↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢ではなく、その母親に転生しました。娘が断罪される前に家庭環境から直します  作者: ローナ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/22

ヒワは誰のものでもない

「……ありがとうございます、陛下」


ヴィオレッタの声は、小さかった。けれど、はっきりしていた。


「菫は、お庭の隅で、見たことがあります。……わたくしの目が、あんなに小さな花と同じとは、知りませんでした」


言ってから、娘の頬が赤くなった。令嬢たちのあいだに、くすりと小さな笑いが起きる。馬鹿にする笑いではなかった。王妃も、扇の陰で目を細めた。


「面白い子ね。お好きなものは、何かしら」


「鳥です」


即答だった。


「特に、ヒワが好きです。小さくて、黄色くて、冬でも鳴きます」


「まあ」


王妃は、意外そうに身を乗り出した。


「うちの息子も、鳥が好きなのよ。庭に小鳥小屋をこしらえて、毎朝、世話をしているの。ねえ、ヘルガ。アルフォンスを呼んでちょうだい」


ドレーゼン夫人が、微笑んでうなずいた。扇の動きが、ほんの少しだけ優雅すぎるように見えたのは、気のせいだろうか。


◇


東屋に現れた王太子アルフォンスは、背筋の伸びた、真面目そうな少年だった。


栗色の髪に、青灰の瞳。九歳にしては落ち着いているけれど、手に握りしめた帽子のつばは、くしゃりと潰れていた。


「母上のお召しにより、参りました」


台詞を、暗記してきたのだろう。続けて、令嬢たちへ向き直る。


「本日は、ようこそ。……楽にしてください」


そのひと言で、堅苦しかった空気が、少し緩んだ。


王妃が、悪戯っぽく言う。


「アルフォンス。こちらのヴィオレッタ嬢が、ヒワがお好きなんですって」


少年の目が、ぱっと見開かれた。


「ヒワが?」


「は、はい」


「僕の小屋に、二羽いるんです。冬に、庭で拾って。見ますか」


先ほどまでの暗記の調子が、跡形もなく消えている。ヴィオレッタは、一瞬、迷うように私を見た。私は、うなずいた。


「……見たいです」


「では、案内します」


そこで、セシリアが声を上げた。


「殿下。わたくしも、鳥は好きですわ」


「そうですか。では、皆さんで」


王太子は、ぎこちなく、全員を招いた。令嬢たちが、ざわざわと立ち上がる。


母親たちも腰を浮かせかけたところで、ドレーゼン夫人の柔らかい声が響いた。


「お母様がたは、こちらで、お茶をもう一杯いかがかしら。お子様がたの邪魔をしては、無粋ですわ」


王妃の前で、そう言われては、誰も逆らえない。


私は座り直した。視線の先、庭の奥へ向かう子どもたちの列の中で、黒髪がひとつ、小さく揺れていた。


壁際ではなく、さらに遠く。この距離では、娘の声は聞こえない。


ドレーゼン夫人が、私のカップに、自ら茶を注いだ。


「ご心配ですの?」


「ええ。少し」


「正直なお方ね」


夫人は、微笑んだ。


「ひとつ、お聞かせしましょうか。わたくしがお嬢様を推挙した理由を」


私は、カップから顔を上げた。


「二年前の、冬至の礼拝でしたわ。礼拝堂の隅で、侍女に叱られて泣いている子がおりましたの。皆、目をそらしておりました。そこへ、小さな黒髪のお嬢様が、黙って近づいて、その子の手を握ったのです。何も言わずに」


「……ヴィオレッタが、ですか」


「ご存じなかったのね」


夫人の声は、どこまでも柔らかかった。


「口は悪くても、あの子の手は、あたたかい。わたくしは、そういう子が、王家には必要だと思いましたの」


嘘とも、本当とも、聞こえた。


私は知らなかった。娘が、人の手を握る子だということを。そして、それを知っていた他人が、目の前にいることを。


茶の湯気の向こうで、ドレーゼン夫人の目は、笑っていた。


◇


小鳥小屋は、庭の奥の、薔薇の垣根の陰にあった。


ヴィオレッタは、小屋の前で、アルフォンスの隣に立った。檻の中には、黄色い小鳥が二羽。大きいほうが雄で、小さいほうが雌だと、王太子が説明した。


「名前は?」


「まだ、ありません。名前をつけると、手放せなくなるから」


「……それは、わかります」


娘は、小さく言った。


そこへ、セシリアが割り込んだ。


「殿下、見てください。この子、わたくしの指に乗りましたわ」


「本当だ。人に慣れているんですね」


「ええ。わたくし、小鳥には好かれますの。ヒワなら、いつでも飼えますわ。うちに、取り寄せられますもの」


王太子が、感心したようにうなずく。ヴィオレッタは、横で唇を結んだ。


胸の奥で、何かが、ふくれあがっていく。


自分が先に好きだと言ったのに。自分が先に、ヒワのことを話したのに。


「……ヒワは」


声が、自分でも驚くほど、尖っていた。


「ヒワは、わたくしが、先に好きだと言いました」


沈黙が落ちた。


セシリアが、むっとして振り向く。


「好きに、先も後もありませんわ」


「ありますっ。わたくしが先です。あなたは、あとから、わたくしのまねをしました」


自分でも、おかしなことを言っていると、わかっていた。わかっていて、止められない。喉が熱い。目の奥が、じんじんと痛む。


アルフォンスは、二人を交互に見て、困ったような顔をした。


そして、ぽつりと言った。


「ヒワは、誰のものでもないと思います」


二人の少女が、同時に、彼を見た。


「僕のヒワだって、僕のものではないんです。拾っただけで。……あなたたちが、先でも後でも、ヒワは、ヒワです」


当たり前のことを、当たり前の声で言われて、ヴィオレッタは言葉を失った。


しばらくして、娘は、顔を真っ赤にしたまま、小さな声で言った。


「……失礼いたしました。変なことを、言いました」


「変じゃないです」


王太子は、首をかしげた。


「好きなものを、取られたくないのは、普通だと思います。僕も、ミルクは、取られたくありません」


「ミルク?」


「朝の。僕の、一番の楽しみなので」


セシリアが、ふっと吹き出した。ヴィオレッタも、つられて、口元がゆるんだ。気づけば、三人で小鳥小屋の前に並んで、笑っていた。


◇


小屋の前で何があったかを、私が知ったのは、帰りの馬車に乗ってからだった。


東屋の外の庭から、子どもたちが戻ってくるのは、遠くから見えた。三人並んで、時折、肩を揺らして。ヴィオレッタが笑っているのを、私は初めて、あんなに遠くから見た。


そして、王妃は、帰りの挨拶のとき、ただ一言、こう言った。


「ヴィオレッタ嬢。また、いらっしゃい」


馬車の中で、娘は、頬を赤く染めたまま、小さな声で語り終えると、窓の外を見た。


「お母さま。わたくし、変なことを、言いました。ヒワは、わたくしが先に好きだと」


「ええ。聞いたわ」


「怒られると、思いました。でも、殿下は、変じゃないと」


「そう」


「お母さまは、がっかりなさいましたか」


私は、首を横に振った。


「いいえ。ちゃんと、謝ったのでしょう」


「はい」


「それなら、いいの。取られたくないと思うのは、悪いことではないわ。口に出す前に、一度だけ、息をするのよ」


「……息、ですか」


「そう。一度だけ。次は、できるかもしれない」


ヴィオレッタは、小さくうなずいた。


しばらくすると、娘の頭が、こくりと私の肩に落ちてきた。慣れない場で、使い果たしたのだろう。穏やかな寝息が、聞こえ始める。


私は、娘の黒髪を、そっと撫でた。


今日の娘の顔は、確かに、輝いていた。小鳥小屋の前で、友と呼べそうなものを、初めて得たかのように。


けれど、私は知っている。この輝きから、原作の婚約は始まったのかもしれない。


屋敷の窓では、きっと、レオンがミミを抱いて待っている。マルガレーテは、玄関で何も言わずに迎えるだろう。夫は、夜遅くに戻って、娘の顔を見てから、私に結果を尋ねるはずだ。


誰もが、今日の答えを待っている。けれど、娘自身の答えは、まだ、出ていない。


窓の外では、日が傾いていた。


馬車は、王都ルーヴェンの石畳を、ゆるやかに、屋敷へと向かって進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。