7話 親子の絆
テラスに出ると、私たちはテラスに設置されたベンチに腰掛け、夜空を眺める。
空には無数の星が瞬き、まるで宝石が零れ落ちる宝箱のようだ。
「今日の夜空は一段と美しいな。久しぶりに娘と見る夜空だからだろうか……」
そう言う父は先程のおちゃらけた態度と打って変わって、真剣な表情に変わっていた。
彼の瞳には、娘を思う深い愛情が宿っているように見える。
「……そうですね。やはり、家族と見る空はいつもの夜空とは違う気がします」
そう言うと、父は嬉しそうに笑う。彼は本当に心から、アメジストを愛しているのだろう。
もし私の本当の父も彼のように愛情深ければ、こんな風に優しい言葉をかけて、家族との時間を大切にしてくれたのだろうか、とつい考えてしまう。
遠い記憶の中の父は、無関心で冷たい人間だった。
兄に対しても、母に対しても、もちろん私に対しても、彼は無関心だった。
期待も軽蔑も、なんの感情も持たないロボットのような人だった。
私は、そんな父に少しでも関心を持ってもらおうと努力したが、たったの一度も父は私に何も望まなかった。
今更こんなことを考えるのは無意味だと分かっているのに、それでも前世の家族のことを忘れることはできなかった。
私はエレノアの母、アメジスト・メイベル・ブレンシュタインなのだから。
いつまでも過去のことを引き摺っていては、前には進めない。
新しい人生を歩むためには、過去の未練を断ち切り、今を生きなければならない。
私はそう考え、前に進むためにもさっそく本題を話すことにした。
「……お父様、まずはお父様にお渡ししたい物があります。それがこちらです」
私はエレノアが描いた父と母の似顔絵を彼に手渡した。
彼はそれを受けとり、驚いたように目を見開き声を上げる。
「これは……私とエレナかい?よく描けているな?一体どこの画家に描かせたんだい?」
リディアによると、父は国内有数の大商団の長であり、絵画や骨董品、古代の遺物の収集家で、審美眼に長けているとのことだ。
彼のコレクションの数々は、皇室の宝を遥かに凌駕すると言われており、その審美眼は絶対的なものとして知られている。
父はエレノアが描いた絵を見て、すぐにプロの画家に描かせたものだと勘違いした。
それほどまでに、娘の絵が彼の心を捉えたのだろう。
つまり、彼の審美眼は本物だ。
そろそろネタバラシをすることにしよう。
彼の驚く顔が目に浮かぶようだ。
彼がどんな反応をするのか、非常に楽しみである。
「……お父様にそう言っていただけると、私としても嬉しい限りですわ。これは私の娘、エレノアが描いたものなのです」
「な、なんだと?!」
孫が描いた絵だと知ると、彼は目を見開き驚いた。
その目は、先程までの穏やかなものから一変し、衝撃の色に染まっている。
「わ、私の孫が、私たちの絵を描いてくれるなんて!それも会ったことがないのにこの完成度だ!なんて素晴らしい才能を持っているんだ!」
「やはり、お父様なら分かってくれると思いました。エレノアには画家の素質があるようですね」
「ああ、その通りだ。この絵を見ていると昔のお前を思い出す。お前も絵を描くことが好きな子だったな。特に動植物や川など自然な風景を描くことが多かった……どうやら、私の孫はお前によく似ているようだな」
父は穏やかな表情で絵を見つめる。
その目は、遠い過去を懐かしむように、優しく細められている。
「……アミィ。どうして、結婚してから一度も手紙を寄越さなかった?私たちがお前の誕生日や公爵の誕生日、季節の挨拶として手紙を送ったのに、何故一度も返事を返さなかったんだ?」
父は真剣な表情でじっと私の顔を見つめる。
その瞳の奥には、隠しきれないほどの心配と、わずかな怒りが宿っていた。
私は彼の真剣な表情を見て、ようやく公爵家の残酷な真実を話す決心が着いた。
全てを打ち明け、父の力を借りるしかないのだ。
「公爵家に嫁いでから、私は外部との連絡を絶たれてしまったんです。特にエレノアが生まれてからは、男児を何故産めなかったのかと責められてしまい、娘は生まれてすぐ離れの屋敷へと追いやられてしまいました。そして私も先日、娘が6歳になってから離れに移動するよう公爵様に命じられ、使用人たちの監視のせいで自由に外出することも、手紙を送ることもできず……まるで、鳥籠の中の鳥のような気分でした」
私が公爵家で受けた冷遇について話すと、自然瞳が潤んでしまう。
辛かった日々が蘇り、胸が締め付けられるようだ。
そして瞳から一筋の涙が零れた。
堪えきれずに溢れ出した涙は、私の苦しみというよりも、この身体の持ち主であるアメジストの苦痛を現しているようだ。
「公爵家ではまともな食事も与えられず、冷たいスープと硬い数切れのパンを毎日食べていました。それから、お母様にも何度もムチや扇で叩かれてしまい、今後が不安で仕方ないのです。エレノアのことも、お母様は叩いたり罵倒をしたりと、虐待しているので……」
公爵家の現状について話すと、父は顔を赤くして鬼のような形相へと変わる。
彼の全身から怒りのオーラが溢れ出し、周囲の空気が張り詰める。
「……なんと、なんということだ。公爵、いやあのクズはお前と孫になんてことをしているのだ!」
父は手を強く握り締め、拳を震わせており、いまにでもホールに戻って公爵を殴り飛ばしてしまいそうだ。
しかし、ここで父が公爵に抗議をすれば、この先私たちは不利になってしまう。
感情に任せた行動は、事態を悪化させるだけで、解決には至らない。
ここは、父に落ち着きを取り戻してもらう必要がある。
「落ち着いて下さい、お父様」
「落ち着けだと?!娘と孫が酷い目に遭っているというのに、私が落ち着けるわけが「お父様」……アミィ」
再度冷静な声で父を呼べば、彼は悔しそうな顔で力なくベンチに腰掛けた。
彼の肩が怒りのせいか、小刻みに震えている。
「私は、娘を連れて公爵と離婚し、実家に戻りたいと思っております。公爵家にいたら、娘の教育にも良くないですし、どうにか離婚できるようお力を貸していただけませんか?公爵様に、クリスチャンに離婚を申し出たのですが、彼は私の提案を受け入れて下さいませんでした。ですから、お父様の力をお借りしたいのです」
私が力強い口調でそう言い、頭を下げると父は慌てた様子で私の肩を叩く。
「頭を上げなさい、アミィ。お前の頼みなら、なんでも聞いてやろう。なんせ、お前は私のたった一人の娘なのだからな。分かった、必ず近いうちに離婚をさせてやるからな……近いうちに公爵家に人を送るが、それまでの辛抱だ」
そう言い、父は闘志を燃やしながらホールの中で談笑するクリスチャンを睨み付けた。
その目は、獲物を定める猛獣のように鋭く、底知れない怒りを湛えているようだ。
「……そう言っていただけると、心強いです。しかし、相手は腐っても一国の公爵です。一体どうするおつもりですか?」
私が不思議そうな顔でそう言うと、公爵はため息をつく。
そして、大袈裟なジェスチャーを混じえてこう言った。
「確かに、我が家は伯爵家だ。公爵という爵位と比べれば、向こうからしたら取るに足らない相手だろう。しかし、我が家はただの伯爵家ではない。我がエーデルシュタイン家は、この国で最も大きな商談を抱えており、この国の全ての富を手にしていると言っても過言ではない……だから、安心しなさい。私はお前たちの為にも、必ず離婚を成立させてみせる」
正直、伯爵家が公爵家に立ち向かったところで勝算は低いと考えていた。
爵位の差は絶対的であり、逆らうことは火に油を注ぐようなものだとばかり思っていた。
だからこそ、クリスチャンと離婚するのは困難を極めると覚悟していたのだが、父の話を聞いていると、何故かクリスチャン率いる公爵家に勝てるような、そんな希望が湧いてきたのだ。
父は本気で私とエレノアのために戦おうとしている。
その強い決意が、私の心に再び勇気を灯してくれる。
彼の言葉には、富と権力に対する絶対的な自信と、娘への深い愛情が滲み出ている。
ならば、私も未来のために立ち向かわなければいけない。
ただ父に頼るだけでなく、私もできる限りのことをしなければ。
「分かりました。お父様を、エーデルシュタイン家を信じます。絶対に、何がなんでもクリスチャンとは離婚しなきゃいけませんし、私も頑張ります」
「アミィ、無理をしてはいけないよ。数日の辛抱と言えど、逆上させて何かされては元も子もないからね、くれぐれも気を付けなさい」
「ええ、そうですね。あの人の神経を逆撫でしないようにいたします」
転生してから気付いたことだが、夫であるクリスチャンは意外と短気な性格だった。
些細なことで激昂し、周囲を凍りつかせるような怒りを見せることもあった。
手を上げるようなことはほとんどないが、すぐに語気を荒げ、喧嘩腰で話し始める。
手を出していないから安心ではなく、いつ手を出してもおかしくないからこそ、警戒を怠ってはいけない。
常に彼の言動を注意深く観察し、身を守る必要がある。
「それにしても、具体的にどんな方法で私とクリスチャンを離婚させるおつもりですか?」
父は私に伯爵家の凄さを説明したが、これからクリスチャンと離婚するための具体的な方法については語っていない。
彼の自信は理解できるが、具体的な計画を聞いて安心したい。
さすがに無計画なんてことはないだろうが、一応確認しておく方が良さそうだ。
「具体的な方法か……そんなもの1つしかないだろう」
「と、言うと?」
「訴訟だ」
「訴訟、ですか」
訴訟ということは、裁判を起こすということだろうか。
あの男が、素直に私の願いを聞き入れるとは到底思えない。
確かにクリスチャンに離婚を提案したところで、話し合いが進展するとは思えない。
しかし、裁判となれば裁判所を通しての公的な場での話し合いになる為、離婚が成立しやすくなるだろう。
法の下では、爵位など関係なく、平等に裁かれるはずだ。
「お前と孫に前公爵夫人は暴力を振るい、公爵は助けもせず、2人を離れの屋敷に追いやったのだろう?そんな奴に示談などぬるいわ。暴行罪で訴えてやる」
フンと鼻を鳴らし、父はそう言い切った。
その表情は、確固たる自信と、娘と孫への深い愛情に満ち溢れている。
その様子を見て、私はアメジストが羨ましくなり、思わずまた涙がこぼれてしまった。
こんなにも力強く、頼りになる父親がいるなんて、アメジストは本当に幸せ者だ。
「ア、アミィ?!大丈夫だ、私が着いている。絶対にあの男に罪を償わせる、だから泣かないで。どうか笑っておくれ、私の大切な宝物」
必死に娘の涙を止めようと慰めの言葉をかける姿を見て、私はついクスリと笑ってしまう。
父親の愛という、北川遥では手に入れられなかった貴重なものをアメジストは簡単に手に入れられる。
前世で、私は愛を知らずに育った。
温かい家庭というものを夢みながら、想像し、自分の心に新たな世界を創ることしかできなかった。
お金を払っても得ることはできない、世界にたった一つの愛を彼女は簡単に手に入れてしまう。
それが、どれほどかけがえのないものなのか、今の私には痛いほどよく分かる。
しかし、今は私がアメジストなのだ。
本物ではないとしても、ほんの少しだけアメジストに注がれるはずだった愛をもらっても、バチは当たらないはずだ。
今、私は確かに父に愛されているのだ。
エーデルシュタイン家の娘、アメジストとして。
その事実に胸が熱くなり、嬉しさでつい口元が綻んでしまう。
自然と笑みがこぼれるほど、私は幸せを感じている。
この温かい気持ちを、ずっと忘れないだろう。
「お父様、本当にありがとうございます。愛していますわ、お父様。お母様にもよろしくお伝えください」
「ああ、私も愛しているよ。エレナもお前からの連絡が途絶えて、大変心配していた。次、家に帰ってきた時には一番に彼女に会ってあげなさい」
「はい、そうします」
私は父親の胸に顔を埋め、強く強く抱き合った。
彼の温もりと、優しい香りが、私の心を優しく包み込む。
娘のエレノアを抱き締めるのとは違って、父との抱擁はとても暖かく安心感のあるものだった。
「では、そろそろ私は中に戻りますね」
いつまでもテラスで話していては、流石にクリスチャンに怪しまれてしまうかもしれない。
彼に疑念を抱かせないためには、頃合いを見て戻る必要がある。
彼の怒りを買うのも、嫌味を言われるのも面倒なので、そろそろ中に戻らなければ。
「そうした方が良い……ああそうだ、気休めかもしれないが、万が一の時のためにもこれを渡しておこう」
そうして父がポケットから取り出し、差し出してきたのは、赤い宝石の着いたネックレスだった。
その宝石は、夕焼けのような美しい赤色をしていた。
それは、まるで私の決意を表す炎のように、力強く輝いていた。




