20.黒鉄の国と冷たい檻
王都レマニアを遠く離れ、漆黒の鉄と立ち込める暗雲が支配する地——フィンステリウム帝国。
その地下深く、外の光すら届かない非人道的な実験施設に、アレクシアは囚われていた。
「ぐっ……あ……っ」
冷たい金属の台座の上で、アレクシアは途方もない脱力感と激痛に息を絶え絶えにさせていた。
太い魔導管が彼女の体に接続され、体内から輝く美しい青白い光——「氷の魔導因子」が、容赦なく吸い上げられていく。
「……経過は良好だ。この調子なら、氷の魔導因子の完全抽出と、我が軍の新たな兵器『クローン』への定着も時間の問題だな」
冷酷な研究者たちの声が響く中、その光景を少し離れた影から見つめる男がいた。
リックだった。
首元のスカーフは失われ、露わになった首筋には黒鉄の国章が刻まれている。
任務を完遂し、帝国へ最大の功績を持ち帰ったはずの男。
しかし、その右目——【透視】の魔導眼に宿っていたのは、勝利の歓喜ではなく、胸を掻き毟るような不快感だった。
実験室の奥には、大きなガラス張りの培養槽が整然と並んでいる。
緑色の液体の中に浮いているのは、アレクシアと全く同じ銀髪、全く同じ顔立ちをした無数の「少女たち」だった。
(……クローン、か)
リックはポケットの中で拳を強く握りしめた。
研究員の手によって培養槽の一つが開かれ、完成したばかりの一体のクローンが床へ降り立つ。
銀髪に宝石のような青い瞳。
姿形はアレクシアそのものだ。
だが、その瞳には光がなく、リックがどれだけ近づいても、呼吸音すら感じられないほど無機質だった。
『指示ヲ。命令ヲ』
感情の欠片もない、機械のような声。
リックの頭に、不意にコンフェデラでの記憶が蘇る。
『リック、捜索クエストお疲れ様! 温かいお茶淹れたから、飲んで?』
『ライたら、リックになついちゃって。ふふっ、二人とも仲良しだね』
ドクン、と胸が嫌な音を立てた。
(……チッ。なんなんだよ、これは)
アムネシアでの1年間は、すべて偽りだったはずだ。
自分はただのスパイで、あの平和な空気も、アレクシアの眩しい笑顔も、狼と戯れる時間も、すべて「演劇」だったはずなのに。
感情を持たない人形のようなクローンを見るたびに、脳裏に焼きついて離れないのは、本物のアレクシアが見せていた「温かい言葉と笑顔」だった。
「おい、リック。お前も何をボーッとしている。上層部へ報告に向かえ」
研究員の冷たい声に促され、リックは「……ああ」と低く答えると、足早に部屋を後にした。
◇
深夜。警備の手が薄くなった地下牢へ、リックは一人足を踏み入れた。
鉄格子の中に横たわるアレクシア。魔力を搾り取られ、青い瞳はうつろに揺れている。
カツン、と足音を立てて近づくリックに、アレクシアはゆっくりと顔を上げた。
「……リ……ック……」
「……まだ生きてたか。『氷の姫』様」
リックは意識して嘲笑うような笑みを浮かべ、鉄格子に寄りかかった。
「無駄なあがきはやめろよ。お前の魔導因子はもう半分以上抽出された。コンフェデラのおめでたい仲間たちも、まさかお前が帝国の地下で『兵器の苗床』にされてるなんて思いもしないだろうな」
冷酷な言葉を投げつける。
しかし、アレクシアの瞳に浮かんだのは、怒りでも恨みでもなかった。
「……リック……首……見せて……」
「……あ?」
アレクシアのうつろな視線が、リックの首元へと向けられる。
そこには、王都を去る際、ライに噛みちぎられたスカーフの痕と、激しい戦闘による痛々しい擦り傷が残っていた。
「ライと……戦ったのね……。怪我……痛むでしょう……? 治療も……してもらえないの……?」
「っ……!?」
リックの息が止まった。
裏切られ、魔力を奪われ、地獄のような拷問を受けているのは彼女自身だというのに。
なぜこの女は、自分を追いつめた裏切り者の傷を心配しているのか。
「……ハッ! おめでたい奴だな! 自分の心配をしてろと言ったはずだ!」
リックは激昂し、鉄格子を強く殴りつけた。重い金属音が地下牢に虚しく響き渡る。
「俺はお前を騙したんだぞ!? 仲間だと思わせて、崖からライを突き落として、お前を薬で眠らせてここに引きずり込んだんだ! 憎めよ! 呪えよ! なんでそんな顔で俺を見るんだッ!!」
怒鳴り散らすリックに対し、アレクシアは静かに、切なく目を伏せた。
「……だって……アムネシアにいた頃の貴方の手……すごく温かかったもの……。あの優しさが全部嘘だったなんて……私、どうしても思えないよ……」
「……っ!!」
言葉が詰まった。
胸の奥を鋭い刃で刺されたような、激しい痛みがリックを襲う。
(嘘だ……嘘だったんだよ……! 俺は……帝国の狗だ……!)
そう心の中で必死に叫びながらも、リックはそれ以上アレクシアの顔を見ることができず、逃げるように地下牢を立ち去るしかなかった。
暗い通路を歩きながら、リックは自分の震える手を見つめる。
黒鉄の闇に染まりきったはずの自分の心に、アレクシアが残した「消えない雪」が、冷たく、そして優しく降り積もっていた。




