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第八話

 妾になると言ったら夫に反対された。

 しかし、妾にすらなれなければ、自分はもう夫の側には居られない。

 妾が自分の最後の砦なのだ。


 下働きにしかなれない無能な自分が、唯一夫の側に居ても誰からも馬鹿にされない手段。


「もう後にはひけないわっ!!」


 そう、もう後にはひけない。

 だからなってみせる。


「夫が反対出来ない立派な妾に!!」


 そう、こんな取るに足らない女が妾になるという事を夫は反対しているのだ。

 ならば、お前が妾で良かった、最高の妾だと言ってくれるように頑張るしかない。


 立派な妾になる為に!!


 美琳は更に間違った方向に進んでいった。


「まずは情報収集よっ!!」


 大量の愛人自伝を買い込み、更には愛人のすすめなるものを読みあさる事から始める。


 妾については何も知らない状態で、立派な妾になどなれないからだ。


「とにかく、最初は形から入るものよね」


 因みに妾は正式な婚姻関係を結んでいない存在。

 俗に言う第二夫人や、側妃とかとは違う存在だ。

 夫の寵愛だけが頼り。

 きちんとした地位も身分もない根無し草。


「最初は離縁から、と」


 正式な妻である美琳がまず最初にする事は、離縁からだった。


「でも、離縁して妾にすらなれなかったら困るわね」


 妾レベル1の自分を考えれば、もう少し勉強を重ねてから離縁を申し込むべきかも知れない。


「なになに? 妾で重要なのは男の寵愛をいかに自分に惹き付けられるかである。つまり、第一は美貌、第二に教養、そして第三にいかに相手の男好みに染まれるかが重要である」


 美貌――


「また美貌は、ただ美しいだけではなく、男の食指が深くめり込むほどに酔わせられる肉体が必要である。胸が大きく腰がくびれているのはもとより、その胸の形も厳しい基準がある。肌に傷があっては駄目だ。特に、清楚な顔立ちに娼婦のような淫乱で豊満な体が男にとってはたまらない」


 美琳は衝撃を受けた


 深い


 深すぎる


 流石は長年の歴史を持つ妾道!!


「これが出来れば……」


 美琳は決めた。

 まずは美貌と体から磨く事に。


 因みに、もし此処に果竪が居ればそんな必要はないと断言しただろう。

 なぜなら、美琳は世間一般からしても美人だからだ。

 妖艶さや艶やかさはないが、整った顔立ちは好感の持てる清楚な美人である。

 花で言えば、白い小さな花が可憐な鈴蘭を思わせる。

 

 しかし、周囲の居るのが悪すぎた。

 何せ、この国の上層部の女性達は皆が皆、種類は違うが、他国でも滅多にお目にかかれない美少女、美女が揃っている。

 寧ろ平凡な容姿の持ち主は全体の一割程度。

 これでは美琳が自分の美貌に自信が持てないのも当然である。


「えっと、美貌と体を磨く為の入門編、まずはエステ通いは毎日、そして使う化粧品も最高級のものを使いましょう。安いものでは駄目です。自分を最高に見せるには、最高のものを使い惜しみしてはなりません……」


 そして次のページを捲ると、沢山のエステや化粧品が記載されている。

 しかしその値段に、美琳は危うく倒れかかった。


 化粧品一つで、自分の給料が吹っ飛ぶ。


「無理……」


 いや、しかし諦めてなるものか!!


 美琳はちらりと貯金通帳のある場所を見る。

 夫の意見を退け、生活費以外のお金は夫婦別々の貯金通帳に入れている。

 自分の貯金通帳を見れば、雀の涙程度しかなく、代わりに夫の通帳には目が飛び出るほどのお金が入っている。

 色々と臨時収入もあるらしく、今この時にもお金は貯まっていっているだろう。


 美琳は夫の通帳に手を伸ばしかけた。

 しかしすぐにその手を反対の手で叩き落とす。


「駄目よ!!」


 夫が汗水垂らして働いてためたお金を使うなんて出来ない。

 それも、できの悪い妻の為なんかに使えない。


 でも、それだと立派な妾にはなれない。


 万事休すか――





「はい、果竪。これお土産の花で作った栞だよ」

「ありがとう朱詩!!」


 ただ花を渡すだけではひねりがない。

 ちょっとした工夫で可愛い栞を作った朱詩は、それを果竪へと渡す。


 それは黄色い花で作られた栞だった。


「なんて言う花なの?」

「弟切草」

「……………」

「もし煩くつきまとう相手が居たら、それをそっと見せたらいいよ」


 弟切草の花言葉は敵意


「朱詩、私のこと、嫌い?」


涙目の果竪に、朱詩は笑顔で頭を撫でた。


「果竪の事は嫌いじゃないよ。当たり前じゃん。嫌いなのは果竪にくっつく虫だよ」

「つまり陛下ですわね」


 明燐が素速く突っ込めば、朱詩はフッと鼻で笑った。


「ん? あれは別。他の、上層部以外の男達に決まってるんじゃん」


 先程も一人始末した。


『あの様な幼児体型の王妃など恥ずかしくて直視など出来ませんのう』


 それだけなら寧ろ良い子だと頭を撫でてやりたかった。

 直視するな、果竪が腐ったらどうしてくれるといつも思っているから。

 しかしあの豚はその後にのたまってくれた。


『しかし、あれほど色気も何もない体で王を虜に出来るという事は、あっちの方はかなりのものなのだろうな。いやはや、この私も一度味わってみたいものだ』


 その時点で殺った。

 今頃は、何処かの川から海へと流れている事だろう。


「じゃ、じゃあ朱詩にはこの白く艶めかしく艶やかな大根刺繍入り着物を!!」

「あ、全力でいらないから」

「のおぉぉぉぉっ!」


 朱詩の馬鹿と叫びながら走り去る果竪に、それを追いかける明燐。

 きっと行き先は果竪の聖地である大根畑だろう。

 この前よりも畑の広さが広がっていると聞く。


「ふふ、果竪かわいい~」


 にこにこと微笑みながら可愛い妹分を見送った朱詩は、すっと表情を消す。


「出て来たら? 屑」


 果竪に向けていた優しさは消え、あるのは全てを凍り付かせる冷たさのみ。


 一瞬、影が朱詩を覆う。

 首筋に風を感じた。


 だが、落ちたのは朱詩の首ではなかった。

 ごろりと朱詩の足下に転がる覆面をした首。

 それを足で蹴飛ばせば、次々と首が落ちてきた。


「た~いむ」


 最後の凶者の首を切り落とす剣が止まった。


 が、凶者は背中に強い衝撃を受けて朱詩の足下に落とされた。

 朱詩の側に聳え立つ木は、建物三階分の高さがあり、そこから地面に叩付けられた凶者は受け身を取るも、全身を襲った衝撃は凄まじかった。

 しかもその背中を、ドンと足で踏まれる。


「ば~か」


 幽艶な笑みを浮かべ、くすくすと笑う美貌の男。

 痛みすらも凌駕する色香に魅入られた凶者は、迫り来る死を忘れた。


「良い子だね、二人とも」


 すっと現れたのは、柳と玲珠の二人だった。

 二人が持つ剣は血に濡れ、禍々しい光を帯びている。


「ふふ、頭撫でてあげようか」

「いりません」

「遠慮します」


 二人の言葉に頬を膨らませる。

 男である筈なのに、異常なまでの愛らしさがそこにあった。


「ボクに触れて貰えるなんて凄い事なんだよ~」

「…………」

「…………」


 からかう様に言うも、玲珠達は反応しなかった。

 冷たささえ消した無表情のまま。

 それは、二人が朱詩の配下として裏の仕事をする時の顔だった。


 玲珠と柳。

 二人の主は朱詩。

 上司である前に、他の部署の長官の一人である前に、主なのだ。


『君達を使ってあげてもいいよ?』


 あの時から。

 凪国国王を除けば、朱詩が主。


 二人がすっと、朱詩の後ろに立つ。


「君の雇い主の名は?」


 だが、相手も一流の暗殺者。

 何も言わないのはわかっていた。


「いいね~、その目」


 仕事に誇りを持つ目。

 その目が苦痛に歪む様はどれだけ美しいか。

 膨れあがる加虐心。

 目を覚ます拷問に対する快感。


 でも――


「最後に聞くよ? 雇い主の名は?」


 凶者からの返答はない。


「じゃあ死ね」


 パンっと、朱詩の放った小刀が凶者の首を飛ばした。



「この国が水を司る国で良かったよ~」


 血に濡れた武器を近くの水場でゴシゴシと洗いながら、朱詩はぼやいた。


「ああ、雇い主の調査は任せるよ」

「御意」


 頭を垂れたまま、柳の姿が空気に溶け込むように消える。

 術は使えないというのに、流石は一流の武官だ。


「で、玲珠はそこの片付けね」

「はい」


 朱詩に、この国に仕える事を決めてから覚悟していた。

 文官だろうと、時には手を汚さなければならない。

 それが、上層部の一人を主と戴いた時点で自分が背負ったものだ。

 他者の命を奪いたくない。

 そう思うぐらいなら、最初から朱詩を主と戴かない。

 それこそ、最後までただの文官として過ごしただろう。


 玲珠は知っていた。

 幸せなど、降ってくるものでも落ちているものでもないのだと。

 奪い、必死に維持しなければあっけなく崩れてしまうと。

 維持するには力が必要だ。

 汚い事だってしなければならない。

 綺麗事だけではすまないとわかっていた。

 ただそれを、命を奪う事への理由に、汚い事をする為の理由にはしない。

 正当化する事もしない。

 命を奪う罪も、重みも、汚い事をしたという事も、全てを背負う。

 

 決して忘れない。

 幸せは、沢山の犠牲の上に成り立つものだという事を、死ぬまで忘れない。


「おっそ~い」


 もう手慣れた死体の始末。

 しかし、半分もすぎたところで主の声が飛んできた。


「そんなんじゃ日が暮れちゃうでしょう?」


 そう言うと、朱詩はさっさと遺体を片付けていく。

 

 玲珠は気づいていた。

 朱詩は決して全てを自分達に任せない。

 それが特に血なまぐさい事であれば、必ず自らも手を下す。

 全てを部下に任せて自分だけ安全で綺麗な場所に居ようとしない。


 朱詩だけではない、上層部も王も、皆がその手を血に染める。

 そして汚いものを直視し、逃げずに、その罪を背負うのだ。


 それは、彼らが守ろうとする王妃も同じ。

 美琳を助ける為に最悪な屑達の息の根を止めた王妃は、他者の命を奪ったという事実に頽れそうになりながらも、必死に前を向いた。


 そうしなければ死んでいたから。

 王妃は迷わなかった、迷えなかった。

 最初に男達の命を奪った時、もし殺したくないとすれば、美琳が殺されていた。

 そして、罪悪感に苛まれていれば、すぐに他の男達が駆けつけてなぶり殺しにされた。


 王妃は立ち上がった。

 立ち上がって戦う道を選んだ。


 そうしなければ自分達が殺されていたから。

 けれど、王妃もまた、その事を正当化せず、そのまま受け入れた。


 そうして誰もが決して逃げないこの国の上層部と王を見て、自分達は決めたのだ。



 この国に仕えようと



 王や上層部の人柄に心酔した。

 勿論、政治手腕や多くの溢れる才能にも魅入られたけど、一番はその心の強さ。


 命を捧げるならば、彼らに捧げる。


 その為に、死ぬ気で文武を磨き、のし上がった。

 手を汚す事もあると覚悟を見られた時も、意志を貫いた。


 いつか地獄に落ちるかも知れない。

 神として堕ちるかもしれない。

 しかし、それでも自分が初めて選び取った道だ。


「朱詩様」

「ん?」

「俺は貴方の駒です。今も、そしてこれからも」


 妻を残しては死なない。

 妻の為にも死なない。


 自分が妻の為に死ねば、あの優しい妻はきっと心に傷を負うから。


 けれど、もしどうしても死ななければならない時は、この方の為に。

 下手な感傷などに惑わされない、広く大きな器を持つこの方の為だけに。


「馬鹿」


 ゴンっと朱詩は玲珠の頭を殴った。


「っ」

「そんな事考えるなら、奥さんと仲直りする方法でも考えなよ」


 そう言った朱詩の笑顔は、いつもの小悪魔な笑顔。

 けれど、確かに馬鹿な部下を労る優しさが含まれていた。



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