第12話:魔術師の恋③
自分の部屋にトリンがいる——
これまさに眼福である。
「緊急対応料金が発生しますので——」
緊急料金?
いいです!
ぜんっぜん、いいです!
仕事漬けの毎日でしたから、お金だけは無駄にあります!
* * *
夜中に呼び出したトリンを自室に引っ張り込んだラーリルだったが、自分が激甘シチュエーションに置かれていると気付いてしまい、しばらく悶絶する事となった。
「それで、キャモンは……?」
怪訝な顔で訊ねるトリンに応えようと、ラーリルは部屋の隅の衣装棚を指さす。
首を傾げながらも棚を開けたトリンは、底板のあたりをじっと見つめて「これは、珍しい……」と口の端を上げて見せた。
「ロネリーフェアリーですね。白い毛に覆われたヒトに近い体躯と、薄く綺麗な羽根……。ある程度の社会性を持ち集団で活動する、稀有なキャモンの一つです」
チロの——トリンのモフモフの黒髪がモゾモゾと動いている。このまま背後から抱きしめてモフモフに顔を埋めたら、お日様の匂いがするのだろうか。
「へえ……まさか実物に出会えるとは思わなかった。かわいいですよね、この丸っこくて小さな手足——」
トリンが振り向き、目が合った。
いつもの拗ねたようなジト目ではなく、少年のようなハツラツとした目に、ラーリルの心臓は大きく跳ねた。
「あ……失礼」
「あ、その、ごめんなさい……」
しばらくの無言タイム。
後ろ姿を眺めていた時は、頭の中を騒がしい妄想が駆け巡っていたけど、いざ目を合わせると途端に何も言えなくなる……。
もどかしい。
目の前にいるのが本物のチロなら、今の思いの丈を包み隠さず話せたのに——
「それで……その……く、駆除するんですか……? その子……」
やっと出た『駆除』という言葉はやけに陰鬱に響いた。
城内魔物管理士の仕事を、ラーリルはほとんど知らない。ただ城に住み着くモンスターを駆除してまわっている、その程度の認識でしかない。
「いえ、支障がなければ、このままそっとしておいてあげたいですね」
だから、トリンが返したその言葉には、少々面食らった。
「駆除、しないんですか……?」
「私の仕事は、あくまでも管理なんです。ヒトとキャモンが、お互いに影響を受けなければ、むやみやたらに駆除したくはないので」トリンはそう言ってボサボサの髪を掻く。「影響がないと判断した理由は、ちゃんとあります。ロネリーフェアリーは非常に大人しく、人前に姿を現すことは極めて稀なんです。行動範囲も狭く、繁殖能力だって低い。だから——このままここに定着したとしても、ヒトへの影響は少ないと判断しました」
確かに、とラーリルは思う。
今日まで2年間、この子達は衣装棚の中で生活し続けていたわけだけど、一度として目にしたことはないし、ましてや迷惑を被った事もない。
「そいう事なら——」
自分だってこの可愛らしい子達を無闇に虐めたくはない。あ、でも、明日の朝にはこの部屋を出なければならないし、次の入室者がこの同居人をどう判断するかなんて——
「こいつら、全く逃げようとしない。よっぽどこの場所が気に入ってるんだろうな……」
私はこの場所を離れなくちゃならない——そんな言葉が口を突いて出そうになるが、舌の上で丸い塊になる。
僅かな苦味を感じるそれをコロコロと転がしていると、トリンの視線がテーブルへと向けられた。
大きな書かれた『辞表』の文字。
あ——
見られた。
「……ラーリル様は、高等魔術師を辞められるんですか?」
トリンの目がラーリルに向けられた。
その目が自分を糾弾しているように感じて、ラーリルは目を逸らす。
続く無言が、質問への『肯定』を物語っていた。
魔力しか取り柄のない田舎娘が、偶然と幸運によって得られた高等魔術師という上級職。それを手放すという事は、たとえどんな理由があろうとも、愚かで浅はかな決断だ——そう鼻で笑われるのが怖くて、ラーリルは追い立てられるように言葉を紡ぐ。
親愛なるチロに——トリンには、侮蔑の言葉をかけられたくはない。
「トリンさんは……私達の仕事どんなものなのか……知っていますか? 地位や名誉は……確かに手に入りました……。でも、失ったものだって——」
俯いたまま不器用に語る。
冷たい石造りの部屋は、その静かな内面の吐露を受け止める。
「城を護る名誉な仕事だって、みんなは言います……。でも実際は、喜びも……自由もない、空虚な仕事です。ただそこに存在しているだけの、壁や屋根みたいな……心の通わない仕事……」
そう言葉にしてしまうと、途端に津波のような悲しみが襲ってきた。
やっぱり、高等魔術師として過ごして来た日々は空虚なのか? 自分の存在価値がどんどんわからなくなってくる。
「私たちに結界は……そこにあるのが当たり前なんです……」
空の存在に、地面の存在に、空気の存在に、常日頃から感謝の気持ちを示す人が、一体どれだけいるだろう。
「魔法陣の真ん中で、魔力を搾り取られる日々は……徒労感だけが積み重なっていきます……。それなのに、『ありがとう』の言葉すら忘れられる……。やり甲斐なんてない……、喜びも……ない……」
それに、恋をする自由だって——
滲んできた涙を服の袖で拭った。
勢いに任せて胸の中のぐちゃぐちゃを吐き出してしまった。その日あった悲しい事を、チロに語って聞かすみたいに、目の前の城衛魔物管理士へ。
トリンどんな顔をしているのか、顔を上げるのが怖かった。
きっと、頭のおかしいバカな女へ、軽蔑の眼差しを向けているに違いない。
「あの、ラーリル様」
トリンの言葉にラーリルは身構え、細い肩が小さく震えた。
「残念ながら、私は高等魔術師の仕事の詳細を知り得ません。平民の私にとってそれは追求不可の機密事項ですから、知れないのです。でも、ラーリル様が何を成し遂げてきたか……それはわかっているつもりです」
下瞼を擦る手の衣擦れの音と、カーペットを叩くトリンの足音。
「このロネリーフェアリーは、この世で最も弱いモンスターと言われています。城の外に放り出したら最後、一瞬で捕食者の餌食になってしまうでしょう。たから彼等は、絶対的な安全を確保出来る場所じゃないと、居付けないし、繁殖も出来ない——」
衣装棚の扉を閉める音がした。
「魔術師様が結界を張っていて、キャモンが定着している建造物は、ベンズロン城に限らずいくつもあります。でも、このロネリーフェアリーが繁殖している建物となると、本当に数少ない——」
俯いた視界の端に、トリンのつま先が映り込む。
「確かに、城に住む多くの人々にとって、高等魔術師の作る結界は当たり前のものです。感謝の意識の外にあるのかもしれません。でも、彼らロネリーフェアリーがここで安心して暮らせているのは、結界が絶対的な安心を与えている証明でもあるんです」
低くて、穏やかな声だ。
胸の奥が熱い。
「高等魔術師の仕事がどんなものか知っているか? そうラーリル様は尋ねましたね」
ラーリルは小さく頷く。
「私は、人々の当たり前を護る、代え難い仕事だと認識して、心から尊敬していますよ」
当たり前を護る仕事——
お母さんみたいな……。
玄関に花を飾る母の姿がうっすらと浮かんだ。
ラーリルは顔を上げる。
ほんの少しだけ、トリンの顔に優しい微笑みと頬の紅潮を期待していたけど、いつも通りのジト目とへの字口だ。
でもそれが、不貞腐れた顔で頬の涙を舐めてくれるチロにそっくりで——自然と笑顔が溢れる。
乾いた砂地を歩くみたいな、足跡すら風でかき消されてしまうような、そんな日々だった。
水もない。
緑もない。
でも、そんな寂寥の日々の中でも——
「私はみんなの心に、花を飾るような仕事が、出来ているでしょうか……?」
『特別』を『当たり前』に変えてしまう、お母さんのような仕事が……。
その問いに、トリンは無言で頷いた。
* * *
滲んでいた涙は乾いた。
さっきまで心を支配していたモヤモヤも、朝日に照らされた夜露のように、ゆっくりと蒸発していく。
脚光を浴びる仕事じゃないかもしれない。
でも、自分の頑張りがロネリーフェアリーたちに安らぎを与え、延いてはこの城に住むすべての人の安らぎにもつながっていた。
それを再認識出来ただけで、さっきまでの脅迫的な感情が薄れていく。
その代わり染み込んでくるのは、2人きりの部屋の静けさ……。
「緊急対応料金は、後ほど請求書をお出ししますので——」
普段と変わらないトリンの態度が、さっきの言葉に忖度がない事を裏付けている気がして、冷めた物言だけど不思議と心地よい。
普段は何も言わないけど、ちゃんといろんなものを見てくれている。
もちろん、一端の高等魔術師の事だって——
自分がこの青年を好きになったのは、愛猫に似てるから……ってだけじゃないんだろうな。
「あの、トリンさん」
「はい」
「緊急対応料金に、しっかり上乗せしますんで——」
「はあ」
「その……髪……モフモフしていいですか……?」
「は、はい?」
トリンの返事を待たず、ラーリルの指先がボサボサの髪に差し込まれる。
チロと同じ指感触 だ……。
「もふ……もふ……」
「……?」
力強い毛並みを感じながら、もう少しだけ頑張ってみようと心に誓うラーリルだった。
【トリンの仕事道具その5】
『緊急駆除スプレー』
・キャモンに効果がある特殊聖水を噴射する道具。
・ガラス瓶の中にガスを発生するシュワワ石が入っていて、内圧によって聖水を霧状に噴射する。
・結構値が張る代物。
・有無を言わさず『殺す』道具でありトリンはそんなに好きじゃない。
・緊急時に備えて2本をショルダーバッグに入れている。




