22.消せない温もりと、真実の絶望
漆黒の鉄と立ち込める暗雲が支配する地——フィンステリウム帝国の地下深く。
外の光すら届かない実験施設の一角で、冷たい金属の台座に繋がれたアレクシアは、途切れそうな息を吐いていた。
体内の魔力を絞り出され、指先からゆっくりと感覚が失われていく。
そんな彼女の前に立つのは、首筋に黒鉄の国章を刻んだ男——リックだった。
「……おい。おい、アレクシア」
リックの声は、どこか追い詰められたように低く、掠れていた。
「仲間が来たぞ。あの騎士団長とマスターが、要塞を粉砕してここに向かってお前を追ってきてる」
アレクシアはうっすらと目を開け、力なく息を吐き出す。
「……フレッドと……オスカーが……? ……来ちゃ、だめなのに……ここは、危ないのに……」
「……は?」
リックは顔を歪めた。
「またそれか? 仲間を心配して、俺の怪我を心配して……お前、頭おかしいんじゃないのか!?」
鉄格子をガツンと蹴りつけ、リックは吐き捨てるように叫ぶ。
「お前は騙されたんだよ! 『リック』なんて奴は最初からいねえ! 俺は帝国の捨て駒で、お前をハメるために優しそうな顔をしてただの裏切り者だ! なのに……なんで怒らない!? なんで『死ね』って罵らないんだよ!!」
痛々しいまでのリックの叫び。
だが、アレクシアの青い瞳からこぼれ落ちたのは、静かな一筋の涙だった。
「……怒ってるよ……」
「……え?」
「怒ってるよ……! すっごく悲しくて、悔しくて……! なんでリックだったのって、胸が張り裂けそうだよ……!」
アレクシアは震える拳を冷たい台座に押し付け、弱々しく声をもらす。
「私だって……死にたくないよ……! 痛いのも、怖いのも嫌だ……! またみんなと、アムネシアで笑っていたい……!」
初めて見せた、アレクシアの裸の感情。
リックは言葉を失い、目を見開いた。
「でもね……怒れば怒るほど、思い出しちゃうの……。捜索クエストで道に迷ったとき、口では文句を言いながら、私が転ばないようにずっと前を歩いてくれたこと……。ライが懐いたとき、困った顔をしながらすごく優しく撫でていたこと……」
アレクシアは涙で濡れた瞳で、まっ十分にリックを見つめる。
「あれも演技だったの……? 誰かを守るときのあの顔も、全部……偽物だったの……?」
「っ……それは……」
「帝国が貴方をそう作ったとしても……私と一緒にいた時間のリックは、絶対に嘘じゃなかった。……だから私、貴方を憎んで自分の心を真っ黒にしたくない……。それだけは、絶対に嫌なの……っ」
リックの胸の奥で、カチリと何かが音を立てて壊れた。
「道具」として育ち、誰からも心を求められたことのなかった自分が、裏切ったはずの相手に「お前の優しさは本物だった」と肯定されている。
「……バカかよ、お前は……」
リックの手が、力なく鉄格子から離れる。
「ほんと……救いようのない、大バカ野郎だ……」
自分の震える手を見つめるリック。
黒鉄の闇に染まりきったはずの心に、アレクシアが残した言葉が冷たく、そして優しく降り積もっていた。
一方、帝国の広大な地下回廊。
『ブシューッ——!!』
「風衝一閃!!」
真空の刃が地下通路を駆け抜け、立ちふさがる重装兵たちを薙ぎ払う。
フレッドの纏う風の魔力は、一歩進むごとに激しさを増していた。
「オラァッ!! 邪魔なんだよ、雑魚どもがぁッ!!」
ドンッ!!と爆炎が上がり、踏み込んできた重装兵の胸甲を、赤く加熱された重厚な【魔導ナックル】が撃ち抜く。
オスカーの拳に宿る火の魔法が爆発し、鉄の装甲ごと帝国兵数人を一気に壁へと吹き飛ばして砕破した。
「チッ! 次から次へと沸いてきやがる……!」
煙草を噛み潰しながら、オスカーが両拳のナックルをガチリと打ち合わせる。
琥珀色の瞳に滾るのは、大切な娘を奪われた絶対の怒りだ。
「ライ! アレクシアの匂いはどっちだ!?」
「ガウッ……! グゥーッ……!」
ライが低い唸り声を上げ、通路の奥へと鼻を鳴らす。
だが、施設内に充満する高濃度の魔力と薬品の匂い、そしてあちこちから漏れ出す「氷の魔導因子」の気配が混ざり合い、主の正確な居場所を特定するのを困難にさせていた。
「クソッ……! 警備を誘爆させて強行突破する! フレッド、足を止めるな!」
「ああ……! 一刻も早く、アレクシアのもとへ……!」
フレッドの青い瞳に宿るのは、絶対の殺気と焦燥。
アレクシアが今この瞬間も苦しんでいるかもしれないという恐怖が、彼を衝き動かしていた。
敵をなぎ倒しながら、ライの誘導に従って突き当たりの重厚な隔壁を破る。
フレッドたちは「そこにアレクシアがいる」と信じて、扉の奥へと雪崩れ込んだ。
——だが。
「……な……んだ……これは……?」
フレッドの足が、ピタリと止まった。
追いついたオスカーが拳を構えたまま息を詰め、ライの毛並みが一瞬で逆立つ。
そこに広がっていたのは、アレクシアが囚われている牢獄ではなかった。
広大な円形の地下プラント。
薄暗い室内に整然と並べられているのは、数十——いや、数百を超える巨大なガラス張りの培養槽だった。
緑色の液体で満たされたその容器の中に、浮いていたもの。
銀色の髪。
宝石のように青い瞳。
華奢な身体。
——すべて、アレクシアとまったく同じ姿をした「少女たち」だった。
「……アレ……クシア……?」
フレッドの声が、ガタガタと震える。
培養槽の中で、幾人もの「アレクシア」が無機質な瞳を向け、プカプカと波間に揺れている。
『警報——侵入者を確認。プロトタイプ・クローン群、起動シークエンスへ移行』
機械的なアナウンスが響き渡り、無数の培養槽が一斉に吐気音を上げた。
液体が排出され、濡れた銀髪を肩に垂らした「無感情なアレクシアたち」が、床へと降り立っていく。
「おい……冗談だろ……? なんだよ、この数は……!」
オスカーの炎を纏った拳が、思わず震える。
本物の命の巡りを無視し、造られた偽りの乙女たち。
フレッドの青い瞳に映っていた激しい怒りは、底知れない「絶望」と「困惑」によって一瞬で凍りついた。
自分たちが助けに来たはずの愛しい少女の顔をした「人形」の群れが、殺意の魔力を纏って静かに牙を剥こうとしていた——。




