15.花開く影と、秘密の絆
夜の闇が明けても、王都レマニアの美しさは変わらなかった。
咲き誇るエーデルヴァイスの花々は朝露を纏い、まるで宝石のように輝いている。
ギルド『アムネシア』の酒場兼拠点にも、いつもの穏やかな朝の空気が戻っていた。
「よお、アレクシア。昨日は大変だったな」
カウンターの隅、いつも通り気さくな笑みを浮かべたリックが、冷えたグラスを拭きながら声をかけてきた。
「あ……うん、リック。心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
アレクシアは昨日フレッドに見せた自身の秘密と、胸を締め付けられた罪悪感の名残を隠し、無理に微笑んで頷いた。
目の前で気さくに笑うリックは、一年前にギルドへやってきた頼れる仲間だ。
昨日の異形との凄惨な戦いや、自身が解き放ってしまったおぞましい氷の力――その残酷な事実を彼が知る由もないのだと、アレクシアは胸を撫で下ろしていた。
(フレッド様が証拠を消してくれた……。だから、誰にも迷惑はかかっていないはず……)
だが、アレクシアの視線の先――グラスを拭くリックの右目を隠す黒髪の暗がりの中に、ほんの一瞬だけ冷ややかな光が宿っていたことに、彼女はまだ気づいていなかった。
一方、王都の北西にそびえる騎士団執務室。
重苦しい空気の中、騎士団長フレッドと、ギルド『アムネシア』のマスターであるオスカーが密かに顔を突き合わせていた。
「——そうか。ついにアレクシアが、あの力を使ったか」
オスカーは咥えた煙草の先を赤くくゆらせ、紫煙を深々と吐き出した。
吐き出された煙が、朝の光の中で重たく揺れる。
琥珀色の瞳に宿っていたのは、驚きではなく、どこか哀愁を帯びた静かな眼差しだった。
「知っていたんだな、オスカー殿」
「ああ。あいつが幼い頃、両親を失ったあの時からな。……母親のマリアと同じ、世界から消されたはずの『静の魔法』。あいつがどれほどその力を恐れ、隠し続けて生きてきたか……俺は一番近くで見守ってきた」
オスカーは机に肘をつき、煙草を挟んだ手で顎を乗せた。
「で? 騎士団長様は、世界の理を侵す『悪魔の力』を目の当たりにして、あの娘を捕縛でもしに来たのか?」
「そんなわけがあるか!!」
フレッドは思わず机を力いっぱい叩いて立ち上がった。その青い瞳には、燃えるような情熱と譲れぬ決意が宿っている。
「彼女が使ったのは、私の……俺の命を救うための力だった! 恐ろしい力などではない……俺を守ろうとしてくれた、優しくて温かい力だ! アレクシアがどんな力を抱えていようと、俺があの娘を守る気持ちに変わりはない!」
熱く言い放ったフレッドを、オスカーは一瞬ポカンと見つめ——やがて、煙草の煙をふっと吹き出しながら、ニヤリと悪戯っぽく口角を上げた。
「……へえ。『私』じゃなくて『俺』か。あの生真面目な騎士団長様が、随分とお熱いこっちゃな」
「っ……! オスカー殿、今はそういう話では……!」
急にハッとして気まずそうに咳払いをするフレッドの反応に、オスカーは「ハハッ!」と満足そうに声を上げて笑った。
「いい度胸だ、フレッド。もしお前が少しでもアレクシアを怖がったり、利用しようとしてたら、今ここで俺が焼き尽くしてやるところだったが……合格だ」
オスカーは灰皿に煙草の灰をトントンと落とし、表情をガラリと鋭いものに変えた。
「アレクシアの秘密を共有できたのは心強い。……だが、だからこそ事態は一刻を争う。ギルドの密偵網から上がってきた情報だ。ここ最近、王都周辺の魔導通信に、暗号化された帝国の通信術式が混ざっている」
「帝国の通信……!? まさか、王都の『内側』からか?」
「ああ。騎士団内部か、あるいは俺のギルドか……ネズミがどこに潜んでいるかはまだ絞り込めねえ。だが、もしアレクシアの力が敵に伝われば、帝国は総力を挙げてあいつを奪いに来る」
「……絶対に渡さない。誰が裏切り者であろうと、俺たちの手でアレクシアを守り抜く」
焦りと熱情の混ざったフレッドの力強い言葉に、オスカーもまた深く頷いた。
その頃、王都の表通りから少し離れた路地裏。
リックは誰にも見られない影の中で、懐の通信魔導具を耳にあてていた。
『——『最終段階』の許可が下りた。騎士団とギルドが内通者の存在に気づき始めている。警戒が強まる前に、ターゲット(アレクシア)を速やかに確保せよ』
『了解だ。……フッ、団長様もマスターも必死に犯人探しをしてるみたいだが、まさか目と鼻の先にいる俺だとは夢にも思ってねえよ』
リックは右目を覆う髪を軽くかき上げ、嘲笑を浮かべた。
「さて……そろそろ仕上げといくか」
平和なコンフェデラの象徴たる王都レマニアの真下に、牙を剥いた暗黒帝国の爪牙が、いよいよアレクシアへと迫ろうとしていた。




