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悪役令嬢ではなく、その母親に転生しました。娘が断罪される前に家庭環境から直します  作者: ローナ


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3/22

灰色のうさぎ

「ヴィオレッタ」


声をかけると、娘はびくりと肩を揺らし、取っ手から手を離した。


「レオンのお見舞い?」


「違います」


答えは早かった。早すぎるくらいだった。


「通りかかっただけです。それに、レオンの熱は、わたくしのせいではありません」


誰もそんなことは言っていない。私が口を開く前に、娘は続けた。


「お祖母さまが、わたくしが朝から騒いだせいで、屋敷が落ち着かないとおっしゃいました。でも、レオンはいつも熱を出すのです。わたくしが何もしなくても」


「ええ、そうね。あなたのせいだなんて、私は思っていないわ」


ヴィオレッタは唇を引き結んだ。安心したのか、それとも当てが外れたのか、どちらともつかない顔だった。


「一緒に入る?」


「入りません。うつったら、また閉じ込められますもの」


そう言い捨てて、娘は廊下を駆けていった。走ってはいけません、と叱る声が、どこか遠くから聞こえた気がした。


◇


レオンの部屋は、薬草を煎じた匂いがこもっていた。


寝台のそばで、年配の乳母が濡れた布を絞っている。名をハンナという。四十を少し過ぎたくらいだろうか。私を見ると、驚いたように立ち上がった。


「奥様。お体は、もう」


「ええ。レオンの具合は?」


「お医者さまのお話では、いつもの熱だそうです。二、三日で下がるだろうと」


いつもの。その言葉が、小さく引っかかった。


寝台の上で、小さな男の子が目を開けた。栗色の髪が、汗で額に張りついている。私と同じ色の髪だ。


「……おかあさま?」


「ええ。来たわよ、レオン」


枕元に腰を下ろすと、息子は熱で潤んだ目を何度もまたたいた。


「ほんとうに、来てくれた」


その一言で、わかってしまった。


この子にとって、母が見舞いに来るのは「ほんとう」と確かめなければならないほど、珍しいことなのだ。クラリッサは、娘だけを遠ざけていたわけではない。二人の子どもの、どちらのそばにもいなかった。


額に手を当てる。熱い。けれど、呼吸は落ち着いている。


「おかあさま。ミミがいないの」


「ミミ?」


「うさぎ。ぼくのうさぎ」


ハンナが申し訳なさそうに頭を下げた。


「坊ちゃまの縫いぐるみでございます。今朝まで枕元にあったのですが、昼から見当たらなくて」


それから、ハンナはわずかに言いよどんだ。


「今朝……お嬢様が、一度だけお部屋にいらっしゃいました。すぐに出ていかれましたけれど」


私はレオンの手を握ったまま、黙ってうなずいた。


「すぐに見つかるわ。だから、少しお休みなさい」


息子は目を閉じかけて、もう一度だけ私を見上げた。


「おねえさま、おこってる?」


「どうして?」


「おねえさま、ぼくがおかぜをひくと、いつもこわいかおをするの」


五歳の子は、大人が思うよりずっとよく見ている。


「怒っていないわ。たぶん、少し寂しいだけ」


「さびしい?」


「ええ。だから、元気になったら、お姉さまとお菓子を食べましょうね」


レオンはこくんとうなずき、今度こそ素直に目を閉じた。


軽々しく約束してしまったことを、私はこのあと後悔することになる。


◇


部屋を出たところで、マルガレーテと鉢合わせた。


姑は私の顔を見て、それからレオンの部屋の扉に目をやった。


「ようやく、もう一人の子を思い出したのですね」


皮肉を言い返す気にはなれなかった。事実だったからだ。


「ハンナから聞きました。ミミがなくなったそうですね。そして今朝、ヴィオレッタがこの部屋に入ったと」


「ええ」


「では、あの子の部屋を探させます」


マルガレーテはすでに、背後の侍女に目配せをしていた。


「お待ちください、お義母さま」


「また待てと言うのですか。熱のある子が泣いているのですよ。あなたは、ヴィオレッタの機嫌とレオンの眠りと、どちらが大事なのです」


鋭い問いだった。そして、どちらと答えても間違いになる問いでもあった。


「どちらも大事です。だから、あの子が自分で返す機会を、一晩だけください」


「返さなかったら?」


「そのときは、お義母さまのなさりたいようになさってください。私は止めません」


姑は長いあいだ私を見ていた。


「明日の朝までです。それを過ぎたら、わたくしが探させます。そして、あの子には相応の罰を与えます」


背を向けたマルガレーテの靴音が、廊下に硬く響いた。


◇


夕方、ヴィオレッタの部屋の扉を叩いた。


娘は机に向かい、ケスラー夫人が来るまでの課題だという書き取りをしていた。ペンを持つ手が、私の姿を見て止まる。


部屋を見回すまでもなかった。寝台の下から、灰色の布の耳が片方だけのぞいている。


「ヴィオレッタ。レオンのうさぎを知らない?」


「知りません」


娘は書き取りに目を戻した。ペン先が紙をひっかく音が、少しだけ強くなる。


私は寝台の下に目を向けなかった。取り出して突きつけるのは簡単だ。けれどそうすれば、この子が覚えるのは、嘘はいずれ見つかるということだけだろう。


代わりに、娘の隣の椅子に腰を下ろした。


「レオンね、ミミがいないと眠れないそうよ。熱があるのに、ずっと探していたわ」


「……レオンは、いつもそうです」


「いつも?」


「熱を出せば、ハンナがずっとそばにいて、お医者さまが来て、お祖母さまも様子を見にいらっしゃる。お母さまだって、今日は行ったのでしょう」


ペンが止まった。


「わたくしが熱を出したときは、ベルタしか来ませんでした」


紙の上に、インクの染みがじわりと広がっていく。


私は娘の横顔を見つめた。妬みと呼ぶには、あまりにも小さくて、まっすぐな声だった。


「そうだったのね」


「レオンなんて、うさぎがなくても平気です。みんながいるもの」


「みんながいても、ミミがいないと寂しいこともあるわ。あなたが、お母さまの部屋の匂いを知りたかったのと同じように」


ヴィオレッタは答えなかった。机の端を見つめたまま、じっと動かない。


私は少し迷ってから、本当のことを伝えることにした。


「お祖母さまはね、明日の朝までにミミが見つからなければ、屋敷じゅうを探させるとおっしゃっているわ。この部屋も」


娘の肩が、はっきりとこわばった。


「脅しているのではないの。知らないまま朝が来るのは、あなたにとって不公平だと思ったから話したのよ」


「……わたくしは、知りません」


声は小さく、さっきより弱かった。


私は待った。けれど、娘は最後まで、寝台の下のことを口にしなかった。


「今日は、もう行くわね」


立ち上がっても、引き留める声はなかった。


◇


その夜、レオンは何度も目を覚ましては、ミミを探して泣いた。


すぐに見つかると言ったのは私だ。ハンナに代わって寝台のそばに座り、自分の肩掛けを丸めて息子の腕に抱かせた。


「おかあさまの、においがする」


レオンはそれを抱きしめ、ようやく寝息を立て始めた。


窓の外が白み始めたころ、私は椅子の上で浅い眠りに落ちていたらしい。


目を覚ましたとき、寝台の上に、灰色のうさぎが置かれていた。


レオンの腕の中ではない。枕元に、そっと寄せるように。


手に取って、私は息をのんだ。


左の耳が、付け根のところで一度ちぎれている。それを、ひどく不揃いな針目で縫い合わせてあった。糸は紫色だった。


「ハンナ。夜のうちに、誰か来た?」


部屋の隅で控えていた乳母は、首を横に振った。


「申し訳ございません。明け方に少し、うとうとしてしまいまして……どなたがいらしたのか、気づきませんでした」


ハンナが青ざめるのを、私は手で制した。椅子で眠りこけていたのは、私も同じだ。


誰かが、二人の大人が眠っている隙に、足音を殺して入ってきた。そして、レオンを起こさないように、そっと出ていった。


約束の朝は、もう来ている。マルガレーテが侍女を連れてくる前に、うさぎは戻った。


紫の糸。


私は自分の部屋の裁縫箱を思い浮かべた。刺繍の糸を、紫と銀のどちらにするか迷っている――反省室でそう話したのは、二日前のことだ。


縫い目の端から、ほつれた糸が一本、垂れ下がっていた。

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