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Act29:忠犬ケル坊

「はーいじゃあ右腕上げてー」


「へーい」


 赤髪の女性の指示に、ベッドの上で胡座をかいたボサボサ頭の黒髪少年は右腕を上に曲げる。

 ………80㎏のバーベルを片手に持ったまま。


「どうだい?違和感や痛みは?」


「んー…無いっすね。ちと筋力が落ちたかなとは思いますけど」


 ぎっしぎっしとバーベルを持った腕を曲げ伸ばしながら少年、赤月静也は女性に答える。


リラオード(向こう)と違ってゼブオード(こっち)は重力が弱いんだ。怪我で衰えた筋肉でそんだけ重いもんを持てりゃ上等さね」


 静也の言葉を聞いた女性、ユーツ・ククットはカラカラと苦笑した。

 静也が目を覚ましてから10日。即ち迷宮を踏破してから凡そ二週間が経ち、静也の負傷はほぼ完全に快復した。

 静也の知る限り、全身複雑骨折の完治には数ヶ月から数年を要する筈である。

 これ程の短期間の間で完治したのもひとえにヒール魔法のエキスパートであり、卓越した医療技術を持つユーツの手腕に依るものだった。

 しかしユーツの治療法は、少しばかり問題があった。


「………それにしてもユーツ先生」


「なんだい?」


「……次からはもう少しマシな治療法をお願いします。毎回毎回短時間で骨を繋ぐのは痛いです」


 静也の顔が施術時の事を思い出して青く染まる。

 その治療法とは、最初に切開手術で骨を固定させ、静也の体力が回復する度に療魔法で無理矢理骨を繋げるというものだった。

 そしてこの方法、腕の内側から熱した鉄棒が生えてくるような感覚、と言えば想像しやすいだろうか、骨を繋ぐ際に凄まじい痛みが伴うのだ。


「なーに言ってんだい。アレが一番早いんだよ。赤ん坊じゃあるまいに、ビービー泣き言いうのはやめな」


「………にゃろう」


 なんと横暴な、と静也は眉をしかめる。


『ワンッ』


 しれっとしているユーツを睨んでいると、保健室の外から動物の鳴き声が上がった。

 二人が同時にドアへ視線を移すと、一頭の黒狼がドアの外で座っていた。


「おう、ケル坊か。入っていいぞ」


 静也の許可を得た黒狼は立ち上がってトテトテと室内に入る。

 そして静也の前に来ると、ボワンと煙を立てて犬耳を付けた黒髪の少年の姿になった。


「探検は楽しかったか?」


「!」


 静也が頭を撫でながら問うと、ケルベロス少年はコクコクと頷いた。


 ケルベロス、通称ケル坊。

 獣人族の王子であるこの少年は、表向きは狼の姿を取って静也の使い魔ということになっている。

 ヒトとしての名前もちゃんとあるのだが、今までどおり「ケルベロス」という名前のままだ。


 これらは全てケルベロス自身が希望したことである。

 使い魔となった理由は、ケルベロスが静也にいたく懐いてしまったこと。

 どうやら獣人族の本能から、自分を下した人間を気に入ってしまったらしい。


 名前の方は、ケルベロスが本当の名前を明かすことを頑なに拒否したこと。

 失語症を患っていても、一応筆談などである程度の意思疎通が出来るのだが、ケルベロスは絶対に自らの名前を書こうとはしなかった。

 その徹底ぶりは、正体を知っているレインやタマキらが名前を口にしようとしただけで腕や足に噛み付いて阻止しようとする程。

 理由を問えば、ケルベロスは丸っこい獣人語で「自分の名前が嫌い」と短く書くだけ。

 小動物っぽい可愛らしい顔を、くしゃくしゃのしかめっ面にして書いていたので、どうやら相当自分の名前が嫌いらしい。

 かと言ってそのまま「ケルベロス」と呼んだのでは、魔王の配下だったと他人に気取られてしまう可能性も否めないので、暫定的にケル坊と呼ぶことになった。

 普段は大型犬サイズの黒狼姿で学園のあちこちを探検している。


「………」


「あん?どうした?」


 暫く撫でられたあと、ケル坊はまっすぐに静也を見つめた。

 静也が手を離すと、ケル坊は首に下げていたメモ帳とペンを手にとって何かを書きなぐり、静也に見せる。


『シズのケガはもういいの?』


「おう、心配すんな。お前が気に病む事は無いよ」


 丸っこい獣人語(日本語)で書かれた文字と申し訳無さそうなケル坊を見て、静也は笑った。

 ケル坊は静也に怪我を負わせたという負い目から気が気でない様だ。


「で、なんか用か?」


『レインから、シズがもう動いてもいいのかユーツに訊いて来いって言われてきた』


 メモを見せたケル坊はユーツに視線を移す。

 静也も同様に目を向けた。


「ああ、そう言えばそんな事も言ってたか。…………そうだねぇ、筋力も然程衰えちゃいないみたいだし、そんだけ馬鹿力出してりゃリハビリも殆ど必要なさそうだし、いいんじゃないかね?」


 バーベルを持ち上げる静也を暫く見ていたユーツは、顎に手を当ててそう答えた。


「よっしゃ、これで痛い思いともおさらばだ」


「次に同じ事したらもっと痛い目に遭うよ」


「………ぬぅ」


 ガッツポーズをした静也だが、しっかりと釘を差されてがっくりと項垂れる。

 主人のそんな様子を見てケル坊は眉を下げて苦笑した。





『ワンッ』


「おーい、来たぞ先生」


「うん、来たな」


 ウィジス学園の第二体育館にて。

 褐色肌と銀髪の美女が訓練着姿で静也を待ち受けていた。


「……うわ、二ヶ月前の焼きまわしだな」


「ははは、そうだな。…………『アリアにもこれを着せようか?』」


「『やめんかダメ教師ッ!』……っぷ、くく」


「ふふふ…」


『クーン?』


 実戦稽古を始めたばかりのやりとりを思い出し、二人は同時に吹き出す。

 そんな二人を見てケル坊は首を傾げていた。


「……で、なんの用?」


「ああ、そうだ。もう動いても大丈夫なのかな?」


 レインは顎に人差し指を当て、首をかしげて問う。


「ああ、ユーツ先生のお墨付きだ」


 その子供っぽい仕草に苦笑し、問いの意味を予想しながら静也は笑って答えた。

 答えたすぐ後に、ミスリルロッドが飛んでくる。


「っとと……こいつを渡したって事は…」


「ああ、リハビリがてらの訓練だ」


「はは、スパルタ教師め」


 眼鏡を外したレインの言葉に、静也は苦笑して構えを取った。

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