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悪役令嬢ではなく、その母親に転生しました。娘が断罪される前に家庭環境から直します  作者: ローナ


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13/22

王宮の茶会

王宮へ向かう馬車の中で、ヴィオレッタは膝の上で両手を重ねたまま、一言も口をきかなかった。


向かいの席には、私だけ。ジークハルトは財務の会議で先に王宮へ入っている。マルガレーテは「祖母が出る場ではありません」と、屋敷の玄関で見送った。見送る手が、ほんの少し長く娘の肩に触れていたのを、私は見逃さなかった。


「ヴィオレッタ」


「はい」


「一つ、聞いておきたいの。昨日、聞きそびれたことよ」


娘が顔を上げた。


「今日、あなたは、どうしたい?」


「どう、とは」


「王妃陛下に気に入られたいか。目立たずに帰りたいか。どちらでもないか。お母さまは、あなたの望みを先に聞いておきたいの」


昨夜、私は一つ、間違いに気づいていた。ドレーゼン夫人の話を聞いて、私は勝手に「目立たせない」道筋を組み立てた。けれど、それは私が決めることではない。


ヴィオレッタは、しばらく窓の外を見ていた。石畳の上を、馬車の車輪が規則正しく鳴らす。


「……わかりません」


「そう」


「でも、お祖母さまは、気に入られてほしいと思っていらっしゃいます。お父さまも。お母さまは、そうではないのですか」


「お母さまは、あなたが嫌な思いをしないことを、一番に思っているわ」


「それは、答えになっていません」


八つの子に、痛いところを突かれた。


「そうね。……正直に言うと、お母さまは、あなたに王太子妃になってほしいかどうか、まだ決められていないの。あなたがどうしたいのかを、知ってからでないと」


「わたくしにも、決められません」


娘は、小さく息をついた。


「だから、今日は、会ってみてから決めます」


私は、何も言えなかった。それは、八歳の少女としては、ひどく大人びた答えだった。


◇


王宮の回廊で、ジークハルトが待っていた。


会議の合間に抜けてきたのだろう。財務の書類を脇に抱えたまま、娘の前に立つ。


「来たか」


「はい、お父さま」


「……」


夫は、何か言うべき言葉を探しているように見えた。以前なら、「恥ずかしくないように」の一言で済んだはずだ。


「疲れたら、そう言え」


ようやく出てきたのは、それだけだった。


ヴィオレッタが、目を丸くする。


「できない日は、できないと言えと言った。……今日が、その日になっても、私は、叱らない」


「叱らない、のですか」


「叱らない。ただし、王妃陛下の前では、自分で礼を尽くせ」


最後の一言は、やはり夫らしかった。けれど、娘の肩から、わずかに力が抜けたのが見えた。


夫は私に視線を寄越し、小さく顎を引いて、会議へ戻っていった。


◇


王宮の庭に面した白い東屋には、円卓が据えられていた。


円卓を囲む椅子は、十脚。すでに六人の令嬢が着席し、母親たちは、壁沿いの長椅子に、扇を手に並んでいる。話し声はひそやかで、けれど視線は、ひっきりなしに円卓を往復していた。


「ヴィオレッタ・リヒテンベルク公爵令嬢、ご到着」


侍従の声に、東屋の空気が一瞬、止まった。


娘は、教わったとおりに歩いた。入室の礼。席の前で、もう一度。顔は、わずかに青いが、背筋は伸びている。


私は壁際の長椅子へ向かった。そこで、隣に座った婦人が、扇の陰から声をかけてきた。


「リヒテンベルク公爵夫人。昼の茶会にお出ましとは、お珍しいこと」


ハルトマン侯爵夫人。娘のセシリアは、円卓の向かい側で、金色の巻き毛を揺らしていた。


「ご無沙汰しております」


「夜会では、いつもお見かけいたしますのに。昼間にお嬢様をお連れになるのは、初めてではなくて?」


そう言う声には、棘というより、純粋な好奇心があった。原作のクラリッサは、社交の場に出ても、娘を連れてはいなかったのだ。


「娘も八つになりましたので」


そう答えると、侯爵夫人は意外そうに目を瞬かせ、それ以上は何も言わなかった。


円卓では、王妃陛下の席だけが空いていた。上座の隣に、薄紫のドレスの背中が見える。ドレーゼン夫人が、場の取り仕切りとして、令嬢たちに茶を注いで回っていた。


その背中が、ヴィオレッタの後ろで、ほんの一瞬だけ止まった。


茶を注ぎながら、夫人が娘の耳元へ、何かをささやいたのが見えた。ヴィオレッタが小さく目を見張る。口の動きは、読めなかった。


あとで聞いた話だが、夫人はこう言ったのだという。


「お母様のほうは、あまりご覧にならないほうがよいわ。陛下は、ご自分の足で立っている子が、お好きですから」


娘はそのとき、うなずかなかった。うなずけなかったのだと思う。


◇


「まあ、紫の瞳」


最初に口を開いたのは、セシリアだった。


「おばあさまが、おっしゃっていましたわ。紫の瞳は、少し、不吉なのですって」


円卓の令嬢たちが、息をのんだ。母親たちの扇が、一斉に止まる。


私の背中に、汗が走った。


ヴィオレッタは、カップを持ち上げようとしていた手を、止めた。顔から、さっと血の気が引く。次の瞬間、頬が赤くなった。


「……失礼ですが」


低い声だった。


「不吉なのは、人の見た目を、陰で口にするほうだと思います」


東屋が、凍った。


セシリアの顔が、みるみる歪んだ。「何ですって」と立ち上がりかける。侯爵夫人が、扇をぱたりと閉じた。


私は、息を止めていた。


これが、原作の最初の一行だったのかもしれない。悪役令嬢と呼ばれるヴィオレッタは、きっと、こうして敵を作っていった。


ヴィオレッタが、私を見た。


助けを求める目ではなかった。合図を出すかどうかを、迷っている目だった。銀の匙は、まだ、カップの縁にかかっただけで、動いていない。


行けば、止められる。咳をして、席を立つ口実を作って、娘を連れ出せる。


けれど、それをしたら。


娘は、自分が言ったことの結末を、一度も引き受けないまま、この場を去ることになる。


私は、動かなかった。


ただ、目を合わせた。昨日の約束どおり、いつでも目を合わせる、それだけを守った。


ヴィオレッタは、一度、唇を噛んだ。


それから、セシリアのほうへ向き直った。


「……言い方が、悪かったです。でも、不吉と言われたのは、悲しかったです」


声が震えていた。けれど、最後まで、目をそらさなかった。


セシリアは、口を開けたまま、立ち尽くしていた。やがて、ぷいと横を向き、小さな声で言った。


「わたくしも、おばあさまの言葉を、そのまま言いました。……ごめんなさい」


隣の侯爵夫人が、扇の陰で、ぽつりとつぶやいた。


「……お嬢様がた、どちらも、ご立派なこと」


その声は、私にではなく、自分の娘に向けたものだったかもしれない。膝の上の私の手は、気づけば、ドレスの布を固く握りしめていた。助けなかったことが、正しかったのか。答えは、まだ出ない。


その瞬間、東屋の入口から、衣擦れの音がした。


侍従の声が響いた。


「王妃陛下、ご到着」


全員が、一斉に立ち上がった。


現れたのは、淡い金の髪を結い上げた、四十代半ばの女性だった。優雅な足取りで円卓の上座に進み、令嬢たちを順に見渡す。その視線が、ヴィオレッタのところで、ほんの少し止まった。


「まあ。今、何か、ございましたか」


誰も答えなかった。


ドレーゼン夫人が、一歩進み出て、扇を傾けた。


「いいえ、陛下。令嬢方が、お互いに、ご挨拶を交わしておられただけですわ」


その声は、柔らかく、淀みなかった。


王妃は、ゆるやかに微笑んだ。


「それは何より。……ヴィオレッタ嬢」


名を呼ばれた娘が、びくりと肩を揺らす。


「はい、陛下」


「あなたの瞳は、とてもきれいね。春先の菫の色」


王妃の声には、ひとかけらの揶揄もなかった。


ヴィオレッタが、答えに詰まった。助けを求めるように、壁際の私を見る。


私は、ほんの少しだけ、うなずいてみせた。


匙は、一度も、動かなかった。

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