第13話:スタンピードの記憶
城内魔物管理士のトリン・シフェノは疲れていた。
ただでさえ広くて神経を使うベンズロン城の調査なのに、最近はミディー姫が毎度の如く首を突っ込んで来るからだ。
自分の契約内容に姫のお守りは含まれていない。
キャモンの生態や管理方法について説明するのは、業務の一環ではあるけれど……事あるごとに『アレなに?』『これってどーゆう事?』と質問責めにされると、仕事の効率がガタ落ちなのだ。
『そんなに気になるなら、自分で調べてくださいよ』
今日は溜め息混じりにそう突き放してしまったが、果たして自分の苦労を理解してくれただろうか?
関所のある部屋から居間へと移動し、古ぼけたソファーに倒れ込む。クズ布の隙間に身体が沈み込んでしまいそうだ。
いつもならすぐに片付けと明日の準備に取り掛かるのだが、今日は少し仮眠をとってから——
「うわぁ、なんか薄暗い」
微睡の中、ミディー姫の声が聞こえる。
ああ、自分は、そこまで追い詰められていたのか——
「トリン、寝てないで早く図鑑を貸してよ。いっぱい持ってるって言ってたよね? 今日は頑張って勉強する気分なんだから」
身体が揺すられる。どうやら最近の悪夢は、物理的にも干渉してくるらしい。
「トリンってばぁ」
いや、悪夢ではない……。
比喩的には『悪夢のような出来事』で合ってはいるのだが。と言うか、むしろ起きれば覚める悪夢であってほしかった……。
「ミディー姫……なんでここに……?」
「え? だってトリン、自分で勉強しろって言ったでしょ? お城の書庫にはキャモンに関する文献があまりなかったから、トリンに借りようかなって」
「関所を通ってきたんですか?」
「うん、当然でしょ? 関所番の人にお願いして」
「ああ、はあ……」
一国の姫があろう事か平民と相引きしている——側から見ればそう捉えられてもおかしくないシチュエーションじゃないか。
変な噂が立たなければいいが……。
というかコイツは、自分が姫であり、一応は年頃の女である事を理解してないんじゃないか?
「それにしても、薄暗い部屋ねー。変な物いっぱいあるし」
能天気に部屋の中を見回すミディー姫と、頭を抱えて小さく唸るトリン。
* * *
トリンの部屋は薄暗かった。沢山置かれた棚が、採光窓の大半を覆ってしまっている。
その棚の中には本だったり、標本だったり、見た事ある道具もあれば、見た事のない道具もどっさりあった。
ただ、物が多い部屋ではあるものの、全てがきちんと整理され、掃除も行き届いているように見える。
ミディーは近くにあった棚から本を取り出して、パラパラと捲ってみた。スライム系モンスター全般について書かれた文献のようだが、出てくる単語がマニアック過ぎて意味がわからない。
「もっと、わかりやすいのない?」
「ちっちゃい子供向けの本なら、箱に詰めて奥にしまってますが?」
「子供じゃないし!」
プンプンと怒りながらも、差し出されたお茶を受け取る。
「それ飲んだら、帰って下さい」
形だけでも『おもてなし』はしますよ、一応は姫ですし……と言った感情を露骨に顔に出してから、トリンはソファーに座り直した。
「あー、緑色の背表紙の本は、キャモンの概論がまとめられてますんで、それから読み始めればいいんじゃないですか?」
「なんか投げやりだね」
「投げやりにもなりますよ。姫を家に招き入れたなんて近所に知られたら、人によっては強姦魔扱いされかねない。大罪ですよ」
「ゴウカン?」
「はあ……忘れて下さい。今後は、知らない男の家に上がり込んじゃダメですからね」
「え? だってトリン、知ってる人でしょ?」
「はあ……もはや何も言うまい……。おもりは、俺の仕事じゃないのに……」
「オレ」
「はい?」
「トリン、普段は『俺』って言うんだ。へー」
「……」
トリンは耳たぶを赤くしたが、薄暗い部屋なのでミディー気が付かない。
本棚から緑の背表紙の本を取り出し、パラパラと捲っては戻す。そんな動作を繰り返す姫の後ろ姿を、トリンは頬杖をついて眺める。
「あ——」ミディーの視線がある棚の前で止まった。「これ、子供の頃のトリン?」
写真はとある路地を背景に、笑顔でピースサインをしているボサボサ頭の少年を写していた。
「かわいいね、今と違ってさ」
「でしょうね」
ミディー渾身の嫌味も、トリンは完全に受け流す。
他にも何か言ってやろうと写真を凝視すると、子供のトリンから少し離れたところに、一人の男が立っているのに気がつく。
優しい笑みを浮かべた、白髪の老人だ。
「この後ろの人は、トリンのグランパ?」
「どれです?」
「この人——」
ソファーでぐったりしているトリンの隣に座り、写真の人物を指差した。
「ああ、それは祖父ではないです」
腰を浮かしてミディーから離れると、少しの無言の後に言った。
「俺——私の、師匠です」
「師匠? 城内魔物管理士の?」
「まあ、そうです」
へー、とミディーは何度か頷く。そして妙案を閃いたとばかりに人差し指を立てて目を輝かせた。
「そうだよ! 私もこの『トリンの師匠』に先生になって貰えばいいんだよ! そしたら、トリンと同レベルになれるでしょ!?」
浮かれたミディーを見るトリンの目は、どんよりと湿っていた。そんな簡単に同レベルになれるわけないだろ、アホか。そう言いたかったが、口には出さない。
だから察しの悪いミディーも、当然それに気が付かない。
「それは無理ですね」
「なんでよ?」
「師匠、亡くなりましたから。10年前の、|魔物達の大規模暴走災害で」
「あ……」
スタンピード——
忌まわしきその言葉に、戯けていたミディーの口が窄まった。
* * *
その始まりは、人里離れた未開の土地での起きた、超大型魔物同士の争いだった。
その争いは幾つも森を焼き、幾つもの湖を干上がらせた。神々の争いに住処を追われた魔物の大群は、恐怖に駆られながらも、新たな住処を探して走り出した。
それは、万に一つの不運だった。
魔物の一団の進行方向上に、ベンズロン城と城下町があっただけ——
ただ、それだけだった。
突如として押し寄せた大量の魔物の群れに、王国は慄いた。ベンズロン王は未だかつてない事態をなんとか収束せんと奮闘したが、いかんせん前例もなければ時間もなかった。
城壁は崩された。
統率が乱れた城衛騎士は魔物の大群と正面からぶつかり、傷付いていった。
のちに振り返れば、対処のしようはいくらでもあった。城下町の住民を——家と引き換えになるが——城内の結界の中に避難させ、城衛騎士を城の一点に集中させれば、少なくとも人的な被害はゼロに抑えられたはずだ。
しかし、それは結果論だ。
当時の人々は大混乱の中にいた。
城壁の外に逃げ出す者、家の中に閉じこもって震える者、果敢にも魔物に立ち向かう者——彼らは等しく命を踏み躙られる末路となった。
最終的に、高等魔術師が集まって結界を重ねがけし、結界の範囲を城下町の6割まで広げた。
城衛騎士は統率を失いながらも、目に留まった人々を独断で助けて回った。
狂乱の中、ベンズロン城にとって最悪の一夜が幕を閉じる。
ミディーはその混乱を知らない。
幼かった彼女は、早急に関所を抜けて、同盟国に匿われていたからだ。
覚えているのは、ボロボロになった城下町と、項垂れる父親の背中だった。
人々はそれを不幸な災害として語り継いだ。
しかし、これは『人災』であると訴える人々も、やはり存在している。
不測の事態を前に、人々の心を一つに出来なかった、ベンズロン王の失策だと——
* * *
だから、ミディーは何も言えなかった。
自分が軽はずみに意見していい事ではないと、ミディーは自覚していた。
「俺は、ベンズロン王に責任はないと思っています。あれは、どうしようもなかった。統率力だとか、王の資質だとか、そんなものでどうにかなる事態じゃないです」
トリンは不器用に笑おうとした。
俯くミディーに、その歪んだ笑顔は見えなかった。
「現に、スタンピードの後の復興は目を見張るものがありました。多くの国から支援を得て、たった10年でベンズロンは過去以上の繁栄を迎えています。これは全て、他国との良好な関係を続けていたベンズロン王のお力によるものです」
トリンは荒廃した町を思い出す。
朝日に照らされた惨状を思い出す。
あの日、自分は『被害者』として、立ち尽くしていた。
しかし目の前の、幼かったであろう少女は、あの光景を『どの立場』で見ていたのだろうか。
被害者……?
それとも——
結局のところ、使われる身でしかないトリンに、王家である彼女の気持ちを推し量る術はなかった。
悪い記憶を取り払おうとするかのように、トリンはミディーの手から写真を抜き取って、再び棚に並べた。
「すみません。配慮の足りない発言でしたね」
——昔の話は、もう終わりにしよう。
「ううん、そんな事、ないよ……」
——でも、目を逸らしていい過去ではない。
2人の感情が、交錯する。
「さて、そろそろ帰ってもらえませんか? あまり長居してると、変に勘ぐられます」トリンは本棚から本を数冊引き抜いて「この本なら、かなりわかりやすくまとまってますので、入門にはいいかと思いますよ」
ゆっくりと立ち上がったミディーに、本を差し出す。それを受け取ったった彼女は、無言で関所がある部屋のドアの前に立った。
「あの、トリン——」
振り向かず微かな声で言う。
静かな部屋の中、その細い声は木管楽器のピアニッシモのように響いた。
「私、頑張るから——」
しかし、強い意志と、同じくらいの不安に揺らぐその声は、徐々に力強さを増していく。
「もし、私がこの国を治めるようになった時——」
ミディーは振り向いた。
そして、トリンは息を呑む。
「国のみんなの事、絶対に悲しませないから」
重たい過去を抜け、未来に響き渡るような声だった。
トリンの口から、不意にため息が漏れた。
それは美しい絵画を見た時のような、壮大な自然の神秘に触れた時のような、言葉に言い表せない感情を吐き出すためのため息だった。
しかし、本人はそれに気付かない。
それだけ彼の思考は、目の前の『未来の統治者』へと向けられていた。
だからさ、トリンの言う『管理』を、もっと私に教えてね——
そして、強がりのように笑って、ミディーはドアの向こうへと消えていった。
一人に戻った部屋の中で、トリン未だかつてないほどの、胸の高鳴りを感じていた。
もしかしたら自分は、とんでもない瞬間立ち会おうとしているのかもしれない。
稀代の統治者が生まれる、その瞬間に——
「いやいや、そんな馬鹿な……」
その感動を、無理矢理に笑い草に変えて、トリンは再びソファーに腰を下ろした。
ミディーの座っていた場所に手が触れる。
そこはまだ温かく、トリンは人知れず顔を紅潮させた。
* * *
その日の王国防衛会議は、ざわついていた。
城衛騎士の調査団が持ち帰ったある物体が、物議を醸していたのだ。
説明を聞いたある大臣が、誰にともなく言葉を漏らす……。
「もし、それが本当なら……」
この国は、あのスタンピードを超える厄災に見舞われるぞ——




