17.血の足跡と風の誓い
王都レマニアから東へ外れた、鬱蒼とした街道の森。
木漏れ日が差し込む美しいはずの木々は、今や緊迫した空気に包まれていた。
——ガササッ!
突如として樹々を薙ぎ払い、咆哮とともに姿を現したのは、本来この地域には生息しないはずの凶暴な大型魔物の群れだった。
「なっ……なんでこんなところに魔物が!?」
「アレクシア、下がってろ! 俺が注意を惹く!」
リックが素早く短剣を抜き、疾風のようなスピードで魔物の懐へ飛び込む。……だが、それは緻密に計算された「演技」だった。
リックは果敢に戦っているように見せかけながら、巧みな身のこなしで魔物の攻撃軌道を誘導し、アレクシアを守ろうと身を乗り出したライの方へと鋭い爪を叩きつけさせたのだ。
「グルアッ……!?」
激しい衝撃とともに、ライの銀灰色の身体が崖下へと叩き落とされる。
「ライっ!?」
「くそっ、ライが落とされた! アレクシア、お前はここで待ってろ、俺が連れ戻してくる!」
「私も行く!」
「ダメだ、魔物の残党がまだいる! お前が狙われたら元も子もないだろ!」
迫真の演技でアレクシアを制止し、自身はライを追って崖下へと飛び込んでいくリック。
一方、崖下に転落したライは、血を流しながらも素早く身を起こしていた。
崖の上から降りてきたリックの手には、すでに毒の塗られた短剣が握られている。
右目の前髪をかき上げたその瞳には、仲間としての優しさなど欠片もなく、冷酷なスパイの殺気が宿っていた。
「察しが良い野犬は嫌いじゃないが……ここで死んでもらうぜ」
リックが疾風のごとき速さで牙を剥き、短剣を振り下ろす。
ライは間一髪でそれをかわすと、自らも血を吐きながら飛びかかった。
殺すためではない。
こいつが裏切り者だという『証拠』を掴むために。
「ガァッ……!」
「チッ……!」
間一髪、リックは首元を庇ってバックステップを踏んだが、ライの鋭い牙は首元に巻かれていた『アムネシア』の紋章入りのスカーフを捉えていた。
バリッと激しい音とともに、生地が噛みちぎられる。
(……これで十分だ!!)
ライはそのスカーフの切れ端を口の中にしっかりと噛み締めると、追撃しようとするリックを無視して反転し、血を撒き散らしながら森の中へと疾走した。
「おい待てッ! くそっ、すばやい奴だ……!」
背後で苛立つリックの声を捨て置き、ライは自らの命を削るように王都レマニアへと向かって駆け抜ける。
アレクシアを救うための「血の足跡」と「証拠」を携えて。
同じ頃。王都レマニアの騎士団執務室。
窓の外を眺めていたフレッドは、胸を刺すような強い胸騒ぎに襲われていた。
「どうした、フレッド。顔色が悪いぜ」
ソファーで煙草をくゆらせていたオスカーが、不思議そうに尋ねる。
「……なんだか胸が騒ぐ。アレクシアは今日、誰とどこへ行っていると言っていた?」
「ああ、リックと一緒に東街道の巡回だってよ。まあライも一緒だし、大層な害獣退治ってわけでもねえだろ」
「……」
内通者が誰なのか特定できていないこの状況で、アレクシアが誰かと二人きりで王都の外に出ている。その事実が、フレッドの不安を大きく膨らませていく。
その時だった。
「団長!! 大変です!! 執務室の前に……!」
副官が青ざめた顔で飛び込んできたと同時に、扉がドカンと弾け飛ぶように開いた。
「——ガハッ……! クゥン……ッ!」
血まみれの銀灰色の巨体が、執務室の床になだれ込んできた。
「ライ!?」
「おい、嘘だろ……!?」
フレッドとオスカーが跳ね起きる。
全身傷だらけで、足からは大量の血を流したライ。
しかしライは倒れ込もうとする身体を必死に奮い立たせると、フレッドの足元へ近づき、口に強く噛み締めていた「血と泥に汚れた布片」をポロリと床に吐き出した。
それは、ギルド『アムネシア』のくすんだ紫のバラの刺繍が入った——リックしか身につけていない、あのスカーフの切れ端だった。
「これは……リックのスカーフ……!?」
オスカーが目を見開く。
ライはフレッドの顔をじっと見つめ、東の空を指すように「ウゥ……ッ!」と低く一鳴きすると、そのまま限界を迎えてバタリと床に倒れ伏した。
「ライ……! お前、身を挺してこれを届けてくれたのか……!」
フレッドは手の中のスカーフを固く握りしめた。
怪我を負ったライが、わざわざこのスカーフを食いちぎり、血みどろになりながらここまで運んできたという事実。
それが意味する答えは、ただ一つしかなかった。
「……内通者は、リックだ」
フレッドの青い瞳から、一切の迷いが消え去った。
仲間の振りをしていた裏切り者への冷徹な怒りと、アレクシアを絶対に失わないという強い誓いが、フレッドの全身から爆風のような魔力を溢れさせる。
「オスカー殿! ライを頼む! 俺は……アレクシアを連れ戻す!!」
「任せろ! アレクシアを頼んだぞ、フレッド!」
フレッドは腰の剣を掴むと、執務室の窓枠を力強く蹴り飛ばした。
「——疾れ! 風迅脚!!」
フレッドの全身に爆風のごとき風の魔力が吹き荒れ、足元に濃密な風のヴェールが巻き付く。
そのまま地面と空の隙間を切り裂くような超高速で王都の街並みを駆け抜けると、風を纏い、音を置き去りにして、緑の閃光となって東の森へと一直線に飛び立っていった。
(待っていてくれ、アレクシア……! 今度こそ、俺が君を絶対に守る!!)




