8話 かつての友人
ここまでの登場人物を、まとめさせていただきます。
■アメジスト・メイベル・ブレンシュタイン(主人公)
前世は北川遥という日本人女性。
恋愛小説『没落令嬢は星に選ばれる』の悪役令嬢の母親に転生。
娘のエレノアを救い、自身の運命を変えるために奮闘。
過去のトラウマから、家族愛に飢えている。
聡明で芯が強いが、娘と過去のトラウマが関わると感情的になる。
■エレノア・ブレンシュタイン
アメジストの娘。
原作では悪役令嬢として処刑される運命にあった。
内気で優しいが、芯の強い少女。
絵を描くことが得意。
■ルイス・ロベルト・ドワイト公爵
南部の支配者と呼ばれる大貴族。
アメジストの学園時代の友人。
兄は現魔塔主。
■クリスチャン・レナード・ブレンシュタイン
アメジストの夫でブレンシュタイン公爵。
冷酷で自己中心的。
アメジストとエレノアを冷遇している。
体面を気にするが、本性は傲慢なDV旦那。
■ローラ・ブレンシュタイン
前公爵夫人。
クリスチャンの母でアメジストの義母。
アメジストとエレノアに暴力を振るい、精神的に追い詰める。
孫にも暴力を振るう最悪の義母。
■クラウス・ファウスト・エーデルシュタイン伯爵
西部を支配する大貴族。
アメジストの実父。
国内有数の大商団の長で、莫大な富を持つ。
■リディア・アイリーン・シャトリゼ
アメジストの侍女。
アメジストとエレノアに忠実に仕え、献身的にサポートする。
エーデルシュタイン家から、アメジストの嫁入りに着いてきた。
■エリック・ハドア・ブラントン
原作の主人公、メリーの養父。
過去に幼い娘を亡くしている。
アメジストの父、クラウスと面識がある。
「このネックレスは一体……?」
「これはアーティファクト、魔道具だ」
この世界には、魔法使いや精霊といった特別な存在がいる。
彼らは、自然界に存在する魔力というエネルギーを操り、様々な魔法を使うことができる。
しかし、魔法を使えるのは彼らだけで、一般の人々は魔法を使うことができない。
そこで、魔法使いでなくとも、魔法の恩恵を受けられるように作られたのが、アーティファクト、すなわち魔道具だ。
アーティファクトは、魔法使いが道具に自身の魔力と知識、そして時には魔石を用いて、エネルギーを閉じ込めることで作られる。
閉じ込められたエネルギーは、特定の条件を満たすことで解放され、魔法の効果を発揮する。
その条件とは、一般的にスイッチを押したり、特定の言葉を唱えたり、特定の場所に設置するというものが多い。
簡単な操作で魔法の効果を得られるため、広く人々に受け入れられている。
稀に自動的に発動するものもあるが、それは稀であり、基本的には手動で操作するものだ。
アーティファクトには様々な種類があり、武器や防具、照明や暖房などの日用品が主に一般に普及しているものだ。
これらのアーティファクトは、人々の生活を豊かにし、安全を守る上で欠かせない存在となっている。
高価なものになれば、短距離移動用のワープ道具や怪我や病を癒す治療道具なども存在するるが、これらは主に一部の平民を含む富裕層が使うものとされている。
ワープ道具は、その利便性から特に高値で取引され、治療道具は人々の命を救う力を持つため、非常に重宝されている。
ちなみに日用品や武具といえども、平民が簡単に購入できる価格では無いため、かなり価値のあるものだ。
そんな高価な物を持ち歩いているという事実から、私は改めて父の持つ大富豪という肩書きの偉大さを思い知った。
「このアーティファクトは録音石になっているんだ。ネックレスに着いた宝石の裏にあるスイッチを押すと、一度だけその場の映像を録画できる。もし、また何かされたりしたらこの石で録画しなさい。一度しか使えないから、使いどころは気を付けるんだぞ?」
父はそう言いながら、宝石の裏にある小さなスイッチを指さす。
その表情には、私の身を案じる深い愛情が滲み出ていた。
「分かりました。貴重なものをありがとうございます、お父様」
私は父に礼を述べ、アーティファクトをハンカチに包んでから、懐に仕舞った。
「次はエーデルシュタインの屋敷でお会いしましょう、お父様」
「ああ、会えるのを楽しみにしている。そうだ、孫のエレノア、だったか?あの子にも、会えるのを楽しみにしていると伝えてくれ。沢山のおもちゃを用意して待っているからな」
父の目尻には深い皺が刻まれ、その笑顔は慈愛に満ちていた。
楽しそうにそう笑う父の様子を微笑ましく思いながら、私は頷き軽く一礼してホールへと戻った。
ホールの中に戻ると、使用人からシャンパンの入ったグラスを受け取る。
グラスの中で、淡い黄金色の液体が繊細な泡を立てている。
そして、クリスチャンの姿を探しながらホールの中を歩き始めて数分後、急に背中に何かがぶつかり、大きな衝撃のせいで前のめりに倒れてしまう。
「きゃあっ!」
私はシャンパングラスを持っているため、床に手を着くことも出来ず、地面に崩れ落ちていく。
やってくるであろう衝撃を恐れて、目をぎゅっと強く閉じる。
硬い床との激突は避けられない。痛みへの恐怖で、私の心臓は激しく鼓動した。
しかし、いつまで経っても衝撃も痛みもやってこなかった。
私は不思議に思いながらも、恐る恐る目を開く。
するとそこには、1人の男の姿があった。
見覚えのある、銀色の髪をした美しい青年が、私の体を支えるように立っていたのだ。
見たこともないはずなのに、彼に見覚えがあると感じるのは、この身体の持ち主であるアメジストと私の感情が、リンクしているからなのかもしれない。
「怪我はありませんか?……ブレンシュタイン公爵夫人」
彼は、私の耳元で心配そうに囁く。
爽やかなミントの香りが鼻をくすぐる。
それは、どこか懐かしい、記憶の奥底に眠るような香りだった。
冷たいけれど懐かしい声に、アメジストの過去の記憶が鮮やかに蘇る。
『あ!迎えの馬車が来たみたい!また明日ね、アメジスト』
『ええ、また明日ね、ステラ』
記憶の中のアメジストは、可愛らしくも品のある制服に身を包んだ、あどけなさの残る年若い少女だった。
どうやら、この記憶はアメジストのアカデミー時代のものらしい。
アメジストは友人と思われる女子生徒に手を振り、彼女の姿が見えなくなると、アカデミーの玄関で立ったまま本を読み始める。
アカデミーは、貴族の子女たちが教養を身につけ、社交界デビューのための準備をする場所だ。
貴族の令嬢にとっては生涯を共にする結婚相手を探し、女主人として屋敷の管理の仕方を学ぶ場となっている。
貴族の令息にとっては、将来の自分のキャリアを形成し、人脈を作り幅広い知識を学ぶための場として、重宝されている。
アカデミーは全ての貴族の子女たちに入学許可が降りる反面、入学を望む全ての貴族の子女たちが通えるとは限らない。
入学するには、入学試験を受け、一定の成績を収める必要があるとされている。
読み始めてから数分後、ポツリポツリと地面に黒い染みが拡がっていく。
どうやら雨が降り始めたようだ。
『あ……雨だ』
アメジストは無表情のままじっと外を見つめる。
すると、金塗りの豪華な馬車が少し離れた正門前に止まる。
それは、エーデルシュタイン家の紋章が誇らしげに飾られた、豪華だが品のある美しい馬車だった。
アメジストは本を鞄の中にしまい、外へ足を踏み出そうとした。
『……何をしているのですか、エーデルシュタイン嬢!』
足を踏み出す寸でのところで、背後から制止の声が聞こえた。
その声は、懐かしさを感じさせる、ついさっき私が聞いた声とそっくりだった。
アメジストが振り返ると、絹のような銀色の髪を1つに束ね、眼鏡をかけた美青年が焦った様子で彼女の肩を掴んでいた。
『……迎えが、来たので』
アメジストは相変わらず無表情な顔で、青年の方へ振り返り、そう呟く。
すると、青年は額に手を当てて顔を顰める。
彼は、アメジストの行動が理解できないといった様子だ。
『だからといって、雨の中傘もささずに歩いて馬車まで向かうなんて、どうかしています』
青年が抗議の声を上げると、アメジストは何事もなかったかのように微笑んだ。
『……傘を忘れてしまったんです。だから、馬車まで歩いて行くしかないのです。それに、私雨が好きなんです。ほら、見てくださいあの紫陽花。雨が降ると一段と美しく見えるでしょう?』
アメジストはそう言って、雨の中に一歩踏み出した。
彼女の桃色の髪に雨粒が落ち、宝石のようにキラリと輝く。
雨の雫は、彼女の美しさをより一層際立たせるアクセサリーのようだ。
『……はあ。分かりましたから、ならせめて私の傘に入って下さい。目の前の女性が濡れる中、私だけ傘を差して歩くわけにはいきませんから』
青年はそう言って、アメジストを傘の中へ入るよう促す。
アメジストに気を遣ってか、青年の左肩は少しずつ雨に濡れて色が濃くなっていく。
彼は、自分の肩が濡れるのを厭わず、アメジストを守ろうとしていた。
『ありがとうございます。しかし、これではあなたの肩が濡れてしまいます……ですから、もう少し近付いてもよろしいですか?』
アメジストが恥ずかしそうな顔でそう言うと、青年は無言で彼女を引き寄せた。
彼の腕の中に抱き寄せられたアメジストの顔は、ほんのり赤く色付いた。
すると、青年とアメジストの距離はキスができそうなほど近くなってしまい、2人は顔を背けて歩き出す。
2人がそっぽを向いて歩いている姿を見ると、私の知らない感情が湧き上がってきた。
胸の奥が締め付けられるような、切ない気持ちが込み上げてきたのだ。
この青年を切なく想うような、恋をしているような、そんな感情が私の脳内を少しづつ侵していく。
(どうしてだろう?私はこの記憶を知っているような気がする……きっとこれはアメジストの初恋の記憶なんだ)
場面は切り替わり、この時より少し成長したアメジストは美しい紫色のドレスに身を包んで、泣いていた。
せっかくの化粧も、ドレスも台無しな、お世辞にも可愛いとは言えない顔で泣いていた。
『どうして、どうしてこんなことに……』
『お嬢様、そんなに手を強く握っては、血が出てしまいますわ』
今よりも少し幼いリディアと思わしき女性が、必死に涙を浮かべながら、必死にアメジストの背をさすり、慰めの言葉をかけていた。
『……こんなことがあっては、ルイス様とは一緒にいられないわ』
『お嬢様……』
『ごめんなさい、ルイス様。私はあなたとは一緒にいられません。ごめんなさい、ごめんなさい……』
アメジストが何故泣いているのか、何故ルイス──ドワイト公爵に罪悪感を抱いているのか、私には全く分からない。
しかしこれだけは分かる。
アメジストは、彼を愛していた。
恋い慕っていたのだ。
彼女を見ていると、何故か私まで悲しくなってくる。
まるで、彼女の感情と私の感情がリンクしているかのようで、とめどなく涙が溢れてくる。
元々、こんなに涙脆くなかったのに、この世界に来てからの私は泣いてばかりだ。
私と娘の未来のためにも、もっと強くならなければいけないに、このままでは弱いままだ。
そんなことを考えていると、誰かが私を呼ぶ声が聞こえた。
その声に耳を傾けると、次の瞬間には私の目の前には、真っ青な顔をした過去の記憶の青年によく似た男性──ドワイト公爵が立っていた。
「夫人、しっかりしてください!夫人……アメジスト、しっかりしてください」
必死になって、私の名を呼ぶ彼の声にハッとした。
「あ、ごめんなさい。私ったら、少し考えごとを……」
「はぁ……全くあなたは変わりませんね。あのときと同じ、呑気な御方だ」
彼はそう言い、私の手から落ちそうになっていたグラスを抜き取った。
「……ここはただでさえ人が多いのですから、しっかりして下さい。転んで怪我でもしたらどうするんのですか?」
ため息をつき、呆れた様子で子供を咎めるように彼は話す。
「あなたはただでさえ、そそっかしいんですから、もっと周囲を警戒してください」
彼の上から目線な物言いに、普段ならばムッとしていたところだが、何故か心地良さを感じる。それどころか、もっと彼の声を聞いていたいとさえ思う。
「……何とか言ったらどうなんですか?」
「助けていただき、ありがとうございます……あの、とても素敵な声ですね」
「は?」
感謝だけを伝えるつもりが、私は余計なことを言ってしまった。
当然そんなことを言われたドワイト公爵は目を丸くして固まってしまっている。
「す、すみません……変なことを言ってしまって。い、今のは忘れてください!」
「あなたは……」
「アメジスト!ここにいたんだね!どうしても俺を置いて行ったんだい?」
ドワイト公爵が何かを言おうとした時、突如クリスチャンによって彼の言葉は遮られた。
「……ブレンシュタイン公爵」
ドワイト公爵は突如現れたクリスチャンに冷たい眼差しを向ける。
クリスチャンの登場により、ドワイト公爵と彼の間に冷たい空気が流れる。




