
「そうですか。わざわざすみません。では最近の結界の状況を教えていただけますか? 何か変わったことは?」
トリンは尋ねた。
調査の前には、まず礼拝堂へと向かい高等魔術師への聞き取りを行う事にしている。直近に結界でトラブルはなかったか、あらかじめ確認するためだ。
魔力が乱れたり、引き継ぎに手間取ったり——結界の揺らぎは、外のモンスターの侵入を許してしまう。そうなると、城の中の生態系が乱れ、環境が一変する事だってある。
調査の前提条件として、その点は押さえておきたいというわけだ。
特に問題は起きていないとラーリルは答える。
答えながら、トリンのボサボサの黒髪へと無意識に目がいってしまう。長毛種であるチロの毛並みにそっくりだ。
触り心地はどうなのだろう? ゴワゴワしてるのだろか? それとも、意外に滑らかで……?
触りたい……!
右手が勝手にトリンの頭へ伸び——
それを左手がガシッと掴む!
鎮まれ……鎮まれ! 我が右手!
「どうしたんですか?」
「いえ、なにも……」
「はあ……」
トリンは首を傾げて曖昧に頷いた。ラーリルは引き攣った愛想笑いで誤魔化す。
『本気になるのは絶対ダメ』
そんな先輩の言葉が脳裏を掠めた。
トリンに出会ってから1年、最近は自分の気持ちがわからなくなっている。離れ離れになった愛猫の姿を彼に重ねているのか、それとも彼自身に興味を持ち始めてしまっているのか——
要件は済んだとばかりに歩き出す彼を、なんとなく引き留めたいのに、なんとなく引き留められない。
ゆらゆらと揺れる不誠実な感情のまま彼の時間を奪う事は、すごくズルくて失礼な事なんじゃないかと思えてしまう。
ラーリルは指先を唇にあてて、小さくなっていくトリンの背中を眺め——
「あー! トリン! また勝手に調査始めてる!!」
背後から声がして、花束みたいにヒラヒラのドレスがラーリルの横を走り抜けた。
あ、あれって……。
ミディー姫!?
「あんた、約束って言葉知らないの?」
「いや、姫のお世話は契約書に書いてないですし、はっきり言って邪魔で——」
「邪魔とは何よ! ちゃんと手伝ってるじゃない!」
頬を膨らませてトリンを問い詰めるミディー。
ラーリルは、礼拝堂を見学に来た際の、澄ました顔のミディー姫は目にした事がある。名のある芸術家が丹精込めて創作した芸術品、手の届かない天上の美——それが、その時に感じたミディー姫の印象だ。
そんな彼女がプリプリと頬を膨らませている。
お姫様、あんなかわいい表情も出来るんだ——
ていうかトリンさんとあんなに仲がいいの?——
その素朴な発見に呼応するように、ラーリルの胸が小さく痛んだ。
女だらけの高等魔術師界隈に身を置き、地位や外面ばかりひけらかす先輩たちに囲まれて、久しく忘れていた痛みだった。
あ、これ、ヤバいかも。
先ほど自分に課した『問い』の答えが見えたような気がした。
でもその答えは、先輩達には絶対言えないやつだ。
【トリンの仕事道具その3】
『ナイフ』
・なんの変哲もない小ぶりなナイフ。
・普段は鞘に収めて腰に下げている。
・袋を開けたり、紐を切ったり、木や壁を削ったり、時にキャモンと戦ったり……いろんな使い方が出来る万能ツール。
・実は師匠から譲り受けたもの。




