21.国境の風
王都レマニアを出発してから数日。
花々が咲き誇っていたコンフェデラの美しい風景は急速に色を失い、視界は荒涼とした岩山と冷たい霧に覆われつつあった。
コンフェデラと敵国フィンステリウムを隔てる「黒鉄の国境峰」。
その険しい山道を、三つの影が超人的な速度で駆け抜けていた。
「ガウッ……! ハッ……ハッ……!」
銀灰色の毛並みを泥と血で汚しながら、先頭を疾走するのはナグラヴォルフのライだ。
全身の傷からはまだ血が滲むが、その青澄んだ瞳に迷いはない。
ただ主の匂いを追い、ひたすらに北を目指す。
そのライのすぐ隣を、並走する男がいた。
コンフェデラ騎士団長、フレッド・グラフだ。
連日の不眠不休の疾走にもかかわらず、その金髪の青年に疲色の欠片もない。
あるのは、極限まで研ぎ澄まされた冷徹な「殺気」と「覚悟」だけだった。
「……ライ、よく耐えた。もうすぐ国境だ」
フレッドの声には、普段の穏やかさなど一切なかった。刃のように鋭く、氷のように冷たい。
あの日、指先をすり抜けてアレクシアを奪われた瞬間、フレッドの中で「甘さ」は完全に死んだ。裏切り者への後悔など一瞬で捨て去り、今のフレッドの心にあるのは、敵を滅ぼしてでもアレクシアを奪還するという冷徹な決意のみだ。
「おいおい、恐ろしい顔をしてるぜ、騎士団長様」
後ろから巨大な魔導大剣を担いだオスカーが、重厚な踏み込みで追いついてくる。
咥えた煙草の煙を吐き出しながら、琥珀色の瞳をギラつかせた。
「あの裏切り者の首をハネる算段でも立ててたか?」
「ああ。リック……あいつには、アレクシアに手を上げたことを死ぬほど後悔させる」
フレッドは前を見据えたまま、静かに言い放つ。
「あいつらは踏み越えてはならないラインを越えた。……アレクシアの両親が命を懸けて護り、俺たちが誓いを立てて隠し続けた彼女の『誇り』を、泥足で踏みにじった。タダで済ませる気は毛頭ない」
「ハッ! 言うようになったじゃねえか。それでこそコンフェデラの風だ」
オスカーが凶暴な笑みを浮かべ、大剣の柄を握り直す。
「ノアとマリアの奴らが遺した研究……そしてアレクシアの『氷魔法』。帝国は世界を止める兵器として狙っているようだが、俺の娘を道具扱いしようざあ、国ごと燃やし尽くしてやる」
「……ああ。俺の風で、帝国の鉄など吹き飛ばしてみせる」
ふと、ライが足を緩め、低く唸り声を上げた。
岩山の霧の向こう——巨大な鉄門と無数の砲身を備えた、コンフェデラ最大の障壁『黒鉄の国境検問所』が見えてくる。
「敵襲——ッ!! 国境に高濃度の魔力反応!! 迎撃体制——ッ!!」
要塞の壁上から帝国兵の怒号が響き、無数の矢と魔導砲がフレッドたちへ向けられる。
だが、フレッドの歩みは一歩も緩まない。
「オスカー殿、ライ。……邪魔な門だ。吹き散らす」
腰の長剣を抜いた瞬間、フレッドの全身から爆風のごとき緑の魔力が跳ね上がった。
大気が激しく震え、周囲の岩石が風圧だけで粉砕されていく。
「——疾れ、風迅脚」
音速を超えた一閃。
フレッドの放った風の真空波が、巨大な鉄門どころか、要塞の防壁ごと一瞬で真っ二つに切り裂いた。
轟音と悲鳴が巻き起こる中、煙を割って先陣を切るフレッド。
その青い瞳に宿るのは、絶対の怒りと、決して揺らがない覇気。
「待っていろ、アレクシア。……今、すべてを終わらせて迎えに行く」
一国の騎士団長としての圧倒的な強さと鋭利な覚悟を纏い、フレッドは黒鉄の帝国領へと踏み込んだのだった。




