6.ルピナの森の惨劇
王都の東に広がる『ルピナの森』。
街道沿いに位置し、行商人や旅人もしばしば休憩に立ち寄る、王都周辺でも一二を争う安全な森だ。
木漏れ日が差し込み、小鳥のさえずりが心地よく響く場所——のはずだった。
「……静かすぎるな」
森の入り口へと足を踏み入れた途端、前を行くフレッドが足を止め、白銀の鎧をわずかに鳴らせて周囲に鋭い視線を走らせた。
白銀の鎧を纏うその姿は、騎士団長としての圧倒的な威厳と重厚感を漂わせている。
「ええ……いつもなら街道を行く商人の笑い声や、馬車の音がここまで聞こえてくるはずなのに」
アレクシアもまた、皮膚を刺すような肌寒い違和感に胸を騒がせていた。
この森はタマラビィくらいしか生息しておらず、街道を行き交う人々にとっても憩いの場だ。
それが今では鳥の声一つ聞こえず、風すらも止まり、まるで森全体が呼吸を止めてしまったかのような気味が悪い静寂に包まれていた。
「気をつけて進もう。……君とライは、俺の背後から離れないでくれ」
「はい……!」
鎧の隙間から覗くフレッドの表情は真剣そのもので、その温かな風の気配がアレクシアを守るようにふわりと寄り添う。
「グルゥ……」
ライが低い唸り声を上げ、前足で土を強く踏みしめる。警戒を強めながら奥へ進んだその時——
ササッ、と近くの草むらが大きく揺れた。
「……!」
フレッドが瞬時に剣の柄に手をかけ、アレクシアも手元に水魔法の魔力を集める。
だが、草むらから転がり出てきたのは——真っ白で丸い、手のひらに乗るほど小さな生き物だった。
「タマラビィの……子供?」
全身をガタガタと激しく震わせ、涙目で二人を見上げる幼い数匹のタマラビィ。それは必死の思いでアレクシアの靴にしがみついてきた。
「キュ、キュゥ……! キュゥゥン!」
「どうしたの……? 一体何があったの?」
屈みこんだアレクシアの手の上で、子供の魔物は小さな体を震わせ、必死に森の奥を指し示すように泣き叫んだ。まるで『助けて』『みんなのところへ来て』と訴えかけているかのように。
「……奥に何かあります。行きましょう、フレッド様!」
「ああ!」
二人と一匹は、幼いタマラビィたちの案内に導かれるように、街道を外れて森の開けた広場へと急いだ。
そして、木々の隙間を抜けた先に広がっていた光景に——全員が息をのんだ。
「……な、に……これ……」
アレクシアの声が震え、その場に立ち尽くす。
緑豊かな美しい広場は、見るも無残な惨劇の場と化していた。
そこには、無数のタマラビィたちの冷たくなった亡骸が、散乱するように転がっていたのだ。
草木は踏み荒らされ、生臭く禍々しい血の匂いが充満している。
商人たちを癒やしていたはずの平和な森が、一夜にして地獄へと変わっていた。
そして、不気味な静寂を破り、惨劇の中心で長いトゲの生えた巨躯をうねらせていたのは——
「シャーッッ……!!」
威嚇の奇声を上げたのは、体長10メートルを超える、黒紫色の鱗に覆われた巨躯の毒蛇『ヴィオヴァイパー』だった。
本来なら深山幽谷の奥深くにしか棲息しないはずの、極めて危険度の高い大型の魔物。
その両目は不気味な暗紫色に濁り、理性を失って口元からドロリとした猛毒の液を滴らせている。
「タマラビィの群れを襲ったのか……! 街道のすぐ近くだぞ、放置すれば商人や旅人にも被害が出る!」
フレッドが白銀の鎧を躍らせ、一瞬で剣を抜き放って前に立ち塞がる。
狂乱したヴィオヴァイパーはフレッドの存在に気づくと、地響きとともに巨体をしならせ、猛毒の牙を剥いて襲いかかってきた。
その巨躯から繰り出される一撃は、人間など容易に噛み砕き、鎧ごと叩き潰す威力を秘めている。
「ライ、前をお願い!」
「ガウッ!」
アレクシアの指示を受け、銀狼ライが大地を蹴った。
ヴィオヴァイパーの足元から、隆起した巨大な「土の壁」が突き上がり、突進を正面から完璧に受け止める。
ドガァン!と激しい衝撃音が森に響き渡り、大蛇が体勢を大きく崩した。
「今です、フレッド様!」
「もらった!」
アレクシアの放った水流の矢が大蛇の視界を奪うと同時に、フレッドが踏み込む。風の魔力を纏い、剣が閃いた。
『風衝一閃』
疾風の一閃がヴィオヴァイパーの太い胴体を一刀両断し、巨大な蛇身が猛毒の煙を上げながら地面へと崩れ落ちた。
やがて動きが完全に止まり、森に再び静寂が戻る。
無事に惨事の元凶を撃破したものの、誰も喜びの声を上げる者は居なかった。
「はぁ……はぁ……。大丈夫ですか、フレッド様?」
「ああ、問題ない。……だが、これはあまりにも酷すぎる」
フレッドは剣の血を払い、険しい表情で息絶えたヴィオヴァイパーと、周りに転がるタマラビィたちの亡骸を見つめた。
「ヴィオヴァイパーはこの地域の生態系には絶対に存在しない魔物だ。それに……あの不自然な濁った目。まるで何者かに禍々しい魔力を流し込まれ、無理やり狂乱させられたかのようだった」
「何者かに……?」
抱きかかえた幼いタマラビィたちの体を優しく撫でながら、アレクシアの胸に冷たい予感が走る。
ただの自然の猛威ではない。
誰かが意図的に、商人たちも通るこの平和な森に異変を引き起こしたのだとしたら——。
「王都の目と鼻の先で、一体何が起きようとしているんだ……」
落とされた夕闇の中、フレッドの重い呟きが木々に吸い込まれていく。
足元で怯える幼い命の温もりを感じながら、アレクシアは深く陰る森の奥を見つめ、拭いきれない強い不安に胸を締め付けられるのだった。




