14.偽りの風と透き通る影
パキン……ッ!
静寂が支配する森の中、絶対の氷に閉ざされていた鉄の異形が、一粒の音も立てずに美しい氷の結晶となって一気に砕け散った。
それと同時に、二人を閉じ込めていた魔法陣の光が失われ、空間を隔てていた障壁がサラサラと霧のように薄れ始めていく。
「ハァ……ハァ……っ!」
極低温の余韻が残る中、アレクシアは震える手で胸を抱え、涙を溢れさせていた。
隠し続けてきた最大の秘密。
それを最愛のフレッドの前で解き放ってしまった恐怖と罪悪感が、彼女の心を押し潰しそうになる。
「アレクシア……」
血を流しながら膝をついていたフレッドが、息を荒げながら呟いた。
だが、その瞳にあったのは拒絶でも恐怖でもなかった。驚愕の果てに宿ったのは、痛いほどの愛おしさと強い決意だった。
「……怖かったろう。今まで一人で、こんな大きな秘密を抱えて……」
「フレッド様……? 私……私、恐ろしい力を……」
「そんなわけがない!」
フレッドは傷つく身体を押して立ち上がると、泣きじゃくるアレクシアの華奢な肩を強く、優しく抱きしめた。
「君がどんな魔法を使おうと関係ない。いま俺の命を救ってくれたのは、君の優しさと勇気だ。……俺が絶対に、君と君の秘密を守ってみせる」
「……っ……フレッド様……!」
アレクシアはフレッドの胸に顔をうずめ、声を上げて泣いた。
——ガサガサッ!
その時、障壁の薄れかけた藪の向こうから、急ぎ足で駆け寄ってくる足音が響いた。
(誰か来る……! いけない、この冷気と氷の残骸が見られたら……!)
フレッドは咄嗟にアレクシアを背中に庇うと、渾身の力を込めて腰の剣を抜き放った。
「—— 暴風刃!」
激しい風の渦が巻き起こり、周囲に残留していた異次元の冷気、青い氷の結晶、探して砕け散った鉄の異形の破片を、巻き上げた土砂や枯れ葉と共に遠くの深い谷底へと一気に吹き飛ばした。
「ウォンッ! クーン、クーン……!」
障壁が完全に消滅した瞬間、外に弾き飛ばされていたライが真っ先に飛び込んできた。
ライはアレクシアの頬を心配そうに何度も舐め、怪我を負ったフレッドの足元に体を寄せて安堵の声を漏らす。
「フレッド団長! アレクシア! 無事か!?」
遅れて息を切らせて駆け込んできたのは、リックだった。
彼は周囲の荒れ果てた惨状を見回すと、目を丸くして頭をかいた。
「な、なんだあれ……! 一体何が起きたんだ!? 凄い衝撃音が聞こえたと思ったら、あんなに堅かった障壁が消えちまって……」
「……俺が、風の刃を極限まで圧縮して叩き込んだんだ」
フレッドは血を拭いながら、平静を装って言った。
「障壁のせいで魔力が暴走し、一瞬で爆発するように弾け飛んだ。……間一髪だったよ」
「へぇ……! さすがは騎士団長様だな。無事で本当によかったぜ」
親しみやすい笑みを浮かべ、胸を撫で下ろすリック。
アレクシアもまた、フレッドの機転と優しさに感謝しながら、何とか難を逃れたのだと胸を撫で下ろしていた。
——しかし。
親しい仲間としての笑みを浮かべながら、フレッドたちに背を向けたリックの表情は、一瞬で氷のように冷たく冴え冴えとしたものへと変わっていた。
彼の右目を覆う、前髪の暗がり。
その奥に秘められた特殊な魔導の眼——【透視】の能力は、遮断の障壁など易々と透過していた。
フレッドがどれほど必死に風で痕跡を吹き飛ばし、隠滅しようと足掻こうとも。
アレクシアが解き放った、世界の理を止めてしまう『絶滅したはずの古代氷魔法』の圧倒的な輝きを、リックはその両眼で完璧に捉えていたのだ。
(ハッ……やっぱりか。あの『女』の娘なだけはある。あいつにもしっかり氷の血が受け継がれていたわけだ……)
帝国から密命を受け、同じギルド『アムネシア』の仲間として懐に入り込み、アレクシアを監視し続けてきた理由。
それは、かつて帝国と深い関わりを持っていた「アレクシアの母」の存在、そしてその血を引くアレクシアが氷の力を開花させる瞬間を捉えるためだった。
(長かったが……これでようやく「疑い」が「確信」に変わったぜ)
リックは心の中で冷たくほくそ笑んだ。
その夜。王都レマニアの静まり返った路地裏。
月明かりすら届かない影の中で、リックは懐から小さな金属製の通信魔導具を取り出した。
暗号化された魔力の波長が、夜空の向こう——極寒の軍事国家『フィンステリウム帝国』へと向けて放たれる。
『——報告。兼ねてより監視中だったターゲット(アレクシア)が「古代氷魔法」を発動したのを確認。やはりあの女の娘に間違いなし。騎士団長は隠蔽を図るも、奪取の価値は極めて高い』
リックは冷酷な笑みを浮かべ、通信を締めくくった。
『……これより、捕獲・回収計画を最終段階へと移行する』
闇の中に溶けていくスパイの影。
アレクシアとフレッドの絆が深まった裏で、容赦のない帝国の爪牙が、確実に二人へと迫りつつあった——。




